SSブログ

ロンメル将軍 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デズモンド・ヤング著の「ロンメル将軍」を読破しました。

子供のころから書店のハヤカワ文庫のコーナーに行くと必ず置いてあった
自分の中でもとても馴染み深い一冊ですが、実は今回、初めて読みました。
著者のヤングは第1次大戦で勲功をたて、第2次大戦が勃発すると
50歳にしてインド軍に志願し、北アフリカのガザラ地区において
第10インド旅団を率いていた際に、ドイツ・アフリカ軍団に捕えられたという人物で、
その捕虜となった際にロンメルとも遭遇しています。

ロンメル将軍.JPG

序文を書くのは、あの「敵をロンメルと呼んではならん」で有名なオーキンレック
まずはニヤリとさせられます。
原著の発刊が終戦からたった5年後の1950年ということもあって、
ロンメル伝記にはお馴染みの人物たちが新鮮な記憶から回想しているようで
特に著者をはじめ、英国側からみたロンメル像というのがとても楽しめます。

erwin-rommel.jpg

物語の中心である、砂漠の戦いでも双方の駆け引きや戦力などが書かれ、
特に英国側の状況が如何なるものであったのかは、
他のロンメル物にはない情報だと思いますし、
88㎜高射砲をどれだけ英軍が恐れていたかも証言しています。

88mm Flak africa.JPG

このころ、一進一退を繰り返すロンメルが補給と戦略に悩んでいたことについては
当時の陸軍参謀総長であったフランツ・ハルダーの責任を大だとして、
彼の回想録を激しくこきおろしています(ここまで言われると読んで見たい・・)。
また、ムッソリーニを初めとするイタリア軍もこの本を盛り上げてくれます。
ロンメルに対し、空手形を乱発したカヴァレロ将軍も辛辣に語られ、
同様にケッセルリンクもほぼ断罪されてます。
興味深かったのは、処刑間際のカイテルが「アフリカ戦線は唯一勝ち目があった」と
語っていたということで、やはり最高司令部でなにが起こっていたのか、興味は付きません。

rommel_Ugo Cavallero.jpg

ロンメルが英連邦軍をどのように評価していたのか・・オーストラリア軍は荒っぽく、
ベストなのは屈強であるニュージーランド軍だとしていて、
特殊部隊の長距離砂漠挺身隊も高く評価していたようです。
両軍の捕虜に関する逸話も多く、特にドイツ軍から逃げてきた英兵が
「捕虜になった際にカメラを取られた!」と憤慨したものの、
「でも、ちゃんと受け取りは貰っておいた」ので、
終戦後にはその中尉を尋ねて返してもらおうとしていたなど、相変わらずのアフリカ戦線です。

Hans Speidel.jpg

後半はノルマンディの戦いからヒトラー暗殺未遂事件の嫌疑、そして自殺の強要と
その最後までをロンメル夫人や最後の参謀長であったシュパイデル将軍、
海軍としてロンメルを補佐したルーゲ提督などのインタビューをもとに検証しています。
このルーゲ提督が「ノルマンディのロンメル」を書いているというのを知りましたので、
早速、購入予定です。
昔TVで何度か観た「砂漠の鬼将軍」(演じるはジェームズ・メイソン)は、
この本が原作だったんですね。





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10年と20日間 -デーニッツ回想録- [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール・デーニッツ著の「10年と20日間」をやっと読破しました。

1935年の潜水艦隊司令就任から1945年にヒトラーの後継者として
連合軍に降伏するまでの10年間を自ら綴った有名な回想録です。
これ以前の回想は「ドイツ海軍魂」に記されています。

10年と20日間.JPG

1年ほど前に3000円という安い!値段で購入しましたが、なかなか集中して読む時間が取れず、
今回の夏休みに気合を入れて2日間で読破できました。
さすがにUボート戦の大家である教授の授業を受けているような感じで、
丁寧に読み進めましたが、終始一貫した印象をまず2つ挙げたいと思います。
ひとつめは、Uボート部隊の指令として、その最初から最後まで職務を全うしたこと。
これは即ち、この回想録が第2次大戦のUボートの全てを網羅しているということです。
このヒトラー政権において、これだけの地位の軍人がその間、一度も解任されなかった
というのは稀なことであり、デーニッツ以外にはちょっと思い当たりません。

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ふたつめとして、とにかく自身とドイツ海軍の敵は英国(と米国)であって
それは大西洋における通商破壊戦によってのみ勝機があり、
東部戦線や北アフリカ戦線などは邪魔くさい、というかあちらの戦況のために
せっかくのUボートを割かねばならない、または建造がままならない
という苛立ちが、全編を通してひしひしと伝わってきます。

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全23章から成る本書は当然ほとんどがUボート戦について語られ、前半では
スカパフローの牡牛ことギュンター・プリーンについて、その人間性も評価し、
クレッチマーをも含む大エースたちが撃沈され、Uボート戦が変化していく様子、
戦艦ビスマルク仮装巡洋艦アトランティス撃沈に伴う、Uボート部隊の裏話。
アメリカ沿岸でのパウケンシュラーク作戦についても1章書かれています。

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特に印象に残ったのは「ラコニア号事件」の章で、U-156によって撃沈された
英国客船ラコニア号の生存者を救助しはじめたUボート部隊がアメリカ機の爆撃を受け、
この事件よって「今後、生存者の救助すべからず」命令が発せられた顛末が書かれています。

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ハルテンシュタイン艦長のU-156はこのとき、多数のイタリア人捕虜を含む英国人など
260名!を救助/収容したということですが、なるほど、とても騎士十字章を拝領する
Uボート艦長らしからぬ、とても人のよさそうな顔をしています。内藤大助そっくりですね・・。

Werner Hartenstein.jpg

西部方面海軍司令部が陸軍の指揮下にあったという話も興味深く、
沿岸防衛について責任者であったロンメルと海軍司令長官のクランケ提督
海岸砲台を構築し、直接砲撃するということで意見は一致していたものの、
結局はルントシュテットと総司令部案の間接砲撃をヒトラーは承認したとあります。
このノルマンディにおけるUボートの戦いも詳しい話は初めて知りました。

Goring, Keitel, Donitz, Himmler, Hitler.jpg

ヒトラーとの関係も客観的に語っている印象で、海軍の作戦/戦術については
ほとんど干渉されたことがなく、「陸のヒトラー」からは信頼されていたとし、
また、ヒトラー暗殺未遂事件にも触れ、短いながらも1章を割き、自身の見解を述べています。

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そして、自殺を選ぶヒトラーから後継者に任命されると国防軍最高司令部長官のカイテルを解任し
隠居生活だったフォン・マンシュタインを後任に据えようとしたということです。
結局、終戦間際のゴタゴタのなかで所在がわからず・・だったようですが、
しかし、いくらマンシュタインでも、この時期では結果的にはなにも変わらなかったでしょう。

Wolfgang Lüth_Death.JPG

最後の章では終戦の数日後に事故死した、ヴォルフガンク・リュートについて語り、
最も優秀なUボート艦長の一人として、
その棺に別れを告げる光景は象徴的であったと結んでいます。
そこには戦死した全てのUボート戦士が納められているという思いもあったのでしょうか・・。



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詳解 武装SS興亡史 -ヒトラーのエリート護衛部隊の実像- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョージ・H・スティン著の「武装SS興亡史」を読破しました。

「武装SSに関する学術研究書」とされる一冊で、著者のはしがきでは
「本書を読むにあたっては、ナチの体制の基本的性格とヨーロッパにおける
戦争の概要を熟知しておいて頂きたい」と前置きされています。
個人的には、更に武装SS-38個の師団名のうち、
半分は知っている程度の知識があれば、より楽しめると思います。

武装SS興亡史.JPG

武装SSの創設からを時系列に、そしてここがこの本の素晴らしい所ですが、
系統立てて解説しており、武装SS=エリート部隊という短絡的なものではなく
例えば当初はゼップ・ディートリッヒ率いる「ライプシュタンダルテ」のみがエリートであり、
いわゆる特務部隊の「ドイチュラント」、「ゲルマニア」、「デア・フューラー」の各連隊、
そして髑髏部隊(トーテンコップ)はそれぞれ入隊基準が違い、
その装備面からも、部隊ごとにエリート部隊であるか否かを明確にしています。

Sepp Dietrich, Hitler, Heinrich Himmler.jpg

それらの基準は武装SSの拡大とともに変化してゆき、外国人義勇兵部隊が
増設されるにつれ、まずは「本国ドイツ人」中心の師団かどうかが
エリート師団の基準となっていきます。

もともとヒトラー個人の警護部隊として創立されたこともあり、
ヒトラー自身は武装SSの拡大には消極的(少数精鋭のエリートのイメージや
国防軍との対立回避)だったようですが、
SS全国指導者ヒムラーにとってはSSの地位拡大向上の観点からも、
なんとかヒトラーを騙し騙し、新たな部隊の創設を認めさせていきます。

そしてある意味、本書の主役である親衛隊本部長で新隊員の募集と
徴兵の責任者であるゴットロープ・ベルガーSS大将の人材確保術が功を奏し、
外国人義勇兵の獲得へと発展していきます。
それは「武装SSの発展はヒムラーよりベルガーに負うところが大きい」とされているほどです。

Gottlob Berger.jpg

特にロマンチックなほどにゲルマン民族やアーリア人種に拘っていたヒムラーですから
ベルガーから提出された東欧人からなる部隊創設案も当初は拒んでいたそうで、
しかし、結局はイスラム教徒主体の第13SS武装山岳師団「ハントシャール」など
アーリア人によるエリート部隊から、なんでもありの武装SSという最終形を迎えます。

Handschar.jpg

ちなみに、このベルガーの手腕によって創設された第12SS師団「ヒトラー・ユーゲント」ですが、
よりによってベルガーは自分を師団長にと、ヒムラーに直訴したそうです。
第2のゼップ・ディートリッヒを狙ったそうですが、あえなくヒムラーに却下されたとな・・。

マイナーな部隊についても驚くほど詳細で、悪名高いディルレヴァンガーやカミンスキー旅団、
捕虜からなるSSイギリス自由軍(「鷲は舞い降りた」のプレストン少尉ですね)
まで書かれています。

Dr. Oskar Dirlewanger.jpg

最後には武装SSには必ずつきものの、犯罪行為とその責任について言及し
戦犯として裁かれたクルト・マイヤーヨッヘン・パイパーなどを取り上げています。
強制収容所の髑髏部隊や特別行動隊(アインザッツグルッペン)と武装SSの関係も掘り下げ、
また、パウル・ハウサーSS上級大将やフェリックス・シュタイナーSS大将の回想録も
参考文献として抜粋されています(読んでみたい!)。

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素晴らしい本で「武装SSの研究者が必ず目を通す、古典的名著」は過言ではありません。



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チェルカッシィ包囲突破戦 -東部戦線、極寒の悪夢- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・E..ナッシュ著の「チェルカッシィ包囲突破戦」をなんとか読破しました。

いやいや、理解しながら読むのがかなりキツイ戦史です。。
このチェルカッシィ包囲というのは、別名「コルスン包囲」とも言われますが、
1944年1末のウクライナにおいて、フォン・マンシュタイン元帥の南方軍集団隷下の
2個軍団/60000名がソヴィエト軍に包囲されますが、3週間の攻防の末、
多大な損害を出しながらも、40000人が脱出に成功したという戦役です。

チェルカッシィ包囲突破戦.JPG

とにかく最初から、続々と登場する将軍すらドイツ側だけでも10人余りにおよび、
さらに戦闘団や中隊レベルまで詳細な戦闘が述べられますが、
なんせ南方軍集団の序列がわからないので最初の200頁ほどは、この包囲された2個軍団が
オットー・ヴェーラー大将の第8軍のシュテンマーマン大将の第11軍団と
ハンス・フーベ上級大将の第1戦車軍のリープ中将の第42軍団であって・・
ということを文章から完璧に理解し、その軍団を構成しているSS師団ヴィーキングを含む
6個師団も把握するということが重要です。
そしてジューコフ元帥を筆頭にした、コーニェフ(コーネフ)とバトゥーチンの
第1/第2ウクライナ方面軍の東西からの攻勢も当然理解する必要があります。

ivan Konev.jpg

なおかつ注訳が多く、かつ数十行に及ぶにもかかわらず字体が一緒なので
ボ~としていると、どこまでが本文かわからなくなります。
このような困難を乗り越えて、ともかく読み進めます。写真が多いのが救いですね。

ここから1年前のスターリングラードにおける救出失敗の汚点を晴らすべく、
ヒトラーに反抗しつつも、マンシュタインによる救出作戦がはじまります。
広い視野で見れば、ジューコフ対マンシュタイン両元帥の戦いとも言えなくもありません。

Erich_von_Manstein.jpg

ただし新たな部隊、例えばグロースドイッチュランドのパンター大隊の反撃や
空中補給警護としてJG52航空団のエーリッヒ・ハルトマン「大佐」が登場してくるので
まったく気が抜けません。
マンシュタインが編成を指示したという、元歯科医のDr.フランツ・ベーケ中佐の重戦車連隊は
34輌のティーガーと46輌のパンターから成り、ヴィットマンをも含むとされる
SS師団ライプシュタンダルテなどで構成された第3戦車軍団が救援に向かいます。
いやはや、オールスター・キャストですね。

Dr Franz Bäke.jpg

しかし、このブライト大将率いる第3戦車軍団は包囲されたシュテンマーマン集団まで
残り12キロというところで停止してしまいます。
こうなると、まさにスターリングラードの二の舞というか、焼き直しみたいです。

Hermann Breith.jpg

「包囲」、「救出」と続き、いよいよ「脱出」が始まります。
スターリングラードでもマンシュタインが包囲された第6軍パウルスに対して
脱出指令を出したものの拒否られましたが、
今回、シュテンマーマンはそれを決断します(半分、騙されてですが・・)。
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐のストゥーカ急降下爆撃機という超大物の支援を受け、
包囲陣内の様々な部隊も命がけの脱出に挑みます。
特にヴィーキングのハンス・ドーアSS少佐は典型的なSS擲弾兵という顔つきで
(下巻表紙の下の人物)非常に印象的です。
SSヴァローン(ワロニエン)旅団のレオン・デグレールSS大尉も大活躍しています。

Leon Degrelle.jpg

ヴィーキングのオットー・ギレSS少将や第42軍団長代理リープ中将は
無事、脱出に成功しますが、包囲された集団の司令官であったシュテンマーマン大将は
銃撃を受け、戦死してしまいます(この写真はなんとも・・)。

Otto Gille.jpg

最終的には独ソ双方が勝利したと宣言したこの戦いですが、この本以外では
パウル・カレルの「焦土作戦」やマンシュタインの「失われた勝利」で断片を
知ることが出来る程度です。
読み辛さはありますが、このようなマニアックな本が和訳で読めることに感謝しますか。。





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ティーガー -無敵戦車の伝説 1942~45- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

エゴン・クライネ著の「ティーガー」を読破しました。

ティーガー戦車の開発の経緯から、重戦車大隊ごとの戦闘を詳細に記録したもので
余り知られていない戦車長の戦記から、有名な将軍や大隊長まで登場する
バラエティに富んだ内容です。

ティーガー.JPG

ティーガー戦車の初陣となる、1942年9月のレニングラード方面の湿地帯での
4両の戦闘記録も貴重ですが、第501/502重戦車大隊、SS第101重戦車大隊などの
有名な独立大隊が目白押しです。
写真もなかなか豊富に掲載されているので、取っつきやすく、
この上巻ではツィタデレ作戦における第656駆逐戦車連隊の
「フェルディナンド」の戦闘記録が突然出てきて、ビックリしたりもします。

Ferdinand in KursK3.JPG

下巻は再編成によるケーニッヒスティーガー登場から
最後のティーガーを失い、連合軍に投降するまでの記録となります。
各戦線が崩壊寸前となってくると、所属する師団、軍団からは貴重な火消し役として
小隊、中隊ごとに出動命令が下されるため、
大隊での運用に固執する重戦車大隊長は、あっさり解任されてしまいます。

Königstiger.jpg

特に整備中隊の活躍を大きく取り上げているのが本書の特徴で、
頓挫したティーガーは敵の手に渡らぬように爆破させると言うのは良く知られていますが、
それはあくまで最後の手段であり、基本はとにかく「牽引」です。
場合によっては2日かかっても諦めません。
故障が多く、半端じゃなく重く、かつ貴重なこれらの戦車を扱う苦労が良くわかります。

pzkpfw_vi.jpg

また、グロースドイッチュランドのティーガー大隊や
終戦間際のヤークトティーガー、シュトルムティーガー中隊の記録も
ページ数は少ないながら、非常に興味深いものとなっています。

Jagdtiger_4.jpg

他にもSS第101重戦車大隊ではヴィットマンのヴィレル・ボカージュの戦い、
第502重戦車大隊ではオットー・カリウスのエピソード、
SSダス・ライヒなどの師団も網羅しています。

こうしてティーガー戦車の歴史を見ると、
それは決して電撃戦というような華々しい勝利ではなく
ドイツ軍敗走の歴史と重なるわけですね。





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