大西洋防壁 -ノルマンディ要塞の真実- [ドイツ海軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
広田 厚司 著の「大西洋防壁」を読破しました。
今年の7月に出た322ページの本書は、珍しいテーマだと思いつつも、
過去に読んだ著者の本の記述にムラがあるので、どうしようかと見送っていました。
しかし先日、本屋さんで手に取ってみると、小さいながらも写真が2~3ページに1枚と
盛りだくさんということで購入。
結論を先に書いてしまうと、「当たり」です。
「ドイツ高射砲塔」と同レベルの、費用対効果に優れた一冊でした。

第1章は「沿岸防衛」と題して、1940年の西方電撃戦の勝利から、
英国本土上陸作戦の策定など、ドイツ軍が大西洋まで進出した経緯を簡単に解説。
しかしまずはブレスト、ロリアン、サン・ナゼール港に出撃基地を獲得したUボート戦隊のために
英国の爆撃に堪えうる大規模かつ、強固なUボート・ブンカーの建設が優先されます。

第2章は巨大な大西洋防壁を担当した「軍事建設組織」の紹介です。
砲台、対爆壕、歩兵陣地など、総合的な築城面を担当した陸軍技術専門部隊に、
障害物や爆薬運用、地雷設置担当の歩兵師団工兵大隊、
コンクリートの厚さが1mを超えない堡塁や構造物に責任を持った陸軍建築大隊、
要塞の兵器類とトンネル掘削、図面など監督的な仕事の要塞工兵と要塞大隊。
そして大戦中、このような要塞工兵の指導者であり続けた
工兵総監アルフレート・ヤコブ中将を写真付きで紹介します。
ただ、「騎士十字章の保有者であり・・」と書かれていますが、
正しくは「戦功騎士十字章」の保有者だと思います。
コレは結構、大きな違いなんですよねぇ。しかし、ハルダーに似てる人だなぁ。
_Kriegsverdienstkreuz201.Klasse20mit20Schwertern.jpg)
沿岸砲台建設に投入された「RAD」と、その総裁であるコンスタンチン・ヒールルも詳しく。
「第三帝国のスポーツVol.2」で紹介した、この若者による労働奉仕団と
ヒールルについて、これだけ触れられている和書は珍しいですね。
ただ、本書に書かれている「労働戦線」という和名は違うでしょう。
ロベルト・ライの「DAF」が労働戦線であり、「RAD」はその配下の労働奉仕団です。

最後の組織が「トート機関(OT)」です。
アウトバーンの建築総監であったフリッツ・トートによって、軍事建築組織となり、
1938年から翌年にかけて「西方の壁(ジークフリート・ライン)」の
有名な「竜の歯」を10万名のRADの若者と、35万名のトート機関の労働者が建築。

1943年には100万名を超えるまでになりますが、ドイツ人労働者以外にも、
女性も含む外国人労働者に、戦争捕虜や軽犯罪者までが多く存在します。
そんな莫大な数の労働者を指揮するトート機関の官僚や技師、指揮官に通訳は、
チェコ陸軍の軍服を転用して、独自の制服と階級章を着用したそうです。

トート博士は1942年2月に飛行機事故で死亡し、後任にはシュペーアが選ばれます。
ここで著者はシュペーアも一緒に乗るはずだったのに、直前に中止した件に触れていて
遠回しに「トート暗殺説」を展開しています。
しかし実際に大西洋防壁建築の実務的責任を果たしたのは、
トート機関の副総裁ともいえるフランツ・シャーバー・ドルシェという人物です。
工科大学で土木技術を学び、ミュンヘン一揆にも参加した古参ナチ党員で
ボルマンと組んで上司のシュペーアの追い落としも図ります。
そんな彼は終戦後は起訴されず、米軍欧州戦史部でトート機関の1000ページの報告書を
作成し、それが本書の基礎データになっているそうです。

ここまでの51ページもなかなか面白い内容ですが、第3章「大西洋防壁」からがメインです。
本格的な建築作業は1940年8月にフランス防衛に任じたD軍集団参謀長であり、
後に陸軍参謀総長となったツァイツラーによって認可され、
「奴隷商人」と紹介されるザウケルが、100万人以上のフランス人を徴募する指令を発します。
そんな彼らも写真付きで、もちろん建築中の巨大な壕や、円形の砲床の写真も。
通常サイズの壕の屋根と壁は2mのコンクリートで、重砲台なら3m以上にもなります。
1943年以降に規格化された壕シリーズ複数も図版を用いて詳しく解説します。

完成した壕を運用するのはドイツ3軍です。
陸軍は上陸した敵軍との戦闘を交えるための、沿岸砲兵陣地と、強固な陣地壕に責任を持ち、
海軍は重砲である海軍沿岸砲の運用と、捜索レーダー設備に責任を、
空軍は対空砲陣地と対空監視レーダー、陸軍と共に戦う「空軍地上師団」も配備されます。
まさにこれぞ有名なドイツ軍の分業制ですね。
要は、侵攻してきた連合軍の大船団に対して攻撃するのは、海に責任を持つ海軍であり、
敵戦闘機や爆撃機は空軍が、上陸した歩兵と戦車を陸軍が狙う・・ということです。。仲悪いなぁ。

さらに瀕死の東部戦線に人員を持っていかれますから、35歳以上の年寄り兵や傷病兵、
志願した捕虜のロシア兵、さらにインド人義勇兵も守備に就くのです。
映画で言えば、B級映画どころか、C級、D級映画ってところかな。。

第4章は「大西洋防壁の背景」という、やや不明な章が・・。
早い話、東部戦線が大変なヒトラーが、なぜ西方の防衛に力を入れたのかの検証ですね。
ダンケルクから撤退した英軍は、北はノルウェーから、度々、コマンド部隊を送り込み、
サン・ナゼールに駆逐艦キャンベルタウンを突っ込ませた「チャリオット作戦」に、
ディエップに奇襲上陸した「ジュビリー作戦」を紹介します。

そして第5章は「ノルウェーからチャンネル諸島まで」の防衛施設の状況へ。
ナルヴィク港を防衛するのは、「ハーシュタ・トロンデンスヘイム岬砲台」で、
40.6㎝という最大のアドルフ砲を4門、38㎝砲も4門を擁したノルウェー最大の沿岸砲です。
このアドルフ砲は戦艦ビスマルク級に続く、H級超弩級戦艦の主砲で
超弩級戦艦自体は建造中止になったものの、主砲は完成していたんですね。
現在も美しく保存されているようですが、「ナヴァロンの要塞」の巨砲を彷彿とさせます。

ノルウェー南部のベルゲン港を受け持つのは、巡洋戦艦グナイゼナウの28㎝3連装B砲塔です。
ヒトラーに「役立たず」と言われて、廃棄された巡洋戦艦の成れの果て・・。

デンマークにも38㎝砲を装備する巨大砲台が2ヵ所、
ドイツ本土と、オランダ、ベルギーにも数々の防衛拠点ができ、
小さなヘルゴラント島にも海軍砲兵派遣隊と、海軍対空派遣隊が1個づつ置かれます。
おっと、この島はいつもコメント戴くドイツ在住のIZMさんの見事なレポートがありました。

ルントシュテットの西方軍は、B軍集団司令官のロンメル、G軍集団のブラスコヴィッツがおり、
ザルムートの第15軍、ドルマンの第7軍、クルト・フォン・デア・シュヴァルリーの第1軍が
それぞれフランス沿岸の防衛を担当します。
もちろん統括して指揮するロンメルも、アスパラガスを植えたりと、忙しい日々。。

ブローニュ~カレー~ダンケルク間は27ヵ所の重砲台が設置され、
大西洋防壁でも最も良く防御された地区となります。
なかでも40.6㎝アドルフ砲3門を装備した「リンデマン砲台」は、
1943年の完成当初、「グロースドイッチュランド砲台」と呼ばれていたものの、
戦艦ビスマルクのリンデマン艦長にちなんで、「リンデマン砲台」になったそうです。
なにか「ドイツ海軍の力」を珍しく感じさせるエピソードですね。

1940年に設置された38㎝砲4門の「ジークフリート砲台」も同様に、
1942年に亡くなったトート博士の名を頂戴して「トート砲台」に変更・・。
英国領だったチャンネル諸島を占領したドイツ軍はジャージー島や
ガーンジー島にも多くの沿岸砲台を設置します。
30.5㎝砲の「ミルス砲台」の写真は面白いですね。
農家に偽装して、傾いた煙突だと思わせたいのか、なんなんだ??

現在も遺跡の残った観光地みたいです。行ってみたいっす。

ラ・ロッシェルの20.3㎝砲「コラ砲台」は重巡ザイトリッツの主砲・・・という話は興味深かったです。
そもそもこのBlogでも紹介したことのない未完成のアドミラル・ヒッパー級重巡で、
有名な3番艦プリンツ・オイゲンに続く、4番艦がザイトリッツでした。
本書ではこの重巡について詳しく書かれていないので、ちょっと調べてみました。
艦名はフリードリヒ大王の騎兵大将として知られる
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツですが、第2次大戦のザイトリッツと言えば、
その子孫であり、スターリングラードで降伏し、反ヒトラー派となった
第6軍第51軍団長のヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハを思い出します。
そして重巡ザイトリッツの建造が中止になったのは1943年1月、
第51軍団長のザイトリッツが降伏したのも同じく1943年1月です。
なにか因縁があるのか、ヒトラーが縁起が悪いと考えたのか・・。
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第6章は「兵器」。
今まで登場した巨大な沿岸砲を40.6㎝から詳しく性能を解説します。
先に書いた「戦艦ビスマルク級に続く、H級超弩級戦艦の主砲で・・」というのも
この章で書かれており、38㎝の「ジークフリート砲」がビスマルク級の主砲であるなど、
話が細切れであんまり章分けする必要性は感じません。

ただし、「戦車砲塔」を用いた要塞陣地は印象的で、
ベルギーのリゾート地、オステンドでACG-1戦車の砲塔から海を見つめるドイツ兵が笑えました。
このACG-1とは、ルノーAMC35戦車のベルギー版のようで、主砲は47mm戦車砲です。
同じ写真ではありませんが、この2人のドイツ兵は何を思っているのでしょう・・。
もし連合軍の史上最大の大船団が見えてしまっても、とりあえず戦闘準備するのかなぁ。

だいぶ錆び付いてきたなぁ。
たまには掃除でもすっか。

何ヶ所かに設置されていたんでしょうか。
カワイイ砲塔ですから、チビッ子にも大人気。

ドイツのⅠ号戦車からⅣ号戦車もこの方式で使用され、
Ⅴ号パンターの陣地砲塔は山岳防衛前線で連合軍の戦闘車両を撃退したそうです。
ちなみに砲塔下は鋼鉄の箱になっていて、3~4人の戦闘員が入れるそうな・・。

あ~、ベルリン攻防戦で道路にティーガーの砲塔置いたのも、同じシステムなんですね。

まだまだ「列車砲」まで出てきました。
28㎝、シュベーレ・ブルーノ砲など写真も豊富ですが、
沿岸砲台として配備されなかった最大の列車砲、80㎝の怪物ドーラまで紹介。
まぁ、著者は「ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」も書いてますから、勢いでしょう。

第7章は「ドーバー海峡砲撃戦」。
これまで登場してきた巨砲や列車砲たちが、40㌔離れた英国南部の
ドーバーの町を目掛けてブッ放し、2284発が着弾。市民200人以上が死亡します。
一方、英国側にも沿岸砲があり、1942年2月のドイツ艦隊によるドーバー海峡白昼突破の
「ツェルベルス作戦」に対して砲撃をしますが、命中弾を与えられず・・。
最後の第8章は「結末」として「史上最大の作戦」のメルヴィル砲台と、
「彼らは来た」のマルクフ海岸砲を巡る攻防戦を紹介します。
メルヴィル砲台はそれ自体が博物館になっているようですね。

ハルダーが「1944年7月まで陸軍参謀総長」とわざわざカッコ書きで書かれていたりと
(正しくは1942年9月)、相変わらず、記述に雑な部分もありますが、
それらを割り引いても、本書はとてもマニアックで、この方面に興味のある人間には
充分満足できる一冊でしょう。
同じようなテーマを扱った本として、2006年発刊のハードカバー、
「第三帝国の要塞―第二次世界大戦におけるドイツの防御施設および防衛体制」がありますが、
定価4500円と高いですし、内容の比較はしてませんが、本書はお買い得だと思います。
また、洋書では「柏葉騎士十字章受勲者写真集」のPour Le Meriteからカラー写真集、
「Atlantikwall」が2冊出ていて、これは欲しくなっちゃいました。

広田 厚司 著の「大西洋防壁」を読破しました。
今年の7月に出た322ページの本書は、珍しいテーマだと思いつつも、
過去に読んだ著者の本の記述にムラがあるので、どうしようかと見送っていました。
しかし先日、本屋さんで手に取ってみると、小さいながらも写真が2~3ページに1枚と
盛りだくさんということで購入。
結論を先に書いてしまうと、「当たり」です。
「ドイツ高射砲塔」と同レベルの、費用対効果に優れた一冊でした。

第1章は「沿岸防衛」と題して、1940年の西方電撃戦の勝利から、
英国本土上陸作戦の策定など、ドイツ軍が大西洋まで進出した経緯を簡単に解説。
しかしまずはブレスト、ロリアン、サン・ナゼール港に出撃基地を獲得したUボート戦隊のために
英国の爆撃に堪えうる大規模かつ、強固なUボート・ブンカーの建設が優先されます。

第2章は巨大な大西洋防壁を担当した「軍事建設組織」の紹介です。
砲台、対爆壕、歩兵陣地など、総合的な築城面を担当した陸軍技術専門部隊に、
障害物や爆薬運用、地雷設置担当の歩兵師団工兵大隊、
コンクリートの厚さが1mを超えない堡塁や構造物に責任を持った陸軍建築大隊、
要塞の兵器類とトンネル掘削、図面など監督的な仕事の要塞工兵と要塞大隊。
そして大戦中、このような要塞工兵の指導者であり続けた
工兵総監アルフレート・ヤコブ中将を写真付きで紹介します。
ただ、「騎士十字章の保有者であり・・」と書かれていますが、
正しくは「戦功騎士十字章」の保有者だと思います。
コレは結構、大きな違いなんですよねぇ。しかし、ハルダーに似てる人だなぁ。
_Kriegsverdienstkreuz201.Klasse20mit20Schwertern.jpg)
沿岸砲台建設に投入された「RAD」と、その総裁であるコンスタンチン・ヒールルも詳しく。
「第三帝国のスポーツVol.2」で紹介した、この若者による労働奉仕団と
ヒールルについて、これだけ触れられている和書は珍しいですね。
ただ、本書に書かれている「労働戦線」という和名は違うでしょう。
ロベルト・ライの「DAF」が労働戦線であり、「RAD」はその配下の労働奉仕団です。

最後の組織が「トート機関(OT)」です。
アウトバーンの建築総監であったフリッツ・トートによって、軍事建築組織となり、
1938年から翌年にかけて「西方の壁(ジークフリート・ライン)」の
有名な「竜の歯」を10万名のRADの若者と、35万名のトート機関の労働者が建築。

1943年には100万名を超えるまでになりますが、ドイツ人労働者以外にも、
女性も含む外国人労働者に、戦争捕虜や軽犯罪者までが多く存在します。
そんな莫大な数の労働者を指揮するトート機関の官僚や技師、指揮官に通訳は、
チェコ陸軍の軍服を転用して、独自の制服と階級章を着用したそうです。

トート博士は1942年2月に飛行機事故で死亡し、後任にはシュペーアが選ばれます。
ここで著者はシュペーアも一緒に乗るはずだったのに、直前に中止した件に触れていて
遠回しに「トート暗殺説」を展開しています。
しかし実際に大西洋防壁建築の実務的責任を果たしたのは、
トート機関の副総裁ともいえるフランツ・シャーバー・ドルシェという人物です。
工科大学で土木技術を学び、ミュンヘン一揆にも参加した古参ナチ党員で
ボルマンと組んで上司のシュペーアの追い落としも図ります。
そんな彼は終戦後は起訴されず、米軍欧州戦史部でトート機関の1000ページの報告書を
作成し、それが本書の基礎データになっているそうです。

ここまでの51ページもなかなか面白い内容ですが、第3章「大西洋防壁」からがメインです。
本格的な建築作業は1940年8月にフランス防衛に任じたD軍集団参謀長であり、
後に陸軍参謀総長となったツァイツラーによって認可され、
「奴隷商人」と紹介されるザウケルが、100万人以上のフランス人を徴募する指令を発します。
そんな彼らも写真付きで、もちろん建築中の巨大な壕や、円形の砲床の写真も。
通常サイズの壕の屋根と壁は2mのコンクリートで、重砲台なら3m以上にもなります。
1943年以降に規格化された壕シリーズ複数も図版を用いて詳しく解説します。

完成した壕を運用するのはドイツ3軍です。
陸軍は上陸した敵軍との戦闘を交えるための、沿岸砲兵陣地と、強固な陣地壕に責任を持ち、
海軍は重砲である海軍沿岸砲の運用と、捜索レーダー設備に責任を、
空軍は対空砲陣地と対空監視レーダー、陸軍と共に戦う「空軍地上師団」も配備されます。
まさにこれぞ有名なドイツ軍の分業制ですね。
要は、侵攻してきた連合軍の大船団に対して攻撃するのは、海に責任を持つ海軍であり、
敵戦闘機や爆撃機は空軍が、上陸した歩兵と戦車を陸軍が狙う・・ということです。。仲悪いなぁ。

さらに瀕死の東部戦線に人員を持っていかれますから、35歳以上の年寄り兵や傷病兵、
志願した捕虜のロシア兵、さらにインド人義勇兵も守備に就くのです。
映画で言えば、B級映画どころか、C級、D級映画ってところかな。。

第4章は「大西洋防壁の背景」という、やや不明な章が・・。
早い話、東部戦線が大変なヒトラーが、なぜ西方の防衛に力を入れたのかの検証ですね。
ダンケルクから撤退した英軍は、北はノルウェーから、度々、コマンド部隊を送り込み、
サン・ナゼールに駆逐艦キャンベルタウンを突っ込ませた「チャリオット作戦」に、
ディエップに奇襲上陸した「ジュビリー作戦」を紹介します。

そして第5章は「ノルウェーからチャンネル諸島まで」の防衛施設の状況へ。
ナルヴィク港を防衛するのは、「ハーシュタ・トロンデンスヘイム岬砲台」で、
40.6㎝という最大のアドルフ砲を4門、38㎝砲も4門を擁したノルウェー最大の沿岸砲です。
このアドルフ砲は戦艦ビスマルク級に続く、H級超弩級戦艦の主砲で
超弩級戦艦自体は建造中止になったものの、主砲は完成していたんですね。
現在も美しく保存されているようですが、「ナヴァロンの要塞」の巨砲を彷彿とさせます。

ノルウェー南部のベルゲン港を受け持つのは、巡洋戦艦グナイゼナウの28㎝3連装B砲塔です。
ヒトラーに「役立たず」と言われて、廃棄された巡洋戦艦の成れの果て・・。

デンマークにも38㎝砲を装備する巨大砲台が2ヵ所、
ドイツ本土と、オランダ、ベルギーにも数々の防衛拠点ができ、
小さなヘルゴラント島にも海軍砲兵派遣隊と、海軍対空派遣隊が1個づつ置かれます。
おっと、この島はいつもコメント戴くドイツ在住のIZMさんの見事なレポートがありました。

ルントシュテットの西方軍は、B軍集団司令官のロンメル、G軍集団のブラスコヴィッツがおり、
ザルムートの第15軍、ドルマンの第7軍、クルト・フォン・デア・シュヴァルリーの第1軍が
それぞれフランス沿岸の防衛を担当します。
もちろん統括して指揮するロンメルも、アスパラガスを植えたりと、忙しい日々。。

ブローニュ~カレー~ダンケルク間は27ヵ所の重砲台が設置され、
大西洋防壁でも最も良く防御された地区となります。
なかでも40.6㎝アドルフ砲3門を装備した「リンデマン砲台」は、
1943年の完成当初、「グロースドイッチュランド砲台」と呼ばれていたものの、
戦艦ビスマルクのリンデマン艦長にちなんで、「リンデマン砲台」になったそうです。
なにか「ドイツ海軍の力」を珍しく感じさせるエピソードですね。

1940年に設置された38㎝砲4門の「ジークフリート砲台」も同様に、
1942年に亡くなったトート博士の名を頂戴して「トート砲台」に変更・・。
英国領だったチャンネル諸島を占領したドイツ軍はジャージー島や
ガーンジー島にも多くの沿岸砲台を設置します。
30.5㎝砲の「ミルス砲台」の写真は面白いですね。
農家に偽装して、傾いた煙突だと思わせたいのか、なんなんだ??

現在も遺跡の残った観光地みたいです。行ってみたいっす。

ラ・ロッシェルの20.3㎝砲「コラ砲台」は重巡ザイトリッツの主砲・・・という話は興味深かったです。
そもそもこのBlogでも紹介したことのない未完成のアドミラル・ヒッパー級重巡で、
有名な3番艦プリンツ・オイゲンに続く、4番艦がザイトリッツでした。
本書ではこの重巡について詳しく書かれていないので、ちょっと調べてみました。
艦名はフリードリヒ大王の騎兵大将として知られる
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツですが、第2次大戦のザイトリッツと言えば、
その子孫であり、スターリングラードで降伏し、反ヒトラー派となった
第6軍第51軍団長のヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハを思い出します。
そして重巡ザイトリッツの建造が中止になったのは1943年1月、
第51軍団長のザイトリッツが降伏したのも同じく1943年1月です。
なにか因縁があるのか、ヒトラーが縁起が悪いと考えたのか・・。
.jpg)
第6章は「兵器」。
今まで登場した巨大な沿岸砲を40.6㎝から詳しく性能を解説します。
先に書いた「戦艦ビスマルク級に続く、H級超弩級戦艦の主砲で・・」というのも
この章で書かれており、38㎝の「ジークフリート砲」がビスマルク級の主砲であるなど、
話が細切れであんまり章分けする必要性は感じません。

ただし、「戦車砲塔」を用いた要塞陣地は印象的で、
ベルギーのリゾート地、オステンドでACG-1戦車の砲塔から海を見つめるドイツ兵が笑えました。
このACG-1とは、ルノーAMC35戦車のベルギー版のようで、主砲は47mm戦車砲です。
同じ写真ではありませんが、この2人のドイツ兵は何を思っているのでしょう・・。
もし連合軍の史上最大の大船団が見えてしまっても、とりあえず戦闘準備するのかなぁ。

だいぶ錆び付いてきたなぁ。
たまには掃除でもすっか。

何ヶ所かに設置されていたんでしょうか。
カワイイ砲塔ですから、チビッ子にも大人気。

ドイツのⅠ号戦車からⅣ号戦車もこの方式で使用され、
Ⅴ号パンターの陣地砲塔は山岳防衛前線で連合軍の戦闘車両を撃退したそうです。
ちなみに砲塔下は鋼鉄の箱になっていて、3~4人の戦闘員が入れるそうな・・。

あ~、ベルリン攻防戦で道路にティーガーの砲塔置いたのも、同じシステムなんですね。

まだまだ「列車砲」まで出てきました。
28㎝、シュベーレ・ブルーノ砲など写真も豊富ですが、
沿岸砲台として配備されなかった最大の列車砲、80㎝の怪物ドーラまで紹介。
まぁ、著者は「ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」も書いてますから、勢いでしょう。

第7章は「ドーバー海峡砲撃戦」。
これまで登場してきた巨砲や列車砲たちが、40㌔離れた英国南部の
ドーバーの町を目掛けてブッ放し、2284発が着弾。市民200人以上が死亡します。
一方、英国側にも沿岸砲があり、1942年2月のドイツ艦隊によるドーバー海峡白昼突破の
「ツェルベルス作戦」に対して砲撃をしますが、命中弾を与えられず・・。
最後の第8章は「結末」として「史上最大の作戦」のメルヴィル砲台と、
「彼らは来た」のマルクフ海岸砲を巡る攻防戦を紹介します。
メルヴィル砲台はそれ自体が博物館になっているようですね。

ハルダーが「1944年7月まで陸軍参謀総長」とわざわざカッコ書きで書かれていたりと
(正しくは1942年9月)、相変わらず、記述に雑な部分もありますが、
それらを割り引いても、本書はとてもマニアックで、この方面に興味のある人間には
充分満足できる一冊でしょう。
同じようなテーマを扱った本として、2006年発刊のハードカバー、
「第三帝国の要塞―第二次世界大戦におけるドイツの防御施設および防衛体制」がありますが、
定価4500円と高いですし、内容の比較はしてませんが、本書はお買い得だと思います。
また、洋書では「柏葉騎士十字章受勲者写真集」のPour Le Meriteからカラー写真集、
「Atlantikwall」が2冊出ていて、これは欲しくなっちゃいました。

しばらく太平洋戦争の続き記事になるのかな?と予測していたら。
ドシロートのワタクシめの記事が貴ブログにてご紹介して頂き光栄至極です。
広田 厚司氏の「武装親衛隊」の本が未だ最初の数ページで読み止しのまま枕元にあるのですが、昨晩なぜか作者名が異様なまでに視界に訴えかけてくるような気がしていたのは、ヴィト様お得意のチャネ(以下略
ラ・ロッシェルって、行った事ある場所なんですが。。。。こういうのあるんですねえ。(今はもうないのかな?)行った当時は特にそういう興味も無かったころだから、もし見たとしてもどうって事は無かったかもしれませんがwww
砲塔だけの設置でも、戦力になるのですねえ。。。確かにお子様受けしそうな感じです。「秘密基地♪」みたいなノリで顔を出してる子供らがかわいいです。
by IZM (2013-12-11 18:29)
太平洋戦争・・。厳しいなぁ。
なんとなく・・なんですけど、わからないことが多いという問題だけじゃなくて、日本人としてリアル過ぎて、レビューが書き難い・・ということがありますね。
「武装親衛隊」も悪い本じゃないので、ぜひ頑張って完読してもらいたいところですが、確かに昨日、この記事仕上げてて、チャネったかも知れません。。
>砲塔だけの設置でも、戦力になるのですねえ。。。
これを最初にやったのは赤軍かも知れませんね。
砲塔だけというより、戦車の車体を埋めて、砲塔だけ出した・・ってヤツですが。。
今日のUボートの記事、拝見しました。
やっぱりキッチンとトイレ、気になりますよねぇ。
インタビューも翻訳して戴いて、助かりました。また観たくなってきた!
by ヴィトゲンシュタイン (2013-12-11 20:11)
ヴィトゲンシュタインさんの読み込みって凄いですね。いつもランキング上位におられるので、拝見していますが、毎回感心しています。
今後も頑張ってください。
by chokou (2013-12-12 16:47)
chokouさん。はじめまして。
ソネブロの方からコメント戴くのは大変珍しいことなので、妙に嬉しいです。
ありがとうございました。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-12-12 20:12)
ヴィトゲンシュタイン様こんばんは、いつもながらすばらしく詳しい内容ですね、ヴィトゲンシュタイン様の面目躍如というところでしょうか。私などはただただ、感心して読ませていただきました。なにせ知らないことや、知らない人の名前がたくさん出てきて、(汗)、すぐに顔が思い浮かんだのは、ルントシュテットさんとあの人のよさそうなハニーフェイスのシュぺーアさんくらいです。まことにお恥ずかしいかぎりです(滝のような汗)、ロンメル元帥の写真と文章ありがとうございます。今回の私にとっては難しい内容のなかで元帥の事について触れてくださったのは嬉しかったです。それから、以前すすめてくださった「北アフリカ戦線 」が本日手元に届きましたこれからも、もりもり勉強します。では、ごきげんよう。
by ルーツィエ・マリア・ロンメル (2013-12-13 20:44)
ど~も。 ルーツィエ・マリアさん。
今回はいままでにないテーマでしたから、いろいろ気になった部分を調べたりと、本のレビューっていうより、個人的な勉強の成果発表みたいな感じになってしまいました。
ボクも工兵総監ヤコブ中将とか、トート機関のドルシェなんて知りませんでしたし、逆にそういう人物を新たに知ることに喜びを感じてます。
「北アフリカ戦線」、お役に立つといいですね。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-12-14 11:38)