ニュールンベルク裁判 -暴虐ナチへ“墓場からの告発”- [第二次世界大戦ブックス]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
レオ・カーン著の「ニュールンベルク裁判」を読破しました。
過去に紹介した「ニュルンベルク・インタビュー」と、「ニュルンベルク軍事裁判」に続く、
3回目のニュルンベルク裁判モノの紹介です。
しかし、先の2冊がいずれも上下巻の大作であったのに比べ、
本書は1974年の第二次世界大戦ブックスだけあって、204ページとコンパクトです。
それにしても副題が最高すぎます。。
「暴虐ナチへ“墓場からの告発”」・・。
ナチスが悪役なのはごもっともとしても、今じゃつけられないような副題ですね。
まるで、ナチス・ゾンビとか、C級ホラー映画の邦題みたいで笑ってしまいます。
終戦後の裁判に至る前段階として、1943年の10月に起こった出来事。
一つは国連戦争委員会の正式設立で、1945年3月までに2000人の戦犯リストを作成。
二つ目はルーズヴェルト、チャーチル、スターリンの3首脳が署名した「モスクワ宣言」。
この宣言では戦犯を2つに分け、別の裁判を行うことを選択します。
「小物」の扱いは以下のとおりです。
「残虐行為、殺害、処刑に責任を持つか、承認したドイツ軍将兵およびナチ党員は、
犯行が行われた諸国へ送還され、裁判を受けて処罰される」。
ルドルフ・ヘースなどの強制収容所所長とか、ワルシャワ・ゲットー鎮圧のシュトロープ、
マルメディ虐殺のパイパーなんかがこの部類に入るんでしょうね。
そして「大物」たちについては漠然とした表現で、
「特別の地理的場所を持たない戦犯たちは、連合国政府の共同決定によって処罰される」。
この1943年10月という時期を考えると、東部戦線ではクルスク戦が終わって、
ソ連軍の逆襲が始まり、南では北アフリカから連合軍がイタリアへ・・という状況ですから、
ホロコーストを筆頭としたナチス・ドイツの蛮行がこれから明るみになってくるわけですね。
そして連合軍が勝利した戦後早々に、裁判に向けた意識合せがロンドンで行われます。
主導権を握る米国は、ナチの戦争が不法であったという論拠で、
フランスなどドイツに占領された国々は、ナチが集団強盗であったことを示そうと、
ソ連は基本的には米国と同じ考え方ながらも、条件付き・・。
それは「犯罪の定義は、ドイツとその同盟国の行った侵略行為にハッキリと限られるべきである」。
1939年のポーランド侵攻からがナチの犯罪として、裁判の対象となったことから、
東からポーランドに侵攻し、その後、フィンランドにも攻め入ったソ連としては、
自分たちは対象外にしてもらうのが条件になるわけです。
「共同謀議」、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」の内容が定義され、
「上官の命令」をもとに行動したと証明できても、責任は逃れられず・・・、といった
判断の難しい問題も定義されています。
そのための証拠集めが始まると、ナチの哲学者で東方占領地域相だった
ローゼンベルクの記録がとある城の壁の隠し場所から発見され、
外務省のほとんど完全な記録、500㌧も押収。
ポーランド総督のハンス・フランクは逮捕時に大量の日記を引き渡します。
こうして始まったニュルンベルクの裁判。四ヵ国の裁判官と検事らが紹介されますが、
初めての「同時通訳システム」も導入します。
「大物」と認定された24人の戦犯も、本書はプロマイドのように写真付きで紹介。
するといきなり、「ロベルト・ライはこの便所用の水道管にタオルをくくりつけて自殺した」と、
その不気味な ↓ 写真が・・。
幸い、ライの死体写真はありませんでしたが、
「1945年、敗戦で夢破れて自殺したライプチヒ市長一家」というキャプションで
2ページぶち抜きの写真が出てきて、相変わらずこのシリーズはビックリします。
この人、アルフレート・フライブルクという1939年から市長を務めていた古参ナチ党員です。
奥さんと娘さんも一緒かぁ。。
1945年11月21日の第1日目は罪状認否。
被告全員は無罪を申し立てますが、唯一、欠席中のボルマンについても、
「無罪を申し立てたものと推定された」そうです。そんな決めつけなくてもねぇ・・。
被告たちは総統について、「脅迫的な嘘つき」であり、
「成功によって狂人に変わった神経病患者」であり、
「自国民の破壊者」であることに気付いたものの、手を打つには遅すぎたと語ります。
そして変態的なユダヤ人嫌いのシュトライヒャーは当然ながら、
RSHA長官のカルテンブルンナーも「SSのブタ野郎」と被告仲間からも嫌われ、
副総裁ヘスは「進行性健忘症」・・。
麻薬中毒から復活したゲーリングが統一戦線を築こうと頑張りますが、
それに反発するのはシュペーアという図式です。
重要な証言者たちも登場。
「ナチ指導部の根本的目標はヨーロッパ大陸の支配であった」と証言するのは、
ヒトラーの通訳だったシュミット。
悪名高い「コミッサール命令」について証言するのは、オーレンドルフ。
このことはOKW作戦次長だったヴァーリモント将軍も同意見です。
アウシュヴィッツ強制収容所の実情については所長のヘースが証言し、
リディツェ村やオラドゥール村の虐殺行為、ワルシャワの鎮圧、
ローゼンベルク特別部隊による、絵画や彫刻などの美術品の組織的な略奪行為も
明らかにされていきます。
つい先日、みのもんたの居なくなった「朝ズバッ!」から、
突然、「退廃芸術」という聞きなれたフレーズが流れてきましたが、
ミュンヘンで「ナチス略奪絵画1500点発見」というニュースでした。
「ナチスは当時、ドイツや欧州各地でユダヤ人の所有する美術品を多数、没収したり
買いたたいたりして略奪した。」
まぁ、没収が略奪なのはわかりますが、買いたたくのが略奪なのかはわかりません。
しかし最近、ナチス関連ニュースが多いですね。
1年近くに及ぶ裁判。判決の時が近づいてきます。
しかしドイツにも優れた弁護人がおり、「あなたも同じ」作戦を繰り出します。
特に「無制限潜水艦戦争を行った罪」で告発されたレーダーとデーニッツですが、
米英両国も明らかに同じことを行っていたという理由で、コレについては罪を免除。
また、告発されたのは個人だけではありません。
ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SS、SA、内閣、軍参謀部および軍司令部の7つの組織が該当。
結局のところ、ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SSが犯罪組織と認定されますが、
こういう結果からも国防軍や参謀本部が潔癖であると言われるようになったんでしょうか。
ただし、裁判官の満場一致ではなく、ソ連の裁判官ニキチェンコ将軍は不服意見です。
予期された被告12人に死刑判決が下ります。
この人数に収まったことについて著者は、情状酌量の状態が考慮されたと推察します。
最後の章では「裁判の総括」として、「ほぼ、完全に公平であった」とも結論付けています。
その一方で、ロンドン会議の席で米代表が適用される法は、連合国側が同様の犯罪を犯せば、
それにも適用されなければならないと主張して、ソ連側と対立したように、
第2次大戦後、ドイツと日本に適用された法が、それ以降、他の国の
主要戦犯には適用されておらず、また近い将来に適用される見込みもない・・
という事実に目をつぶってはならないと締め括っています。
まぁ、勝利国による裁判ですから、ドコまでが公正公平なのか・・ですね。
「ニュルンベルク・インタビュー」は、ナチスの被告たちの精神状態を検証したもの。
「ニュルンベルク軍事裁判」は裁判全体をドラマティックに描いたもの。
そして本書はニュルンベルク裁判そのものの意義を振り返ったもの・・、
という風に区別できると思います。
ボリュームは無くても、相変わらずうまくまとめられた第二次世界大戦ブックスで、
この裁判について知りたいと思われる方にはピッタリです。
まだ、ヴェルナー・マーザーの「ニュルンベルク裁判―ナチス戦犯はいかにして裁かれたか」
が残っていますが、そろそろ「東京裁判」モノも気になっているところです。
しかしナニを読めば良いのやら。。
レオ・カーン著の「ニュールンベルク裁判」を読破しました。
過去に紹介した「ニュルンベルク・インタビュー」と、「ニュルンベルク軍事裁判」に続く、
3回目のニュルンベルク裁判モノの紹介です。
しかし、先の2冊がいずれも上下巻の大作であったのに比べ、
本書は1974年の第二次世界大戦ブックスだけあって、204ページとコンパクトです。
それにしても副題が最高すぎます。。
「暴虐ナチへ“墓場からの告発”」・・。
ナチスが悪役なのはごもっともとしても、今じゃつけられないような副題ですね。
まるで、ナチス・ゾンビとか、C級ホラー映画の邦題みたいで笑ってしまいます。
終戦後の裁判に至る前段階として、1943年の10月に起こった出来事。
一つは国連戦争委員会の正式設立で、1945年3月までに2000人の戦犯リストを作成。
二つ目はルーズヴェルト、チャーチル、スターリンの3首脳が署名した「モスクワ宣言」。
この宣言では戦犯を2つに分け、別の裁判を行うことを選択します。
「小物」の扱いは以下のとおりです。
「残虐行為、殺害、処刑に責任を持つか、承認したドイツ軍将兵およびナチ党員は、
犯行が行われた諸国へ送還され、裁判を受けて処罰される」。
ルドルフ・ヘースなどの強制収容所所長とか、ワルシャワ・ゲットー鎮圧のシュトロープ、
マルメディ虐殺のパイパーなんかがこの部類に入るんでしょうね。
そして「大物」たちについては漠然とした表現で、
「特別の地理的場所を持たない戦犯たちは、連合国政府の共同決定によって処罰される」。
この1943年10月という時期を考えると、東部戦線ではクルスク戦が終わって、
ソ連軍の逆襲が始まり、南では北アフリカから連合軍がイタリアへ・・という状況ですから、
ホロコーストを筆頭としたナチス・ドイツの蛮行がこれから明るみになってくるわけですね。
そして連合軍が勝利した戦後早々に、裁判に向けた意識合せがロンドンで行われます。
主導権を握る米国は、ナチの戦争が不法であったという論拠で、
フランスなどドイツに占領された国々は、ナチが集団強盗であったことを示そうと、
ソ連は基本的には米国と同じ考え方ながらも、条件付き・・。
それは「犯罪の定義は、ドイツとその同盟国の行った侵略行為にハッキリと限られるべきである」。
1939年のポーランド侵攻からがナチの犯罪として、裁判の対象となったことから、
東からポーランドに侵攻し、その後、フィンランドにも攻め入ったソ連としては、
自分たちは対象外にしてもらうのが条件になるわけです。
「共同謀議」、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」の内容が定義され、
「上官の命令」をもとに行動したと証明できても、責任は逃れられず・・・、といった
判断の難しい問題も定義されています。
そのための証拠集めが始まると、ナチの哲学者で東方占領地域相だった
ローゼンベルクの記録がとある城の壁の隠し場所から発見され、
外務省のほとんど完全な記録、500㌧も押収。
ポーランド総督のハンス・フランクは逮捕時に大量の日記を引き渡します。
こうして始まったニュルンベルクの裁判。四ヵ国の裁判官と検事らが紹介されますが、
初めての「同時通訳システム」も導入します。
「大物」と認定された24人の戦犯も、本書はプロマイドのように写真付きで紹介。
するといきなり、「ロベルト・ライはこの便所用の水道管にタオルをくくりつけて自殺した」と、
その不気味な ↓ 写真が・・。
幸い、ライの死体写真はありませんでしたが、
「1945年、敗戦で夢破れて自殺したライプチヒ市長一家」というキャプションで
2ページぶち抜きの写真が出てきて、相変わらずこのシリーズはビックリします。
この人、アルフレート・フライブルクという1939年から市長を務めていた古参ナチ党員です。
奥さんと娘さんも一緒かぁ。。
1945年11月21日の第1日目は罪状認否。
被告全員は無罪を申し立てますが、唯一、欠席中のボルマンについても、
「無罪を申し立てたものと推定された」そうです。そんな決めつけなくてもねぇ・・。
被告たちは総統について、「脅迫的な嘘つき」であり、
「成功によって狂人に変わった神経病患者」であり、
「自国民の破壊者」であることに気付いたものの、手を打つには遅すぎたと語ります。
そして変態的なユダヤ人嫌いのシュトライヒャーは当然ながら、
RSHA長官のカルテンブルンナーも「SSのブタ野郎」と被告仲間からも嫌われ、
副総裁ヘスは「進行性健忘症」・・。
麻薬中毒から復活したゲーリングが統一戦線を築こうと頑張りますが、
それに反発するのはシュペーアという図式です。
重要な証言者たちも登場。
「ナチ指導部の根本的目標はヨーロッパ大陸の支配であった」と証言するのは、
ヒトラーの通訳だったシュミット。
悪名高い「コミッサール命令」について証言するのは、オーレンドルフ。
このことはOKW作戦次長だったヴァーリモント将軍も同意見です。
アウシュヴィッツ強制収容所の実情については所長のヘースが証言し、
リディツェ村やオラドゥール村の虐殺行為、ワルシャワの鎮圧、
ローゼンベルク特別部隊による、絵画や彫刻などの美術品の組織的な略奪行為も
明らかにされていきます。
つい先日、みのもんたの居なくなった「朝ズバッ!」から、
突然、「退廃芸術」という聞きなれたフレーズが流れてきましたが、
ミュンヘンで「ナチス略奪絵画1500点発見」というニュースでした。
「ナチスは当時、ドイツや欧州各地でユダヤ人の所有する美術品を多数、没収したり
買いたたいたりして略奪した。」
まぁ、没収が略奪なのはわかりますが、買いたたくのが略奪なのかはわかりません。
しかし最近、ナチス関連ニュースが多いですね。
1年近くに及ぶ裁判。判決の時が近づいてきます。
しかしドイツにも優れた弁護人がおり、「あなたも同じ」作戦を繰り出します。
特に「無制限潜水艦戦争を行った罪」で告発されたレーダーとデーニッツですが、
米英両国も明らかに同じことを行っていたという理由で、コレについては罪を免除。
また、告発されたのは個人だけではありません。
ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SS、SA、内閣、軍参謀部および軍司令部の7つの組織が該当。
結局のところ、ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SSが犯罪組織と認定されますが、
こういう結果からも国防軍や参謀本部が潔癖であると言われるようになったんでしょうか。
ただし、裁判官の満場一致ではなく、ソ連の裁判官ニキチェンコ将軍は不服意見です。
予期された被告12人に死刑判決が下ります。
この人数に収まったことについて著者は、情状酌量の状態が考慮されたと推察します。
最後の章では「裁判の総括」として、「ほぼ、完全に公平であった」とも結論付けています。
その一方で、ロンドン会議の席で米代表が適用される法は、連合国側が同様の犯罪を犯せば、
それにも適用されなければならないと主張して、ソ連側と対立したように、
第2次大戦後、ドイツと日本に適用された法が、それ以降、他の国の
主要戦犯には適用されておらず、また近い将来に適用される見込みもない・・
という事実に目をつぶってはならないと締め括っています。
まぁ、勝利国による裁判ですから、ドコまでが公正公平なのか・・ですね。
「ニュルンベルク・インタビュー」は、ナチスの被告たちの精神状態を検証したもの。
「ニュルンベルク軍事裁判」は裁判全体をドラマティックに描いたもの。
そして本書はニュルンベルク裁判そのものの意義を振り返ったもの・・、
という風に区別できると思います。
ボリュームは無くても、相変わらずうまくまとめられた第二次世界大戦ブックスで、
この裁判について知りたいと思われる方にはピッタリです。
まだ、ヴェルナー・マーザーの「ニュルンベルク裁判―ナチス戦犯はいかにして裁かれたか」
が残っていますが、そろそろ「東京裁判」モノも気になっているところです。
しかしナニを読めば良いのやら。。
このところ忙しく、記事を拝見させていただくのが久しぶりになりました。
東京裁判に関しては児島襄のものが読みやすかったです。(中公から二巻組のものが出ていたと思います。)
もっとも本格的な本になればどれほどのものがあるのか見当すらつかないですが。
あとはDVDだと映画「東京裁判」がありますね。評価はさまざまですが。
別記事のことになりますが、あの頃のアヤックスは強かったですね。
ワールドカップでも私はオランダ好きです。
by ジャルトミクソン (2013-11-15 10:28)
ど~も。お久ぶりです。
児島襄の「東京裁判」、早速、買いました!
「ヒトラーの戦い」10巻読んでますから、安心します。
>あの頃のアヤックスは強かったですね。
そうですよね。当時、ケーブルTVでスポーツi ESPNが写ってて、オランダ・サッカーとチャンピオンズ・リーグを放送全試合観てました。
ボクはナショナル・チームだと、イングランド、オランダ、ドイツ流しです。
明日の日本戦も楽しみですね。
お忙しい中、コメント、ありがとうございました。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-11-15 19:39)