独裁者の妻たち [女性と戦争]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
アンティエ・ヴィントガッセン著の「独裁者の妻たち」を読破しました。
先週、チトー関連の本を探していた際に見つけた2003年発刊の本書。
スターリン、ムッソリーニ、フランコ、毛沢東、チャウシェスク、ペロン、ホーネッカー、
チトー、ミロシェヴィッチという20世紀の独裁者の妻たちを描いたものだということですが、
チトーも含め、詳しく知らない面々にも惹かれて、早速、読んでみましたが、
読破後に驚くようなことが起こりました。
著者はドイツ人女性のようですが、「はじめに」では本書に欠けている名前として
最期にヒトラーの妻となった、エヴァ・ブラウンを挙げています。
しかし、近年の数多くの出版物を勘案して、彼女については断念したそうで、
このBlogでも、ヒトラー/ナチスの女性モノでは「エヴァ・ブラウン -ヒトラーの愛人-」筆頭に、
「ナチスの女たち -第三帝国への飛翔-」、「ナチスの女たち -秘められた愛-」、
「ヒトラーをめぐる女性たち」とかなり紹介していますから、
実はヒトラー関連が外されているのが本書を選んだ理由でもあります。
まずは「スターリンの妻たち」からです。
34ページに3人の女性が登場し、最初の妻、エカテリーナ・スワニーゼの生い立ちに、
スターリンがまだ小物の革命家「コーバ」として収容所からの脱走を繰り返し、
1907年、病によって25歳にして最期を迎えようとするエカテリーナに、
死んだら正教会の儀式に則って埋葬する・・という約束を残して去っていくコーバ・・。
奥さんの話だけでなく、旦那の政治的活動もシッカリと書かれているのがわかりやすいですね。
例えば、息子のヤーシャ(ヤーコフ)が1941年にドイツ軍の捕虜になるも、
スターリンは捕虜交換の提案に無関心。
自分を育ててくれた養父母が、自分の父親によって逮捕、処刑されたことを知ったヤーシャは
深い絶望に陥って、捕虜収容所の鉄条網に突進。
銃弾が雨あられと撃ち込まれて、彼の希望は叶えられるのでした。
次の奥さんはナジェージダ・アリルーエワです。
まぁ、彼女については「スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-」や、「対比列伝 ヒトラーとスターリン」
とたいして変わらないですかね。問題は本当に自殺なのか・・?? ということです。
そして3番目の妻として、ローザ・カガノヴィチを紹介します。
1933年、54歳のスターリンは、側近のラーザリ・カガノヴィチの妹であり、野心家ながらも
栗色の髪、緑の目、鼻筋の通った魅力的な27歳のローザと知り合います。
数ヵ月後には結婚を申し込むスターリンに、チャンスを逃さないローザ。
ベッドでの愛人かつ、前妻の子供ワシーリーとスヴェトラーナに加え、
秘書ヨルカ・アンドレエブナの間にできた5歳のボリスの継母になることも心得ています。
しかし2年後の1935年には結婚生活に終止符が打たれ、
ローザは忽然と姿を消し、後にはこの結婚自体が否定されたということです。
次の独裁者はムッソリーニ。
「賢明なる正妻」として紹介されるのはラケーレ・ムッソリーニです。
1890年生まれで、両親は貧しい小作農。
ムッソリーニと出会って、1910年に長女エッダを出産。
後に、外相チアーノの奥さんになる人ですね。
その後も子宝に恵まれ、旦那も「全国ファシスト党」を率いて1922年に首相に・・。
衝動的で無邪気なムッソリーニが浮気を繰り返していることは知りつつも、
愛する妻と子どもたちを捨てることは決してない・・と確信しています。
彼女が共著で書いた「素顔の独裁者―わが夫ムッソリーニ」という本があるんですね。
1932年、国民の人気者「ドゥーチェ」の大ファンだった19歳のクララ(クラレッタ)・ペタッチが
ヴェネツィア宮殿の執務室に招かれ、愛人になることを承諾します。
それから2年間、ほぼ毎日のように逢引きを重ねますが、
ムッソリーニの助言もあって空軍少尉のリカルド・フェデリーチと結婚するものの、
1年後には母の手助けで愛するムッソリーニのもとへ現れ、
邪魔な空軍少尉は直ちに東京のイタリア大使館付き武官として旅立つことに・・。
ムッソリーニが失脚して監禁されると、ペタッチ一家も逮捕されてしまいます。
しかしスコルツェニーの救出作戦と同時に、ラケーレと子どもたちもドイツ軍特殊部隊が解放し、
ペタッチ一家も数日後、刑務所から釈放されるのでした。
ここからはラケーレとクラレッタの直接対決など、以前に読んだ話となり、
「誰がムッソリーニを処刑したか」のような展開で逃亡したムッソリーニとクラレッタは
銃殺されてミラノで晒し者に・・。
本書ではクラレッタ本人というよりも、ペタッチ一家の野心について厳しめで、
1984年の映画、「クラレッタ・ペタッチの伝説」によって、
偉大な愛人という神話になったとしています。
フランコの奥さん、カルメン・ポロは資産家で土地の有力者の両親の子どもとして生まれます。
17歳の時、慈善パーティで23歳のフランシスコ・フランコに出会い、
厳しい父親の反対もなんのその、北アフリカのスペイン外人部隊司令官となったフランコと結婚。
1936年に始まったスペイン内戦、1939年にフランコが勝利すると、
夫妻は住居をマドリード近郊のエル・パルド宮殿に決め、スッカリ改装させて優雅な暮らしを・・。
「国家元首継承法」によってフランコが終身国家元帥としてスペインを統治した後は、
ブルボン家が国王として自分の後継者になることを定めたことで、
妻のカルメンは、国王の存在しない君主制下の統治者とは国王に等しい・・と考えます。
そして自らを王妃と見なして、宮殿にはスペイン中の宝物が運び込まれ、
催しの際にカルメンが登場する際には「王妃のマーチ」が演奏されます。
まぁ、貴族の娘ですから、こんなもんでしょうねぇ。。
毛沢東の奥さん、江青は一筋縄ではいきません。
偉大な女優になるという野心溢れた16歳の少女は、演劇学校の校長と関係を持とうと決心。
その後、上海では著名な映画評論家に喰いついたかと思えば、次は映画監督。
しかし女優として華々しくデビューすることは叶わず、放り出され、
1937年に日中戦争が始まると共産党に入党し、演劇部門で働きます。
そして出会った20歳年上の45歳の毛沢東。
政治局からは禁欲令が発せられて、快楽は悪徳とされていたこの時期に、
愛の経験豊かな江青の手にかかり、道徳観念はさっさと捨てて欲望に屈します。
1939年に結婚し、夫の個人秘書から、最終的には党のNo.4まで上り詰めた江青。
毛沢東の死後、死刑判決を受け、その後に無期懲役に減刑されるものの、
1991年に首つり自殺。
1958年には「大躍進」と呼ばれたキャンペーンは破局し、大飢饉が・・、
といった話も多く、なかなか勉強になりますね。
今度、「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958-1962」を読んでみようか。。
「ルーマニアのドラキュラ伯爵夫人」として登場するのは、エレナ・チャウシェスクです。
1989年当時、TVで見たベルリンの壁崩壊のニュースも印象的でしたが、
ルーマニアの大統領夫妻が銃殺されるシーンも、繰り返し流れましたね。
1916年、貧しい農家の生まれで、14歳で紡績工場の女工として働きますが、
ほどなく売春婦として副収入を得ることに・・。
1937年に共産党に入党してニコラエ・チャウシェスクと出会いますが、
戦争が始まるとニコラエは逮捕され、エレナは再び、昔の副業に手を染めます。
しかしドイツと共に戦ったルーマニアは1944年、ソ連に蹂躙され、
赤軍をバックに共産主義者のチャウシェスクは右肩上がりで出世を掴むのでした。
1960年代に子どもたちも大きくなると、博士号の肩書に執着するエレナ。
小学校すら満足に出ていないにもかかわらず、「イソプレンの特殊重合」といった
博士論文でチャウシェスク工学博士と呼ばれるように・・。
もちろん書いたのは、とある大学教授です。
その後も100以上の学術論文を発表し、1974年に夫が大統領に就任すると
外国旅行の際にはどこの大学が名誉博士号を授与してくれるのかが関心事。
学術教育制度国家評議会の総裁に加え、首相代理にも任命されて大満足です。
1984年、多くの外国の首都を見てきた大統領夫妻は、首都ブカレストを
その名声にふさわしいものにしようと、巨大な政府宮殿「人民の家」の建築に着手。
7000もの部屋がある大プロジェクトに、2万人の労働者が3交替制で働きますが、
経済は衰弱の一途を辿り、全土が飢餓に苦しみます。
そして1989年12月、現実を無視した政府に対して抗議の声が市民から上がると、
デモは膨れ上がり、大統領によるデモ隊への発砲命令も国防大臣と将軍らが拒否。
クリスマス、遂に夫妻は捕えられ、即決裁判で銃殺刑になるのでした。
「エビータ」として知られるエバ・ペロンは、「貧者の聖母を演じきった女」として紹介。
やっぱり貧困の出で、ブレノスアイレスで女優を目指し、
1944年に24歳年上のファン・ドミンゴ・ペロンと知り合い、愛人に・・。
その後、大統領夫人となって、社会福祉制度の一環として「エバ・ペロン財団」を設立。
多くの病院や老人ホーム、孤児院などを建設しますが、
子宮ガンにより、33歳の若さで死去。
本書のまとめとしては慈悲を施す天使という表向きの顔とは裏腹に、
陰謀を巡らし、欲しいものはなりふりかまわず手に入れる女が隠れていた・・、
としていますが、それほど非難されるようには感じなかったですけどね。。
東ドイツのボスということではウルブリヒトよりもホーネッカー議長の名を覚えています。
その奥さん、マーゴットは1927年生まれで、共産党員の父親は1933年に逮捕されて、
その後、ブッヘンヴァルト強制収容所送り、釈放後、第999懲罰大隊で西部戦線へ・・、
とマーゴットは語っているそうですが、著者はその信憑性を疑っています。
戦後、若くて綺麗な娘マーゴットはドイツ共産党へ入党し、
下心の見える視線を浴びつつ、幹部候補生のキャリアを歩み始めるのです。
1953年にエーリヒ・ホーネッカーと結婚すると、旦那は政治局委員、
彼女には人民教育大臣というポストが与えられます。
そして1976年にエーリヒ・ホーネッカーが国家元首となり、
教育制度の全権を握るマーゴットは、東ドイツの子どもたちに
マルクス=レーニン主義に基づいた統制と二枚舌教育を実施するのでした。
1924年、ボスニアとの境界に近いクロアチアの山村に生まれたヨヴァンカ。
16歳の時にドイツ/イタリア枢軸国が祖国を占領し、
ウスタシャの指導者アンテ・パヴェリッチが「独立国クロアチア」を創立し、
セルビア人やユダヤ人数十万人が民族浄化によって追放、殺害されると、
チトーをリーダーとした共産主義者はパルチザンとして立ち上がります。
1942年、そんなパルチザンに女性闘士として身を投じたヨヴァンカ。
1945年、新たにユーゴスラヴィア連邦人民共和国が誕生し、
チトーはドナウ流域などの18世紀に入植したドイツ人の粛清に乗り出します。
ドイツ人の居住する何百という村々の一軒一軒にパルチザンが回り、
拷問の末、森へ連れて行って射殺。
両親を奪われた数千人のドイツ人の子どもたちは、収容施設で強制的に「スラヴ化」。
「チトーは君たちの父であり、国家は君たちの母である!」
1948年、チトーの愛する奥さんが27歳の若さで急死すると、
ベオグラードの白亜の宮殿で少尉として働いていたヨヴァンカに声がかかります。
それは偉大な元帥との一晩のお相手・・。
それ以降、必要な時に傍らに控え、スターリンと西側諸国を相手に激務に明け暮れるチトーに
安らぎを与える存在であり続けるヨヴァンカ。
1952年、ついに敬愛するチトーは彼女に求婚するのでした。
ファーストレディとしてチトーの外国訪問にも付き添い、夫の良き助言者にまでなります。
本書に登場する妻たちのなかで、唯一、非の打ちどころのない女性ですね。
しかし1980年にチトーが死去すると、この多民族国家は瓦解を始め、
ヨヴァンカは自宅軟禁に・・。
25年間の華やかなファーストレディの生活の後、25年間も続く自宅軟禁です。
「私の治める国には、二種類の文字、三つの言語、四つの宗教があり、
六つの共和国の中に五つの国籍と八つの少数民族が存在する。
そしてわが国は七つの国々と国境を接している」というチトーの言葉。
映画「アンダーグラウンド」のラストシーンでもこのような言葉が語られましたね。
と、ここまで書いて、本書のレビューの仕上げに入っていた昨日、
ヨヴァンカが88歳で亡くなったというニュースが。。
7月の「津山三十人殺し」の時にも読んでる最中に、
山口県周南市「5人連続殺人事件」が起こりましたし、今回もゾクっとしました。。
そもそも先週、突然チトーを調べたくなって、本書を知って、ヨヴァンカが一番印象的で、
そして彼女が亡くなってしまうというのは、どういうことなんでしょう。
もちろん単なる偶然だと思いますが、ご冥福をお祈りいたします。
最後はミロシェヴィッチ大統領の奥さん、ミリャナ・マルコヴィッチです。
チトーに続いてユーゴの独裁者ですが、1990年代のユーゴ内戦の時期ですね。
1942年にミリャナを出産し、2年後に裏切り者として殺されたパルチザンの母親。
黒い髪のぽっちゃりした少女に育ったミリャナですが、目立たず、友人もいません。
そんな学生時代、同じく友人もおらず、おそろしく退屈な奴と旧友から言われていた
スロボダン・ミロシェヴィッチと出会い、切っても切れない仲に・・。
1965年に大学を卒業し、結婚。もちろん揃ってチトーの共産党員です。
ミリャナが舵を取り、スロボダンが汗を流す・・という完璧なタンデムで、
ベオグラードの党書記からセルビア共産党の議長に上り詰めた旦那に
ベオグラード大学でマルクス主義の講座を獲るほどのミリャナ教授。
1989年に大統領になるとコソヴォでのセルビア人とアルバニア人の紛争に介入し、
その後、全土で内戦へと発展。NATOによる空爆も・・。
国連の制裁下、彼らの周辺では闇取引で大金を儲け、汚職と賄賂が横行します。
ミリャナ自身も「ユーゴスラヴィア左翼連合」を結成して政治に介入し、
大統領の旦那は完全にチトーの後継者を自負する彼女の言いなりです。
1日に9回も奥さんに電話をかけ、しかも会話が政治問題になると
「可愛い子ちゃん」とか、「ミーちゃん」などと幼児語で。。
この内戦の結果、大統領を退陣し、2001年に逮捕されたスロボダン。
オランダはハーグの戦犯法廷に引き渡されますが、
非難はされたものの、ミリャナは自由の身です。
原著は2002年ですから、スロボダンが2006年に独房で死亡したところまでは
当然ながら書かれていません。
原著のタイトルは「権力と契りを結んで」というものですから、
「妻」ではないクラレッタ・ペタッチが登場するのはOKですね。
285ページというソコソコのボリュームですが、非常に充実した一冊でした。
1900年代初頭のスターリンから、2000年のミロシェヴィッチまで、ほぼ時系列ですし、
なにより旦那である独裁者も生い立ちから、その独裁政治の様子まで
書かれているのが良かったですね。
同時代に生きた妻たち、例えばエレナ・チャウシェスクが江青と会ったり、
エバ・ペロンがカルメン・ポロと会ったり、妻たちの外交もリンクしてて楽しめました。
似たような本として、去年に出た「女と独裁者―愛欲と権力の世界史」があります。
こちらはムッソリーニ、レーニン、ヒトラー、スターリン、毛沢東、チャウシェスク。
読み比べてみるのも一興かも知れません。
それにしても、おかげでまたいろんな本を読んでみたくなりました。
特に旧ユーゴはナチス・ドイツに興味が出る前から勉強しようと思っていて、
"ピクシー"・ストイコヴィッチの「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」と、
「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記」は何度読んで、その都度、涙したことか・・。
改めて、「図説 バルカンの歴史」を読んで勉強してみます。
それともう一冊、名著「ニセドイツ」の共産趣味インターナショナル VOL1である
「アルバニアインターナショナル」も読んでみようかな。。
アンティエ・ヴィントガッセン著の「独裁者の妻たち」を読破しました。
先週、チトー関連の本を探していた際に見つけた2003年発刊の本書。
スターリン、ムッソリーニ、フランコ、毛沢東、チャウシェスク、ペロン、ホーネッカー、
チトー、ミロシェヴィッチという20世紀の独裁者の妻たちを描いたものだということですが、
チトーも含め、詳しく知らない面々にも惹かれて、早速、読んでみましたが、
読破後に驚くようなことが起こりました。
著者はドイツ人女性のようですが、「はじめに」では本書に欠けている名前として
最期にヒトラーの妻となった、エヴァ・ブラウンを挙げています。
しかし、近年の数多くの出版物を勘案して、彼女については断念したそうで、
このBlogでも、ヒトラー/ナチスの女性モノでは「エヴァ・ブラウン -ヒトラーの愛人-」筆頭に、
「ナチスの女たち -第三帝国への飛翔-」、「ナチスの女たち -秘められた愛-」、
「ヒトラーをめぐる女性たち」とかなり紹介していますから、
実はヒトラー関連が外されているのが本書を選んだ理由でもあります。
まずは「スターリンの妻たち」からです。
34ページに3人の女性が登場し、最初の妻、エカテリーナ・スワニーゼの生い立ちに、
スターリンがまだ小物の革命家「コーバ」として収容所からの脱走を繰り返し、
1907年、病によって25歳にして最期を迎えようとするエカテリーナに、
死んだら正教会の儀式に則って埋葬する・・という約束を残して去っていくコーバ・・。
奥さんの話だけでなく、旦那の政治的活動もシッカリと書かれているのがわかりやすいですね。
例えば、息子のヤーシャ(ヤーコフ)が1941年にドイツ軍の捕虜になるも、
スターリンは捕虜交換の提案に無関心。
自分を育ててくれた養父母が、自分の父親によって逮捕、処刑されたことを知ったヤーシャは
深い絶望に陥って、捕虜収容所の鉄条網に突進。
銃弾が雨あられと撃ち込まれて、彼の希望は叶えられるのでした。
次の奥さんはナジェージダ・アリルーエワです。
まぁ、彼女については「スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-」や、「対比列伝 ヒトラーとスターリン」
とたいして変わらないですかね。問題は本当に自殺なのか・・?? ということです。
そして3番目の妻として、ローザ・カガノヴィチを紹介します。
1933年、54歳のスターリンは、側近のラーザリ・カガノヴィチの妹であり、野心家ながらも
栗色の髪、緑の目、鼻筋の通った魅力的な27歳のローザと知り合います。
数ヵ月後には結婚を申し込むスターリンに、チャンスを逃さないローザ。
ベッドでの愛人かつ、前妻の子供ワシーリーとスヴェトラーナに加え、
秘書ヨルカ・アンドレエブナの間にできた5歳のボリスの継母になることも心得ています。
しかし2年後の1935年には結婚生活に終止符が打たれ、
ローザは忽然と姿を消し、後にはこの結婚自体が否定されたということです。
次の独裁者はムッソリーニ。
「賢明なる正妻」として紹介されるのはラケーレ・ムッソリーニです。
1890年生まれで、両親は貧しい小作農。
ムッソリーニと出会って、1910年に長女エッダを出産。
後に、外相チアーノの奥さんになる人ですね。
その後も子宝に恵まれ、旦那も「全国ファシスト党」を率いて1922年に首相に・・。
衝動的で無邪気なムッソリーニが浮気を繰り返していることは知りつつも、
愛する妻と子どもたちを捨てることは決してない・・と確信しています。
彼女が共著で書いた「素顔の独裁者―わが夫ムッソリーニ」という本があるんですね。
1932年、国民の人気者「ドゥーチェ」の大ファンだった19歳のクララ(クラレッタ)・ペタッチが
ヴェネツィア宮殿の執務室に招かれ、愛人になることを承諾します。
それから2年間、ほぼ毎日のように逢引きを重ねますが、
ムッソリーニの助言もあって空軍少尉のリカルド・フェデリーチと結婚するものの、
1年後には母の手助けで愛するムッソリーニのもとへ現れ、
邪魔な空軍少尉は直ちに東京のイタリア大使館付き武官として旅立つことに・・。
ムッソリーニが失脚して監禁されると、ペタッチ一家も逮捕されてしまいます。
しかしスコルツェニーの救出作戦と同時に、ラケーレと子どもたちもドイツ軍特殊部隊が解放し、
ペタッチ一家も数日後、刑務所から釈放されるのでした。
ここからはラケーレとクラレッタの直接対決など、以前に読んだ話となり、
「誰がムッソリーニを処刑したか」のような展開で逃亡したムッソリーニとクラレッタは
銃殺されてミラノで晒し者に・・。
本書ではクラレッタ本人というよりも、ペタッチ一家の野心について厳しめで、
1984年の映画、「クラレッタ・ペタッチの伝説」によって、
偉大な愛人という神話になったとしています。
フランコの奥さん、カルメン・ポロは資産家で土地の有力者の両親の子どもとして生まれます。
17歳の時、慈善パーティで23歳のフランシスコ・フランコに出会い、
厳しい父親の反対もなんのその、北アフリカのスペイン外人部隊司令官となったフランコと結婚。
1936年に始まったスペイン内戦、1939年にフランコが勝利すると、
夫妻は住居をマドリード近郊のエル・パルド宮殿に決め、スッカリ改装させて優雅な暮らしを・・。
「国家元首継承法」によってフランコが終身国家元帥としてスペインを統治した後は、
ブルボン家が国王として自分の後継者になることを定めたことで、
妻のカルメンは、国王の存在しない君主制下の統治者とは国王に等しい・・と考えます。
そして自らを王妃と見なして、宮殿にはスペイン中の宝物が運び込まれ、
催しの際にカルメンが登場する際には「王妃のマーチ」が演奏されます。
まぁ、貴族の娘ですから、こんなもんでしょうねぇ。。
毛沢東の奥さん、江青は一筋縄ではいきません。
偉大な女優になるという野心溢れた16歳の少女は、演劇学校の校長と関係を持とうと決心。
その後、上海では著名な映画評論家に喰いついたかと思えば、次は映画監督。
しかし女優として華々しくデビューすることは叶わず、放り出され、
1937年に日中戦争が始まると共産党に入党し、演劇部門で働きます。
そして出会った20歳年上の45歳の毛沢東。
政治局からは禁欲令が発せられて、快楽は悪徳とされていたこの時期に、
愛の経験豊かな江青の手にかかり、道徳観念はさっさと捨てて欲望に屈します。
1939年に結婚し、夫の個人秘書から、最終的には党のNo.4まで上り詰めた江青。
毛沢東の死後、死刑判決を受け、その後に無期懲役に減刑されるものの、
1991年に首つり自殺。
1958年には「大躍進」と呼ばれたキャンペーンは破局し、大飢饉が・・、
といった話も多く、なかなか勉強になりますね。
今度、「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958-1962」を読んでみようか。。
「ルーマニアのドラキュラ伯爵夫人」として登場するのは、エレナ・チャウシェスクです。
1989年当時、TVで見たベルリンの壁崩壊のニュースも印象的でしたが、
ルーマニアの大統領夫妻が銃殺されるシーンも、繰り返し流れましたね。
1916年、貧しい農家の生まれで、14歳で紡績工場の女工として働きますが、
ほどなく売春婦として副収入を得ることに・・。
1937年に共産党に入党してニコラエ・チャウシェスクと出会いますが、
戦争が始まるとニコラエは逮捕され、エレナは再び、昔の副業に手を染めます。
しかしドイツと共に戦ったルーマニアは1944年、ソ連に蹂躙され、
赤軍をバックに共産主義者のチャウシェスクは右肩上がりで出世を掴むのでした。
1960年代に子どもたちも大きくなると、博士号の肩書に執着するエレナ。
小学校すら満足に出ていないにもかかわらず、「イソプレンの特殊重合」といった
博士論文でチャウシェスク工学博士と呼ばれるように・・。
もちろん書いたのは、とある大学教授です。
その後も100以上の学術論文を発表し、1974年に夫が大統領に就任すると
外国旅行の際にはどこの大学が名誉博士号を授与してくれるのかが関心事。
学術教育制度国家評議会の総裁に加え、首相代理にも任命されて大満足です。
1984年、多くの外国の首都を見てきた大統領夫妻は、首都ブカレストを
その名声にふさわしいものにしようと、巨大な政府宮殿「人民の家」の建築に着手。
7000もの部屋がある大プロジェクトに、2万人の労働者が3交替制で働きますが、
経済は衰弱の一途を辿り、全土が飢餓に苦しみます。
そして1989年12月、現実を無視した政府に対して抗議の声が市民から上がると、
デモは膨れ上がり、大統領によるデモ隊への発砲命令も国防大臣と将軍らが拒否。
クリスマス、遂に夫妻は捕えられ、即決裁判で銃殺刑になるのでした。
「エビータ」として知られるエバ・ペロンは、「貧者の聖母を演じきった女」として紹介。
やっぱり貧困の出で、ブレノスアイレスで女優を目指し、
1944年に24歳年上のファン・ドミンゴ・ペロンと知り合い、愛人に・・。
その後、大統領夫人となって、社会福祉制度の一環として「エバ・ペロン財団」を設立。
多くの病院や老人ホーム、孤児院などを建設しますが、
子宮ガンにより、33歳の若さで死去。
本書のまとめとしては慈悲を施す天使という表向きの顔とは裏腹に、
陰謀を巡らし、欲しいものはなりふりかまわず手に入れる女が隠れていた・・、
としていますが、それほど非難されるようには感じなかったですけどね。。
東ドイツのボスということではウルブリヒトよりもホーネッカー議長の名を覚えています。
その奥さん、マーゴットは1927年生まれで、共産党員の父親は1933年に逮捕されて、
その後、ブッヘンヴァルト強制収容所送り、釈放後、第999懲罰大隊で西部戦線へ・・、
とマーゴットは語っているそうですが、著者はその信憑性を疑っています。
戦後、若くて綺麗な娘マーゴットはドイツ共産党へ入党し、
下心の見える視線を浴びつつ、幹部候補生のキャリアを歩み始めるのです。
1953年にエーリヒ・ホーネッカーと結婚すると、旦那は政治局委員、
彼女には人民教育大臣というポストが与えられます。
そして1976年にエーリヒ・ホーネッカーが国家元首となり、
教育制度の全権を握るマーゴットは、東ドイツの子どもたちに
マルクス=レーニン主義に基づいた統制と二枚舌教育を実施するのでした。
1924年、ボスニアとの境界に近いクロアチアの山村に生まれたヨヴァンカ。
16歳の時にドイツ/イタリア枢軸国が祖国を占領し、
ウスタシャの指導者アンテ・パヴェリッチが「独立国クロアチア」を創立し、
セルビア人やユダヤ人数十万人が民族浄化によって追放、殺害されると、
チトーをリーダーとした共産主義者はパルチザンとして立ち上がります。
1942年、そんなパルチザンに女性闘士として身を投じたヨヴァンカ。
1945年、新たにユーゴスラヴィア連邦人民共和国が誕生し、
チトーはドナウ流域などの18世紀に入植したドイツ人の粛清に乗り出します。
ドイツ人の居住する何百という村々の一軒一軒にパルチザンが回り、
拷問の末、森へ連れて行って射殺。
両親を奪われた数千人のドイツ人の子どもたちは、収容施設で強制的に「スラヴ化」。
「チトーは君たちの父であり、国家は君たちの母である!」
1948年、チトーの愛する奥さんが27歳の若さで急死すると、
ベオグラードの白亜の宮殿で少尉として働いていたヨヴァンカに声がかかります。
それは偉大な元帥との一晩のお相手・・。
それ以降、必要な時に傍らに控え、スターリンと西側諸国を相手に激務に明け暮れるチトーに
安らぎを与える存在であり続けるヨヴァンカ。
1952年、ついに敬愛するチトーは彼女に求婚するのでした。
ファーストレディとしてチトーの外国訪問にも付き添い、夫の良き助言者にまでなります。
本書に登場する妻たちのなかで、唯一、非の打ちどころのない女性ですね。
しかし1980年にチトーが死去すると、この多民族国家は瓦解を始め、
ヨヴァンカは自宅軟禁に・・。
25年間の華やかなファーストレディの生活の後、25年間も続く自宅軟禁です。
「私の治める国には、二種類の文字、三つの言語、四つの宗教があり、
六つの共和国の中に五つの国籍と八つの少数民族が存在する。
そしてわが国は七つの国々と国境を接している」というチトーの言葉。
映画「アンダーグラウンド」のラストシーンでもこのような言葉が語られましたね。
と、ここまで書いて、本書のレビューの仕上げに入っていた昨日、
ヨヴァンカが88歳で亡くなったというニュースが。。
7月の「津山三十人殺し」の時にも読んでる最中に、
山口県周南市「5人連続殺人事件」が起こりましたし、今回もゾクっとしました。。
そもそも先週、突然チトーを調べたくなって、本書を知って、ヨヴァンカが一番印象的で、
そして彼女が亡くなってしまうというのは、どういうことなんでしょう。
もちろん単なる偶然だと思いますが、ご冥福をお祈りいたします。
最後はミロシェヴィッチ大統領の奥さん、ミリャナ・マルコヴィッチです。
チトーに続いてユーゴの独裁者ですが、1990年代のユーゴ内戦の時期ですね。
1942年にミリャナを出産し、2年後に裏切り者として殺されたパルチザンの母親。
黒い髪のぽっちゃりした少女に育ったミリャナですが、目立たず、友人もいません。
そんな学生時代、同じく友人もおらず、おそろしく退屈な奴と旧友から言われていた
スロボダン・ミロシェヴィッチと出会い、切っても切れない仲に・・。
1965年に大学を卒業し、結婚。もちろん揃ってチトーの共産党員です。
ミリャナが舵を取り、スロボダンが汗を流す・・という完璧なタンデムで、
ベオグラードの党書記からセルビア共産党の議長に上り詰めた旦那に
ベオグラード大学でマルクス主義の講座を獲るほどのミリャナ教授。
1989年に大統領になるとコソヴォでのセルビア人とアルバニア人の紛争に介入し、
その後、全土で内戦へと発展。NATOによる空爆も・・。
国連の制裁下、彼らの周辺では闇取引で大金を儲け、汚職と賄賂が横行します。
ミリャナ自身も「ユーゴスラヴィア左翼連合」を結成して政治に介入し、
大統領の旦那は完全にチトーの後継者を自負する彼女の言いなりです。
1日に9回も奥さんに電話をかけ、しかも会話が政治問題になると
「可愛い子ちゃん」とか、「ミーちゃん」などと幼児語で。。
この内戦の結果、大統領を退陣し、2001年に逮捕されたスロボダン。
オランダはハーグの戦犯法廷に引き渡されますが、
非難はされたものの、ミリャナは自由の身です。
原著は2002年ですから、スロボダンが2006年に独房で死亡したところまでは
当然ながら書かれていません。
原著のタイトルは「権力と契りを結んで」というものですから、
「妻」ではないクラレッタ・ペタッチが登場するのはOKですね。
285ページというソコソコのボリュームですが、非常に充実した一冊でした。
1900年代初頭のスターリンから、2000年のミロシェヴィッチまで、ほぼ時系列ですし、
なにより旦那である独裁者も生い立ちから、その独裁政治の様子まで
書かれているのが良かったですね。
同時代に生きた妻たち、例えばエレナ・チャウシェスクが江青と会ったり、
エバ・ペロンがカルメン・ポロと会ったり、妻たちの外交もリンクしてて楽しめました。
似たような本として、去年に出た「女と独裁者―愛欲と権力の世界史」があります。
こちらはムッソリーニ、レーニン、ヒトラー、スターリン、毛沢東、チャウシェスク。
読み比べてみるのも一興かも知れません。
それにしても、おかげでまたいろんな本を読んでみたくなりました。
特に旧ユーゴはナチス・ドイツに興味が出る前から勉強しようと思っていて、
"ピクシー"・ストイコヴィッチの「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」と、
「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記」は何度読んで、その都度、涙したことか・・。
改めて、「図説 バルカンの歴史」を読んで勉強してみます。
それともう一冊、名著「ニセドイツ」の共産趣味インターナショナル VOL1である
「アルバニアインターナショナル」も読んでみようかな。。
よむ本で色んなものを引き寄せる、ヴィト様の特殊能力がドンドン強力になっていますねえ。wwww
イタリア本土のVerbaniaというところに行って来たんですが、お土産屋にムッソリーニのTシャツやインテリア用と思われるプラカード等が売っていて驚きましたよ。。。ドイツじゃヒトラーが観光土産に、とかあり得ないですから。子ども達に、「ママ、ムッソリーニTシャツ買わないの?」と真顔で尋ねられましたがw買いませんでした。
他のレビューもこの後チェックします~
by IZM (2013-10-22 21:51)
引き寄せてんのかなぁ??
チトーの奥さんの件、本当に驚きましたよ。。
イタリア旅行だったんですか。ムッソリーニのTシャツなんて売ってるんだぁ。ピエモンテの方なんですよね。イタリア人らしい気もします。
「オレの爺ちゃんがムッソリーニを殺ったんだぞ」とか、言ってそう。。
息子さんの発言ウケますね。ボクがその場にいても、同じことを言うでしょう・・。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-10-22 22:34)