アドルフ・ガラント [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ヴェルナー・ヘルト著の「アドルフ・ガラント」を読破しました。
ルフトヴァッフェに有名人は数多いですが、やっぱりこの人がNo.1でしょうか。
このBlogでも何回登場したかわからない、ダイヤモンド章受章者のエース・パイロットで、
最年少の将軍、戦闘機隊総監、最後はジェット戦闘機隊を率い・・という、
ドイツ空軍の歴史を体現したかのような人物です。
本書は1993年と、20年前に発刊された187ページの白黒写真集で、
古書で1000円で売っていたので、ついつい買ってしまいました。

それにしても「Adolf Galland」という名前は、毎度毎度、大変です。
本書では"ガラント"ですが、彼の書いた「始まりと終り―栄光のドイツ空軍」は"ガーラント"ですし、
「第44戦闘団」の副題は"ザ・ガランド・サーカス "。。
おまけに独破戦線では"ガーランド"で統一しているという、超有名人なのに
これだけ名前が統一されていないのも摩訶不思議ですね。
まずは1ページフルフルでガーランドといえばコレっていうポートレート写真から・・。
そして「グライダーからジェット・パイロットへ」と題した半生が4ページ続き、
ヴェストファーレン州の実家に、5歳のアドルフ少年など、1ページ当たり、
2~3枚程度で写真が掲載されていきます。
グライダーに乗る17歳のガーランドはもちろん髭は生やしておらず、
なかなか精悍な顔ですね。

その後1932年に、4000人のうち合格者20名という狭き門である
ドイツ航空学校(DVS)への入学が認められ、
翌年には基本的な軍事教練を終えるためにドレスデン第10歩兵連隊へ。
その集合写真では歩兵の軍服を着た、士官候補生ガーランドの姿もあります。
1937年になると「旅行者グループ先導員」という肩書でスペインに・・。
コレはスペイン内戦に参加する「コンドル軍団」の兵士たちの欺瞞ですね。
第88戦闘飛行隊第3飛行中隊は、通称「ミッキーマウス中隊」と呼ばれ、
He-51の白十字に、まだ葉巻と斧を持っていないミッキーの写真も登場します。
そして近接支援任務の発展に貢献した功績によって、
ダイヤモンド付きスペイン十字章を受章。
コンドル軍団でも受章者はわずか9人ということです。

また、帰国後はその経験を買われてベルリンの空軍省で、
2つの近接航空支援航空団の編制に携わり、1939年のポーランド戦には
第2教導航空団の中隊長としてHs-123で参加するのでした。
ここまでの写真もすべて見たことないものばかりですし、
彼の回想録「始まりと終り」では、1940年からの始まりなので、勉強になりますね。

「バトル・オブ・ブリテン」が始まると、第26戦闘航空団(JG26)の若き司令となり、
JG51の盟友メルダースに、視察に訪れる大ボス、ゲーリングなどの写真が多くなります。
柏葉騎士十字章の3番目の受章者となって、ベルリンでヒトラー総統とも会談。
ついでにブランデンブルク門をバックに記念撮影・・。

その冬には第2次大戦を通じて初の、そして唯一となった「休暇」をスキーで楽しみ、
バルバロッサ作戦が始まっても「西部戦線の独空軍」であるJG26はわりあい平和です。
JG2司令官のエーザウや、大島大使もガーランドの司令部を訪れています。
撃墜したスピットファイアの連隊指揮官、義足のダグラス・バーダーを客として招き、
親交を深めた逸話も出てきますが、そういえば本書の「序文」を書いているのもバーダーでした。

この撃墜王は獲物を仕留めるのがとにかく好きなようで、
暇さえあれば狩猟に明け暮れています。
舎弟のミュンヘベルクも楽しそうに付き合っていますね。
それも束の間、12月にはメルダースが事故死したことで「戦闘機隊総監」を継ぐことに。。
イェショネク参謀総長とのツー・ショットや、各地の航空団を視察する写真が多くなります。
JG27のマルセイユの写真では、「おそらく第2次大戦のパイロットの中で
並ぶ者のいない"名人"だったと言えるだろう」と最高の評価です。

古巣のJG26の司令になったのはヨーゼフ・"ピップス"・プリラーなわけですが、
ガーランドの2人の弟、ヴィルヘルムとパウルもこの航空団に所属しています。
しかし、1942年に末っ子のパウルが、1943年にはヴィルヘルムも戦死・・。
その埋葬時の写真も掲載されていますが、尊敬するガーランドから預かっていた
大事な弟2人を戦死させてしまったプリラーの心境を考えると・・。

1944年にもなると大エースのエーザウ大佐が撃墜されて、やっぱりお葬式に。。
301機撃墜でトップ・エースとなったハルトマンは、彼の死を恐れた空軍によって
戦闘行動を禁止されてしまいます。
とても納得できないハルトマンはガーランドと共にゲーリングに直訴するのでした。
は~ん、こんな話もありましたねぇ。ハルトマンの写真集読み返すかな・・。

ちょっと話は逸れますが、先日の選抜高校野球の決勝で、連戦連投の
済美の2年生エース、安楽くん(初戦で見たとき、やべっち似だなと思いましたが・・)が
5回ににつかまって以降、ネットでは「将来のある投手の肩を壊す気か!」とか、
「サディストの監督は刑務所に送れ!」とか、なかなか盛り上がっていました。
個人的には、青春ど真ん中の16歳の少年が部活で好きでやってることに対して、
赤の他人の日本人は優しいなぁ・・と思いますね。
なんとなく、この件とハルトマンの件も一緒のような気がします。
やってる当人は事務机やベンチじゃ、燃えたぎる魂は抑えられないのです。
やれ「高校野球にも投球制限をつけろ」など、メジャーの考え方が本当にわかっているのか、
受け売りなのか不明ですが、アホかと思うような意見のほうが多く、
そのくせ、同じ日に完全試合を逃したダルビッシュには100球超えてるのに
「せめて完投させてやれ」や、「WBCに出て欲しかった」なんて勝手な意見が多いのも
まったく矛盾していますね。
「肩や肘が壊れる」なんて知ったかぶってる連中は、まずボールを持って外に出て、
全力投球で100球ばかり放ってみるべきですね。
翌日にドコが痛いかを身をもって知るべきでしょう。

え~、スイマセン。。変な方向に行き過ぎましたので、本書に戻りましょう。
1945年、戦闘機隊総監の任を解かれ、ジェット戦闘機隊「第44戦闘団」を編成。
ノヴォトニーが死に、シュタインホフも全身大やけど、
いまや親友となったリュッツォウ大佐も行方不明に・・。
この2人の写真は、リュッツォウの最期の写真なんだそうです。

108ページからは戦後のガーランドです。
捕虜となった姿から、アルゼンチン政府の要請で空軍顧問として働きます。
しかしココでも有名で人気もあった爆撃機パイロットのバウムバッハが事故死。
1955年になってやっとドイツに帰国する彼ですが、
「あの政治的精神錯乱者のルーデルとなんら関係を持たなかったのは特筆すべき」。

新設の西ドイツ空軍には加わらず、民間のコンサルタントなどで生計を立て、
国内の様々な飛行大会にも参加します。
1961年には愛すべきJG26司令官"ピップス"プリラーが不意の死を遂げて、また葬式。
しかし1966年には初めての子供が誕生し、多数の元パイロットが祝福に駆け付けます。
写真の11人の撃墜数は合わせて、1127機。。
左からシュタインホフ、ハルトマン、バルクホルンなど、英空軍のパイロットまで・・。

映画「空軍大戦略」のコンサルタントとして参加し、「幻の英本土上陸作戦」にも・・。
1972年には60歳の誕生日、またまた内外から大勢のパイロットが訪れます。
オステルカンプにギュンター・ラル、クルピンスキーなどですね。

1975年に元英空軍パイロットでもあったチャールズ皇太子はRAFミュージアムを開設。
ドイツの主賓は当然ガーランドです。2人の写真は上から目線で微笑むガーランドの貫録勝ち。
久しぶりに会った同い年のハンナ・ライチュおばあちゃんを愛おしそうに抱きしめ、
1983年に亡くなったバルクホルンと彼の妻のために集まった将官たち。
380枚ほどの写真が掲載されている本書は
著者ヘルトが一緒に写っている写真もあるように、ガーランド本人から提供された
珍しいものや、プライベート・フォトもあったりと、初見のものがほとんどでした。
それもあってか、キャプションも非常に詳細で、極力写っている人物の名前まで。
「始まりと終り」、「第44戦闘団」、そして本書を読めばガーランドは完璧ですね。
もちろんガーランド寄りから見た、ガーランドですが・・。

本書の原著は1983年のようで、ガーランドが亡くなったのは1996年ですから、
70歳までの元気なおじいちゃん姿までが網羅されていました。
今回登場したエースたちだけでなく、戦後のドイツ軍人の生き様もいろいろと知りたくなりました。
とはいっても、そんなことが書かれた本はありませんよねぇ・・。
しかし4月30日に「始まりと終り」が、
「始まりと終わり ドイツ空軍の栄光―アドルフ・ガランド自伝」として再刊されます。
しかも、旧版の英語版ではなく、ドイツ語オリジナル版完全新訳ということです。
そしてコレを翻訳するは、Uボート本の傑作である「Uボート部隊の全貌」などを訳され、
この独破戦線でも度々コメントしていただく、謎の「某訳者」さんであります。
ふ~・・すげータイミング。。わっ!704ページに増えてる!
ちなみに3末に出たばかりの「西方電撃戦: フランス侵攻1940」を求めて
神保町に行ってきたんですが、ドコにも売ってませんでした。。
書泉グランデに無かったらドコで売ってんだよ・・。
ヴェルナー・ヘルト著の「アドルフ・ガラント」を読破しました。
ルフトヴァッフェに有名人は数多いですが、やっぱりこの人がNo.1でしょうか。
このBlogでも何回登場したかわからない、ダイヤモンド章受章者のエース・パイロットで、
最年少の将軍、戦闘機隊総監、最後はジェット戦闘機隊を率い・・という、
ドイツ空軍の歴史を体現したかのような人物です。
本書は1993年と、20年前に発刊された187ページの白黒写真集で、
古書で1000円で売っていたので、ついつい買ってしまいました。

それにしても「Adolf Galland」という名前は、毎度毎度、大変です。
本書では"ガラント"ですが、彼の書いた「始まりと終り―栄光のドイツ空軍」は"ガーラント"ですし、
「第44戦闘団」の副題は"ザ・ガランド・サーカス "。。
おまけに独破戦線では"ガーランド"で統一しているという、超有名人なのに
これだけ名前が統一されていないのも摩訶不思議ですね。
まずは1ページフルフルでガーランドといえばコレっていうポートレート写真から・・。
そして「グライダーからジェット・パイロットへ」と題した半生が4ページ続き、
ヴェストファーレン州の実家に、5歳のアドルフ少年など、1ページ当たり、
2~3枚程度で写真が掲載されていきます。
グライダーに乗る17歳のガーランドはもちろん髭は生やしておらず、
なかなか精悍な顔ですね。

その後1932年に、4000人のうち合格者20名という狭き門である
ドイツ航空学校(DVS)への入学が認められ、
翌年には基本的な軍事教練を終えるためにドレスデン第10歩兵連隊へ。
その集合写真では歩兵の軍服を着た、士官候補生ガーランドの姿もあります。
1937年になると「旅行者グループ先導員」という肩書でスペインに・・。
コレはスペイン内戦に参加する「コンドル軍団」の兵士たちの欺瞞ですね。
第88戦闘飛行隊第3飛行中隊は、通称「ミッキーマウス中隊」と呼ばれ、
He-51の白十字に、まだ葉巻と斧を持っていないミッキーの写真も登場します。
そして近接支援任務の発展に貢献した功績によって、
ダイヤモンド付きスペイン十字章を受章。
コンドル軍団でも受章者はわずか9人ということです。

また、帰国後はその経験を買われてベルリンの空軍省で、
2つの近接航空支援航空団の編制に携わり、1939年のポーランド戦には
第2教導航空団の中隊長としてHs-123で参加するのでした。
ここまでの写真もすべて見たことないものばかりですし、
彼の回想録「始まりと終り」では、1940年からの始まりなので、勉強になりますね。

「バトル・オブ・ブリテン」が始まると、第26戦闘航空団(JG26)の若き司令となり、
JG51の盟友メルダースに、視察に訪れる大ボス、ゲーリングなどの写真が多くなります。
柏葉騎士十字章の3番目の受章者となって、ベルリンでヒトラー総統とも会談。
ついでにブランデンブルク門をバックに記念撮影・・。

その冬には第2次大戦を通じて初の、そして唯一となった「休暇」をスキーで楽しみ、
バルバロッサ作戦が始まっても「西部戦線の独空軍」であるJG26はわりあい平和です。
JG2司令官のエーザウや、大島大使もガーランドの司令部を訪れています。
撃墜したスピットファイアの連隊指揮官、義足のダグラス・バーダーを客として招き、
親交を深めた逸話も出てきますが、そういえば本書の「序文」を書いているのもバーダーでした。

この撃墜王は獲物を仕留めるのがとにかく好きなようで、
暇さえあれば狩猟に明け暮れています。
舎弟のミュンヘベルクも楽しそうに付き合っていますね。
それも束の間、12月にはメルダースが事故死したことで「戦闘機隊総監」を継ぐことに。。
イェショネク参謀総長とのツー・ショットや、各地の航空団を視察する写真が多くなります。
JG27のマルセイユの写真では、「おそらく第2次大戦のパイロットの中で
並ぶ者のいない"名人"だったと言えるだろう」と最高の評価です。

古巣のJG26の司令になったのはヨーゼフ・"ピップス"・プリラーなわけですが、
ガーランドの2人の弟、ヴィルヘルムとパウルもこの航空団に所属しています。
しかし、1942年に末っ子のパウルが、1943年にはヴィルヘルムも戦死・・。
その埋葬時の写真も掲載されていますが、尊敬するガーランドから預かっていた
大事な弟2人を戦死させてしまったプリラーの心境を考えると・・。

1944年にもなると大エースのエーザウ大佐が撃墜されて、やっぱりお葬式に。。
301機撃墜でトップ・エースとなったハルトマンは、彼の死を恐れた空軍によって
戦闘行動を禁止されてしまいます。
とても納得できないハルトマンはガーランドと共にゲーリングに直訴するのでした。
は~ん、こんな話もありましたねぇ。ハルトマンの写真集読み返すかな・・。

ちょっと話は逸れますが、先日の選抜高校野球の決勝で、連戦連投の
済美の2年生エース、安楽くん(初戦で見たとき、やべっち似だなと思いましたが・・)が
5回ににつかまって以降、ネットでは「将来のある投手の肩を壊す気か!」とか、
「サディストの監督は刑務所に送れ!」とか、なかなか盛り上がっていました。
個人的には、青春ど真ん中の16歳の少年が部活で好きでやってることに対して、
赤の他人の日本人は優しいなぁ・・と思いますね。
なんとなく、この件とハルトマンの件も一緒のような気がします。
やってる当人は事務机やベンチじゃ、燃えたぎる魂は抑えられないのです。
やれ「高校野球にも投球制限をつけろ」など、メジャーの考え方が本当にわかっているのか、
受け売りなのか不明ですが、アホかと思うような意見のほうが多く、
そのくせ、同じ日に完全試合を逃したダルビッシュには100球超えてるのに
「せめて完投させてやれ」や、「WBCに出て欲しかった」なんて勝手な意見が多いのも
まったく矛盾していますね。
「肩や肘が壊れる」なんて知ったかぶってる連中は、まずボールを持って外に出て、
全力投球で100球ばかり放ってみるべきですね。
翌日にドコが痛いかを身をもって知るべきでしょう。

え~、スイマセン。。変な方向に行き過ぎましたので、本書に戻りましょう。
1945年、戦闘機隊総監の任を解かれ、ジェット戦闘機隊「第44戦闘団」を編成。
ノヴォトニーが死に、シュタインホフも全身大やけど、
いまや親友となったリュッツォウ大佐も行方不明に・・。
この2人の写真は、リュッツォウの最期の写真なんだそうです。

108ページからは戦後のガーランドです。
捕虜となった姿から、アルゼンチン政府の要請で空軍顧問として働きます。
しかしココでも有名で人気もあった爆撃機パイロットのバウムバッハが事故死。
1955年になってやっとドイツに帰国する彼ですが、
「あの政治的精神錯乱者のルーデルとなんら関係を持たなかったのは特筆すべき」。
新設の西ドイツ空軍には加わらず、民間のコンサルタントなどで生計を立て、
国内の様々な飛行大会にも参加します。
1961年には愛すべきJG26司令官"ピップス"プリラーが不意の死を遂げて、また葬式。
しかし1966年には初めての子供が誕生し、多数の元パイロットが祝福に駆け付けます。
写真の11人の撃墜数は合わせて、1127機。。
左からシュタインホフ、ハルトマン、バルクホルンなど、英空軍のパイロットまで・・。

映画「空軍大戦略」のコンサルタントとして参加し、「幻の英本土上陸作戦」にも・・。
1972年には60歳の誕生日、またまた内外から大勢のパイロットが訪れます。
オステルカンプにギュンター・ラル、クルピンスキーなどですね。

1975年に元英空軍パイロットでもあったチャールズ皇太子はRAFミュージアムを開設。
ドイツの主賓は当然ガーランドです。2人の写真は上から目線で微笑むガーランドの貫録勝ち。
久しぶりに会った同い年のハンナ・ライチュおばあちゃんを愛おしそうに抱きしめ、
1983年に亡くなったバルクホルンと彼の妻のために集まった将官たち。
380枚ほどの写真が掲載されている本書は
著者ヘルトが一緒に写っている写真もあるように、ガーランド本人から提供された
珍しいものや、プライベート・フォトもあったりと、初見のものがほとんどでした。
それもあってか、キャプションも非常に詳細で、極力写っている人物の名前まで。
「始まりと終り」、「第44戦闘団」、そして本書を読めばガーランドは完璧ですね。
もちろんガーランド寄りから見た、ガーランドですが・・。

本書の原著は1983年のようで、ガーランドが亡くなったのは1996年ですから、
70歳までの元気なおじいちゃん姿までが網羅されていました。
今回登場したエースたちだけでなく、戦後のドイツ軍人の生き様もいろいろと知りたくなりました。
とはいっても、そんなことが書かれた本はありませんよねぇ・・。
しかし4月30日に「始まりと終り」が、
「始まりと終わり ドイツ空軍の栄光―アドルフ・ガランド自伝」として再刊されます。
しかも、旧版の英語版ではなく、ドイツ語オリジナル版完全新訳ということです。
そしてコレを翻訳するは、Uボート本の傑作である「Uボート部隊の全貌」などを訳され、
この独破戦線でも度々コメントしていただく、謎の「某訳者」さんであります。
ふ~・・すげータイミング。。わっ!704ページに増えてる!
ちなみに3末に出たばかりの「西方電撃戦: フランス侵攻1940」を求めて
神保町に行ってきたんですが、ドコにも売ってませんでした。。
書泉グランデに無かったらドコで売ってんだよ・・。
この方戦時中もすごいのでしょうが、戦後のエピソードの方がきになりました。おもしろ。
しかし、本屋か出版社の企画で、ヴィト様と某訳者さんと編集さんの公開対談とかあったらいいのにと本気で思っていますが。。。。
需要あるでしょう、絶対。
by IZM (2013-04-08 18:44)
いつも楽しみに読ませていただいています。
戦闘機乗りというのは一種特別ですね。戦果をあげた=生き残ったという二つの力が必要ですから。坂井三郎の「大空のサムライ」も面白かったです。
by ジャルトミクソン (2013-04-08 20:59)
IZMさん、こんばんわ。
本書は、もう、4年くらい前にチラ読みしたことがあるんですが、なんかねぇ、格好良いエースがジジイになってる写真って見たくなくて、見送ってました。しかし、今回読んでみると、ホント、戦後のジジイっぷりがボクも印象的でした。
あ~、その企画の話は有り得ないですよ。。無理、無理。。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-04-08 21:10)
ど~も、ジャルトミクソンさん。
坂井三郎の「大空のサムライ」って聞いたことあるなぁ・・と思ってたら、上のコメントの IZM さんお気に入りの人だったかな??
そんなこんなで教えてもらって、amazonの欲しい物リストに登録したままでした。。コレはやっぱり読まなきゃならないんでしょうねぇ。。ただ、もう日本いっちゃうと、このBlog・・永久に続きそうでコワイ。。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-04-08 21:16)