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遠すぎた家路 戦後ヨーロッパの難民たち [欧州諸国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ベン・シェファード著の「遠すぎた家路」を読破しました。

3月に出たばかりの625ページの大作を10日間かけてやっつけました。
タイミングとしては完ぺきで、前回の「ホロコースト全証言」の最後が解放された人々ですから、
まさに続きの如く、その後のユダヤ人、ナチスに強制連行された外国人労働者たち、
さらには迫る赤軍から西へと逃れてきたドイツ人難民の運命に迫った一冊です。

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19章から成る本書、出だしは1940年春のポーランド、クラクフの様子。
ゲシュタポが私たちの病院をいきなり襲撃した」と回想する学生看護婦のアンナ。
医師は連行され、看護婦は準備に5分間与えられた後、列車でヴェストファーレン送りです。
辿り着いたのは「職業紹介所」。
「未来の雇い主たちが私たちを待っていた。
家畜品評会の畜牛のように品定めをし、指でいじくった。
私たち女学生にはあまり買い手が付かず、最後まで広間に残された」。
最終的に彼女は農場労働者となりますが、都会育ちの若い女性にはつらい仕事です。

Zwangsarbeiterinnen aus dem Osten deportiert_1943.jpg

1930年代後半、ドイツでは景気回復と再軍備によって、労働力不足が予想されており、
農場では特に人手が足りず、ポーランド侵攻後には100万人を供給する計画があったのです。
しかしそれはナチスの民族原理に反する政策でもあり、国内の「血の純潔」を脅かすことに・・。
そこで連れてきたポーランド人には「懲罰的隔離制度」を課して、離れたバラックで暮らし、
低い賃金、「P」の字の認識札を身に付けることを強いるのです。

polen_abzeichen_1940_1945.jpg

ドイツ人とポーランド人の性的接触は当然、死刑に値します。
1941年、あるポーランド人が「農業の勤労奉仕をしているドイツ娘のスカートに手を突っ込んだ」
として、絞首刑に処せられるのでした。
むむ、まさしく「愛と欲望のナチズム」チックな話・・。 

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そんな時にご存知「バルバロッサ作戦」が発動するも、冬には行き詰まり、
兵士たちが帰還しないばかりか、膨大な数の補充兵が必要・・。
それは本国の労働者が新兵になるということであり、
すでに枯渇しているドイツの人的資源に悪影響を及ぼすのです。

Salt and bread from the Crimea-1941.jpg

ロシア人捕虜は「けだもの」であり、彼らを本国で働かせることで、
大事なドイツ女性に近づけることなど考えられません。
しかしウクライナではドイツ軍が「解放者」として、伝統的なパンと塩の贈り物で歓迎されると、
ドイツの生活水準の高さや、ウクライナ人をその気にさせるプロパガンダが掲載されるだけでなく、
ウクライナの若者たちが牧歌的なドイツの農場で歌い踊る「陽光あふれるドイツへおいで」
という映画まで上映されるのです。

Wir gehen nach Deutschland um für den Frieden und eine bessere Zukunft zu arbeiten..jpg

こうして、いい給料、すぐに帰れるという約束にキエフでも志願者が大勢現れ、
ブラスバンドの演奏に送られて、ドイツへと向かうのでした。

Fremdarbeiter waren die Sklaven eines barbarischen Systems. Über das Millionenheer der Zwangsarbeiter.jpg

そんな彼らを待ち受けていたのは、劣悪な住居、粗末な食事、さまざまな虐待と屈辱であり、
ポーランド人労働者以下の扱いを受けて、「Ost(東)」のパッチの装着が義務付けられ、
共産主義を広めないようにと、鉄条網で囲われた収容所に押し込められるのです。

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数ヵ月後にはそんな実情を噂で聞いたウクライナ人の志願者が激減するのは当然で
となれば労働力配置総監ザウケルは強制力を行使することになり、
公共の場にいるウクライナ人も一網打尽。
1943年8月までに、280万人の外国人労働者が送り込まれることになるのです。

Sauckel Hitler.jpg

たまたま何人かのウクライナ少女を目にしたヒトラー。
その金髪と、「アーリア風」の顔立ちに驚いたことで、彼女たちはドイツ人家庭の家政婦として
働くことが許可されます。生意気で怠慢なドイツ人家政婦とは違い、
ドイツ語も話せず、部屋のトイレや風呂も見たことがない木靴を履いたメリーポピンズは、
うんと安い賃金ながらも、意欲があり、勤勉で、勉強熱心。汚れ仕事もへっちゃらなのでした。

Ostarbeiterin_in_Deutschland.jpg

戦場の兵士たちにも食料が送れなくなったドイツは食糧危機に直面し、国防軍は自給自足、
占領地からドイツへ食料を送るという「戦争と飢餓」の話へと進み、
外国人労働者の配給や、ユダヤ人には配給停止・・といったホロコーストへと向かって行きます。

1943年の終わりには、ロシア人捕虜、フランス人に加え、脱落したイタリア人も強制労働者に・・。
鉱山での労働では、いけ好かないロシア人よりも、裏切り者のイタリア人への敵意が強く、
身体的暴力が横行・・。鞭打たれ、満足な衣類も与えられず、蠅のように死んでいくのです。

Sowjetische Zwangsarbeiterinnen 1943 bei Erdarbeiten am Diestelkai im Hafen Hamburg.jpg

工場で重労働を強いられる東方の女性たちも、無垢な少女から成長して知恵をつけ、
所長やドイツ人上司との「密通」により副収入を得て、闇市でパンを買うことも可能。
妊娠したら「外国人の子供のための養護ホーム」が企業によって設置され、
「レーベンスボルン」とは真逆なこの施設で、劣等人種の子供たちは、
育児放棄されて、栄養失調によって見殺しになるのでした。

Ausländische_Arbeitskräfte_im_III._Reich,_Ostarbeite.jpg

1944年、連合軍がノルマンディへ上陸・・となると、ナチス・ドイツの敗北と共に、
何百万人ものヨーロッパ人を本国へ送還するという、驚くほど大規模で、
複雑な問題に連合軍は気づきます。
本書では避難民や強制移住者を"Displaced Person"の略語である「DP」として表現。

フランクフルトなどの各都市、ブッヘンヴァルトなどの強制収容所を開放する度、
工場、鉱山、農場から数万人のDPと戦争捕虜が出てきて幹線道路に溢れ、
都市はカオス状態に・・。略奪、喧嘩、強姦、殺人が1週間も続きます。

A concentration camp victim identifies an SS guard in June 1945.jpg

小集団をなすフランス人、オランダ人、ベルギー人にチェコ人、ポーランド、イタリア、
そして圧倒的多数を占める、背中に白いペンキで「SU」と書かれたソ連の捕虜たちが、
食料と寝泊まりする場所を求め、ぞろぞろと西へと歩いて移動するのです。

SU on the back of Soviet forced labourers.jpg

ハノーファーでは市庁舎の地下貯蔵庫に何百人ものロシア人が押し寄せて、
ワインや蒸留酒の樽を次々に叩き割ったことで、床は15㎝の混合酒の海となり、
しゃがみ込んでこの強烈なカクテルを呑んでいたロシア人はバタバタと倒れて、
その多くが溺死してしまいます。。
う~む。。ある意味、彼らにとって本望だったと思いたいですね。

解放されたDPの心は復讐心と飢え、歓喜であり、この3つの精神状態が結びついた結果、
行動の面で問題となったのです。
国ごとに分かれた集団はナショナル・アイデンティティの主張が強く、
リーダーを決めるにも、シラフの人間がいないため、容易ではありません。
連合軍はチフスや赤痢の蔓延を防ぐために、彼らを収容所へと追いやります。

The_British_Army_in_North-west_Europe_Ostarbeiterinnen in Osnabrück, die kurz vor ihrer geplanten Ermordung gerettet wurden, 7. April 1945.jpg

ふと思い出しましたが、フレンスブルクにあった海軍大学校が降伏したデーニッツの司令部で
英国軍からDPの襲撃に備え、歩哨を置くよう言われた結果、
この地区の司令官だったダイヤモンド章に輝くUボート・エースのリュートが、
18歳のドイツ人歩哨に誤って撃ち殺される・・という悲劇が起こっていますね。

それでも西欧の、まずフランス人労働者16万人が母国へ帰還。
30万人のベルギー人、オランダ人と続きますが、
イタリア人DPが想定の2倍、70万人もいることに驚く連合軍・・。

片や東欧のロシア人となると、コレが簡単にはいきません。
ノルマンディで捕えたドイツ軍捕虜1600名が、実はドイツ軍の軍服を着たロシア人だと解ると、
彼らがソ連全土から来たウクライナ人、中央ロシア人、ベラルーシ人、
シベリア人にモンゴル人の混成と判明。
生き延びるためにドイツ軍へ「奉仕」することを申し出た現地の助っ人、「ヒーヴィ(Hiwi)」と、
東部戦線の戦力増強のために東方義勇兵(オストトルッペン)として投入された赤軍捕虜たち。
しかし続々とパルチザンに鞍替えするために、西部戦線行きとなったのです。

German infantry and Hiwi.jpg

そしてロシア人捕虜は帰国後の運命をスターリンの発言から知っており・・。
「わが国に捕虜などいない。いるのは反逆者のみ。
最後の一発の銃弾は、つねに自分自身のためにあるべきだ」。
1939年のソフィン戦争で、フィンランド人捕虜と引き換えに返還された3万人のロシア人捕虜は、
機関銃隊に射殺され、その機関銃隊が今度はNKVDによって粛清されたのです。

また、チトーが実権を握ったユーゴスラヴィアからはクロアチア人とスロヴェニア人が逃げ出し、
英軍によって捕えられた彼ら2万7千人は、最後まで目的地はイタリアだと思っていたものの、
欺瞞工作によってユーゴ共産党に引き渡されてしまうのです。
その後の悲惨な運命は書かれていませんが、セルビア人を大虐殺したウスタシャだとすれば、
絞首刑や銃殺で済めば、万々歳といったところでしょうか・・。

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しかし一番の問題は4万人の「コサック」の扱いです。
ヤルタ会談で解放されたソ連市民はすべてロシア人へ引き渡すと明記されており、
運命を悟った彼らからは自殺者が続出・・。
このあたりはまさに「幻影 -ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語」を彷彿とさせる展開ですね。

Russkaia Osvoboditelnaia Armiia (KOS).jpg

同様に帰国を望まないウクライナ人の運命へと続きます。
8月、英軍のホロックス中将は手紙に書き記します。
「はたして彼らを帰すべきなのでしょうか?ロシア側を説得し、帰りたくない人々は、
全員この国に置いておくようにさせることはできないものでしょうか?」

また、同じウクライナでも東ウクライナはロシア正教の信者であり、ソ連の臣民、
対して西ウクライナはカトリック教徒で、元々オーストリア=ハンガリー帝国の臣民。
その後、ポーランド市民となって、独ソのポーランド侵攻によって、ウクライナ人に・・。
東ウクライナ人は帰国を希望し、「大飢饉」をを含めた複雑な歴史と、
ウクライナ人民族主義者にとっては、ロシアとポーランドは「大敵」であり、
ドイツは「伝統的な盟友」であるのです。
なんとも現在のウクライナ問題を思い起こさせますねぇ。

Many Ukrainians welcome German troops as liberators.jpg

また、別の章ではスターリングラードの戦いを起点に、非ドイツ人志願兵に参加呼びかけ、
すなわち武装SSの新師団へ参加するウクライナの若者たちの話もありました。
ドイツでの労働は免れたい彼らは、よく訓練された軍事力を持つことでロシアに対抗できると、
第14SS武装擲弾兵師団 ガリツィーエン(ウクライナ第1)が誕生。

しかし願いも虚しく、まともな訓練も受けないまま、「ブロディの戦い」へ投入され、ほぼ全滅。。
再編成後、ウクライナ国民軍第1師団となって・・と続き、
この「ガリツィーエン」に関しては初めて読んだ気がします。

14th Waffen Grenadier Division of the SS (1st Galician).jpg

またこの「ガリツィーエン」が全滅したころ、ドイツのソ連労働者の「Ost」が改変され、
ロシアとウクライナ、別々のパッチとなっていたのを発見しました。
仲悪すぎて、一緒に働かせると効率が悪かったんでしょうかね。。
ロシア人はブルークロスのマークで、これはロシア解放軍「РОА」のデザイン。
ウクライナ人は黄色と青にウクライナの国章「三叉槍」で、これもウクライナ義勇軍「YBB」と同じ。

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戦争の始まった1939年時点では、まだ独立国家だったバルト3国のDPも、
祖国がソ連に組み込まれたいま、帰国を願うのは少数派。
生き残ったDPの最大集団はポーランド人。
しかしウクライナ人と名乗るべきだった人々がココに多数含まれていたと推測。
そして強制収容所から出てきた20万人のユダヤ人、
西側占領区域には5万以上が生き残っていたものの、うち2万人が1週間と経たずに死亡。。

「戦争難民」という意味では東方から逃げてきた何百万というドイツ人も対象です。
ベルリン周辺にはホームレスとなった人々が溢れているだけでなく、
さらにチェコスロヴァキアから500万人のドイツ人が追い出され、じきにやってくるのです。

Ein erschöpfte russische Zwangsarbeiterin ruht sich im April 1945 in der Sammelstelle für Zwangsverschleppte in Würzburg auf Gepäckstücken aus.jpg

ドイツ軍の降伏後、ミュンヘン会談の侮辱やリディツェ村の虐殺などに対する報復の声が高まり、
チェコ人兵士がドイツ人をめった打ちにし、銃で撃ち、拷問にかけ、首を吊ったら火をつけ、
自警団はドイツ人を自宅から追い出し、国境の向こうへ追いやったのです。
その報復の激しさにはロシア人でさえ驚き、あるドイツ人は、婦女暴行の癖を別にすれば、
「ロシア兵の方がチェコ人より遥かに人情味があって信頼できる・・」。

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ポーランドでも追い出されたドイツ人は不幸な旅を続けます。
荷車はポーランド兵に強奪され、若い娘は悲鳴を上げながら畑へ引きずり込まれ、
わが娘を助けようとした男性は撃ち殺され・・。

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戦後2年半が過ぎても、ドイツとオーストリア、そしてイタリアにはまだ100万を超えるDPが。
DP収容所の数は762にものぼります。
マーシャルプランなどドイツ経済復興が優先事項になると、DPはルール地方の炭鉱で働き、
最大の雇い主はフォルクスワーゲン工場で、ここでは多くのウクライナ人とバルト人が・・。

German propaganda poster in Polish language _Let's do agricultural work in Germany_.jpg

後半の第15章では、「レーベンスボルン」のその後についても書かれていました。
選び抜かれたナチ党員の男性と女性が生んだ「アーリア人」の子供ではなく、
ポーランドなどから誘拐した「金髪で青い眼」をした子供たちについてです。
このような子供を捜索、発見するとドイツ人の育ての親の腕から引ったくり、
子も母もさめざめと泣くなか、本国へと帰されるのです。
しかし、実の母との再会を果たすことは少なく、ほとんどが孤児院行き・・。
子供の親が生きており、我が子を取り戻したがっているかは、二の次なのです。

Lebensborn program.jpg

西欧諸国が最終的に受け入れた難民の数は17万人。全体の1/5です。
この問題の恒久的解決策は「海の向こう」、南北アメリカと英連邦しかありません。
カナダは森林作業にバルト人の若い労働者を中心に受け入れ、
90%が英国系だった広大なオーストラリアも、防衛力不足を理由に受け入れます。
ベロン政権が移住を促進しているアルゼンチンにも多くのDPが流れ、ブラジルにも・・。
ガーランドやルーデルといった空軍出身者や、メンゲレアイヒマンなども思い出しますね。

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やっかいなのはユダヤ人の扱いです。
トルーマン大統領は1947年の日記にこう書き記します。
「ユダヤ人は物凄く利己主義だ。自分たちが特別扱いさえしてもらえれば、
多くのバルト人やポーランド人が虐待されたり、殺されたりしようと気にしない。
だが彼らが財力なり、政治力なりを持ったら、
無慈悲さや負け犬の虐待の点では、ヒトラーもスターリンも敵わない」。

そして、なんでユダヤ人に我らの土地を分け与えなければならんのだ・・と、
不満タラタラなパレスチナにイスラエルが建国されると同時に
ユダヤ人DPは、その地へと向かうのでした。

元々ドイツ系の多かった米国、フーヴァーにアイゼンハワーリンドバーグらですが、
最終的にはこの国もドイツ人を含む、多くの難民を受け入れることに・・。

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昔から海外のスポーツが好きなヴィトゲンシュタインは、
NFLの選手の名前からナニ系米国人だとかをよく想像したものです。
もう20年前ですが、確かグリーンベイ・パッカーズに○○ヴィッチという選手がいて、
ストイコヴィッチ(Stojković)のようなユーゴ系だと思いきや、スペルは"○○vich"でした。
"vic"は英語読みだと、"ヴィック"になってしまうので、末尾に"H"をつけて"vich"。
当時聞いたところでは、ヴィックと呼ばれても構わないという人と、
スペルを変えてでもヴィッチと呼ばれたい人の差だそうで、
お父さん、お爺さんの代に変更したんでしょう。

現在ならテニス界で、錦織くんのライバル、カナダのラオニッチ(Raonic)も
少し前までラオニックと英語読みされてましたが、モンテネグロ出身なのでラオニッチに統一。
同様にオーストラリアのトミッチ(Tomic)は、まだ日本ではトミックとも呼ばれてますが、
親父さんはクロアチア人だし、大抵の審判もトミッチと呼んでいます。
まぁ、そんな移民の、名前からしての苦労も想像できますね。
いま売出し中のアルゼンチン人、ディエゴ・シュワルツマン(Diego Schwartzman)くんも
ナチ党員の移民の子孫だったりして・・なんて不謹慎なことを考えてみたり・・。

Raonic_Tomic_Schwartzman.jpg

本書のターゲットはあくまで一般の避難民(DP)であり、ドイツ軍捕虜は対象外となっています。
ですから、その捕虜たちの運命を知りたい方は、パウル・カレルの名著「捕虜」や、
消えた百万人」を読まれればよいでしょう。特に前者は超オススメです。

Berlin in Summer of 1945 (5).jpg

読み終えて、当初は各国の避難民がどれくらい悲惨な暮らしを強いられたのか??
に注目していましたが、結果的には戦後のイスラエル建国の経緯や、
現在、世界中に暮らしているの移民の2世、3世に思いを馳せたり、
そういえばドイツ系の英国人、その逆の英国系ドイツ人ってあまり聞かないな・・など、
戦後の難民たちの希望と、各国の思惑によって、紛争を含めた現在の世界が
出来上がったということがある程度、理解出来ました。

そして特に現在のロシア-ウクライナ問題に通じる歴史や、
近年、ドイツに対する戦後補償を求める当時の人々との裁判の話などは、
日本も隣国から求められたものとも似ていることが印象的でした。



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トイフェリン

こんばんは、プリンツ!
やはり肉食民族は、やる側・やられる側、どちらになっても徹底してますね(^^;
それにしても、ロシア人より酷いって……
エイリアンですか(ToT)

話題からはズレますが、最近、軍事漫画の良いのを見つけました。
「軍靴のバルツァー」と「ディーヴチー・ヴァールカ」。
前者は騎兵の時代が終わり、機銃と鉄条網の時代になっていく頃の架空の国(ただし、バイエルン臭濃いめ)と周辺国が舞台、後者はフス戦争のチェコの話です。
絵柄は二つともアニメ風味ですが、内容や考証は、なかなかですよ♪
by トイフェリン (2015-05-15 17:57) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、トイフェリン・・さん。。
復讐は怖いですよねぇ。
個人的にはウスタシャのその後・・、クロアチア人vsセルビア人のエゲツない殺戮戦の模様を知りたいと思いつつも、繊細な自分には無理かな?? と・・。

「軍靴のバルツァー」はなんとなく聞いたことありましたね。
漫画と言えども、こういうのはその時代の戦争を知る取っ掛かりに良いですよね。
by ヴィトゲンシュタイン (2015-05-16 08:40) 

さくら

こんにちは。
戦争が終わった……とは言っても、延々えげつないことが続きますか。
恨みがなくても貧窮しているところにドバっと人間があふれ出たら大混乱ですもんね。
しかも、恨みがあるとなると……。
でも、「市民」でこうなら「捕虜」は……。
考えたくない(-_-;)

ところで原点のような疑問ですが、ヒトラーはなんでそんなに金髪信仰なんでしょうね?
自分、黒髪やん……。
自分で言ってて「何か変だ」と思わないんでしょうか?

by さくら (2015-05-18 21:10) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、さくらさん。
まぁ、本書は大変でした。書きませんでしたが、占領されなかった勝者の英国でも暫くは食糧配給が続いていたのに、大陸へ食糧援助するとなって、英国民は「おいおい、勘弁してくれよ・・」となったそうです。彼らの気持ちもよくわかりますね。

ビートルズも「Back in the U.S.S.R」で「ウクライナ娘にゃシビレちゃう」と歌ってたり、キエフが世界の美人都市No.1に選ばれた・・とか、ウクライナは昔から美人揃いで知られてますね。
ヒトラーはロベルト・ライの奥さんで金髪の美しいインゲに心を奪われて・・なんて話もあったように、たんに金髪女性好きだったのかも知れません。

ただ、本人が「偉大なアーリア人たる者、金髪であるべし」みたいなことを喋ったり、「わが闘争」でも「金髪うんぬん」は書いてなかったかと・・。
ですから、金髪信仰というのはどうかと思っています。

碧眼、長身、金髪のイメージは、ヒムラーらを中心としたSSのプロパガンダから派生したようにも感じます。
それまでのナチ党のイメージ、褐色のチンピラ軍団SAから、黒のエリート軍団SSへと変化していく過程において・・ですね。

そういえば、確かさくらさんも読まれた「ヒトラー・ジョーク」のひとつを思い出しました。

ヒトラーのようにブロンドで、
ゲッベルスのように大きく、
ゲーリングのようにスマートで、
レームのように純潔。



by ヴィトゲンシュタイン (2015-05-19 06:36) 

さくら

あっ!
そう言えば……。
ヒトラーは「アーリア人」としか言ってなくて、ヒムラーが勝手にその条件を決めたのですか。
そう言えば、そうかも。
でも、そのヒムラーも金髪じゃないですね。
でも、まあ「もの凄い矛盾を言っているのが、ヒムラー」なら、納得しました(笑)。

ウクライナ、綺麗ですねー。
フィギュアスケートとかで「美人!」と思ったらたいがいウクライナです。
ロシアも美女、多そうですが。

by さくら (2015-05-19 13:26) 

ヴィトゲンシュタイン

まぁ、ヒムラーが決めたっていう極端なことじゃなくて、ナチ党をそれまでのやさぐれ集団からスマートな集団に見せようという、全体的なイメージ戦略だと考えます。
また、アーリア人、ゲルマン民族、北方人種という3つの表現も、その意味合いは違うし(重複部分もあります)、現在の研究と、80年前にナチ党が人種学的コレコレである・・と言っていたことも、また違ってたりするようなのでね。

あと、上のジョークにヒムラーが出てこないように、秘密警察のボスも兼ねるヒムラーは一般市民の前には出てきません。だから、パレード行進するSSライプシュタンダルテが格好良ければそれでいいんですよ。

by ヴィトゲンシュタイン (2015-05-19 19:26) 

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