柏葉騎士十字章受勲者写真集2 (eichenlaubträger 1940-1945-Band Ⅱ) [軍装/勲章]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
Fritjof Schaulen著の「eichenlaubträger 1940-1945-Band Ⅱ」を読破しました。
柏葉騎士十字章の受章者をカラー写真で紹介する大判の洋書。第1巻に続き、
3分冊の真ん中にやってまいりました。今回の対象者は「I」~「P」となっています。
表紙の6人は、うち5人が有名な将軍ですね。
左上から、ヘルマン・"髑髏師団"・プリース、
エーリッヒ・フォン・"失われた勝利"・マンシュタイン、
ギュンター・フォン・"優柔不断"・クルーゲ、
下の段はアルフレート・"作戦部長"・ヨードル、
ヴァルター・"アフリカ軍団長"・ネーリング、
最後はハンス・ヨアヒム・"アフリカの星"・マルセイユです。
最初の15ページほどは2級、1級の鉄十字章に、騎士十字章、そして唯一、
シュトゥーカ大佐のルーデルだけが受賞した「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士十字章」
といった勲章がカラーで紹介されます。
本書の柏葉も基本的には2㎝ほどの柏葉だけが贈られて、騎士十字章に付けるわけです。
そして同時に贈られるのが「勲記」です。
これの写真も実は本書の裏表紙にカラー写真が掲載されていました。
左の赤いのが「騎士十字章」で、なんとかヴィンクマンという軍人が受賞した物。
右の白いのが「柏葉章」で、名前はUボート・エースのラインハルト・"テディ"・ズーレンです。
末尾には左に「剣章」、ロンメル元帥ですね。
右のいかにも豪華なのが「ダイヤモンド章」で、ヴェルナー・メルダースの名が・・。
コレ本物なのかな・・??
本書での最初の有名人は国防軍最高司令部(OKW)作戦部長を戦争の間、
ずっと続けてきたヨードル上級大将です。
しかし彼は騎士十字章すら付けていませんね。
実は受章したのはヒトラーが死んだあとの1945年5月10日。
連合軍との降伏交渉が終わって、大統領となったデーニッツから「よくやった」と贈られたんですね。
ですから、受章順も865番目とほとんど最後の人物です。
しかもヨードルは騎士十字章も受章した経歴が無いので、飛び級でいきなり「柏葉」だったようです。
あのカイテルでさえ、ポーランド戦の後、騎士十字章貰っているのに、何が違うんでしょうね。
まぁ、カイテルが「どんな戦功」をあげたのか・・? が逆に気になりますが。。
アルベルト・"微笑み空軍元帥"・ケッセルリンクに
ヨアヒム・"捕虜"・キルシュナー、
エヴァルト・フォン・"装甲集団"・クライストと「K」が続きます。
フーゴ・"不死身"・クラース、
テオドール・"アドミラル・シェア"・クランケ提督がきた後、
武装SSの重鎮、ヴァルター・クリューガーと、若きエース、ヴァルター・クルピンスキーが・・。
53歳のSSの将軍の凄味のある笑顔に、24歳のクルピンスキーも煙草で対抗しています。。
ドイツ人に「K」は多いですねぇ。まだゲオルク・フォン・"北方軍集団"・キュヒラーに
オットー・"デア・フューラー連隊"・クムも登場し、
気がつくとエミール・"173機撃墜"・ラング、
ヴィリー・"GD戦車連隊長"・ラングカイトと「L」に入っていました。
おうおう・・、あの方をお忘れじゃないですか・・?
Uボートの大エース、剣章受章者オットー・クレッチマーが無視されているなんて。。
ダイヤモンド章夜戦エースのヘルムート・レントの後には、
やっぱりダイヤモンド章Uボート・エースのヴォルフガンク・リュートが出てくるんですが、
ひょっとしたらこのカラー写真を撮り始めたのが
クレッチマーが捕虜になった1941年3月以降なのかも知れません。
同じ時期に戦死したギュンター・プリーンもカラー写真ありませんしね。。
「M」ではフィンランドのマンネルヘイム元帥に続いて、
ドイツ軍人の「M」と言えばこの人、エーリッヒ・フォン・マンシュタインです。
写真は"ただの"騎士十字章ですが、その下にもう一つ下げています。
ロンメルなど、良くプール・ル・メリットを下に付けている人は見かけますが、
コレはルーマニアの「ミハイ勇敢公勲章2級」のようです。
次のページの写真も良いですね。
右からフォン・クライスト、テオドール・"第9軍"・ブッセ、総統、そしてマンシュタインですが、
もう、ヒトラーみたいな素人に地図見られるのがホント嫌だ・・って顔ですよね。
ハッソ・フォン・"装甲軍"・マントイフェルに
エーリッヒ・"ノルマンディ"・マルクスと続き、
降下猟兵のボス的存在のオイゲン・マインドルのこの写真も大好きです。
首元の柏葉章だけではなく、左胸には第1次大戦と第2次大戦の1級鉄十字章に加え、
降下猟兵バッジに、空軍地上部隊突撃章、ボタンには冬季東部戦線従軍章、
左腕にはナルヴィク・シールド、そしてクレタのカフタイトル・・。
最後にはノルマンディでも激闘を繰り広げるわけですから、まさに「鉄人」ですね。。
「M」も多いドイツ人。。ヴァルター・"破局将軍"・モーデルに、
2番目の柏葉受章者メルダース。
1941年の11月に事故死した彼もやっぱりポートレートのカラー写真ではなく、
飛行場でケッセルリンクと談笑している写真が使われていました。
本書はカラー写真じゃないとダメなのはわかりますが、
クレッチマーってカラー写真一枚もないんですかね?? クドくてすいません。。
ヨアヒム・ミュンヘベルクにヴァルター・ノヴォトニーと高名なエース・パイロットの2人。
特にノヴォトニーら4人の集合写真は右端にギュンター・"275機撃墜"・ラル、
左端にいるのは、プリンツ・ヴィトゲンシュタイン・・。いま気がつきました。。
ノヴォトニーは去年に「撃墜王ヴァルテル・ノヴォトニー」という本が出たんですが、
なぜか読む気がしません。表紙がヒドイからかなぁ。。
「O」はヴァルター・"JG1"・エーザウ、
ヘルマン・フォン・"第21装甲師団"・オッペルン=ブロニコフスキー、
マックス=ヘルムート・"童顔No.1"・オスターマンとなかなか良い面子が連発しています。
「P」ではやっぱりヨゼフ・"史上最大の作戦"・プリラーが3ページと別格の扱いで
ヨアヒム・"バルジの戦い"・パイパーと
ディートリッヒ・"爆撃機隊総監"・ペルツが左右で登場。
2人ともイイ男ですが、眉毛が繋がっていますぜ。。
高名なパイロットが印象的だったこの第2巻ですが、
「L」に大好きなギュンター・リュッツォウが出ていないのにも気づきました。
ホント、なんでよ・・。
Fritjof Schaulen著の「eichenlaubträger 1940-1945-Band Ⅱ」を読破しました。
柏葉騎士十字章の受章者をカラー写真で紹介する大判の洋書。第1巻に続き、
3分冊の真ん中にやってまいりました。今回の対象者は「I」~「P」となっています。
表紙の6人は、うち5人が有名な将軍ですね。
左上から、ヘルマン・"髑髏師団"・プリース、
エーリッヒ・フォン・"失われた勝利"・マンシュタイン、
ギュンター・フォン・"優柔不断"・クルーゲ、
下の段はアルフレート・"作戦部長"・ヨードル、
ヴァルター・"アフリカ軍団長"・ネーリング、
最後はハンス・ヨアヒム・"アフリカの星"・マルセイユです。
最初の15ページほどは2級、1級の鉄十字章に、騎士十字章、そして唯一、
シュトゥーカ大佐のルーデルだけが受賞した「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士十字章」
といった勲章がカラーで紹介されます。
本書の柏葉も基本的には2㎝ほどの柏葉だけが贈られて、騎士十字章に付けるわけです。
そして同時に贈られるのが「勲記」です。
これの写真も実は本書の裏表紙にカラー写真が掲載されていました。
左の赤いのが「騎士十字章」で、なんとかヴィンクマンという軍人が受賞した物。
右の白いのが「柏葉章」で、名前はUボート・エースのラインハルト・"テディ"・ズーレンです。
末尾には左に「剣章」、ロンメル元帥ですね。
右のいかにも豪華なのが「ダイヤモンド章」で、ヴェルナー・メルダースの名が・・。
コレ本物なのかな・・??
本書での最初の有名人は国防軍最高司令部(OKW)作戦部長を戦争の間、
ずっと続けてきたヨードル上級大将です。
しかし彼は騎士十字章すら付けていませんね。
実は受章したのはヒトラーが死んだあとの1945年5月10日。
連合軍との降伏交渉が終わって、大統領となったデーニッツから「よくやった」と贈られたんですね。
ですから、受章順も865番目とほとんど最後の人物です。
しかもヨードルは騎士十字章も受章した経歴が無いので、飛び級でいきなり「柏葉」だったようです。
あのカイテルでさえ、ポーランド戦の後、騎士十字章貰っているのに、何が違うんでしょうね。
まぁ、カイテルが「どんな戦功」をあげたのか・・? が逆に気になりますが。。
アルベルト・"微笑み空軍元帥"・ケッセルリンクに
ヨアヒム・"捕虜"・キルシュナー、
エヴァルト・フォン・"装甲集団"・クライストと「K」が続きます。
フーゴ・"不死身"・クラース、
テオドール・"アドミラル・シェア"・クランケ提督がきた後、
武装SSの重鎮、ヴァルター・クリューガーと、若きエース、ヴァルター・クルピンスキーが・・。
53歳のSSの将軍の凄味のある笑顔に、24歳のクルピンスキーも煙草で対抗しています。。
ドイツ人に「K」は多いですねぇ。まだゲオルク・フォン・"北方軍集団"・キュヒラーに
オットー・"デア・フューラー連隊"・クムも登場し、
気がつくとエミール・"173機撃墜"・ラング、
ヴィリー・"GD戦車連隊長"・ラングカイトと「L」に入っていました。
おうおう・・、あの方をお忘れじゃないですか・・?
Uボートの大エース、剣章受章者オットー・クレッチマーが無視されているなんて。。
ダイヤモンド章夜戦エースのヘルムート・レントの後には、
やっぱりダイヤモンド章Uボート・エースのヴォルフガンク・リュートが出てくるんですが、
ひょっとしたらこのカラー写真を撮り始めたのが
クレッチマーが捕虜になった1941年3月以降なのかも知れません。
同じ時期に戦死したギュンター・プリーンもカラー写真ありませんしね。。
「M」ではフィンランドのマンネルヘイム元帥に続いて、
ドイツ軍人の「M」と言えばこの人、エーリッヒ・フォン・マンシュタインです。
写真は"ただの"騎士十字章ですが、その下にもう一つ下げています。
ロンメルなど、良くプール・ル・メリットを下に付けている人は見かけますが、
コレはルーマニアの「ミハイ勇敢公勲章2級」のようです。
次のページの写真も良いですね。
右からフォン・クライスト、テオドール・"第9軍"・ブッセ、総統、そしてマンシュタインですが、
もう、ヒトラーみたいな素人に地図見られるのがホント嫌だ・・って顔ですよね。
ハッソ・フォン・"装甲軍"・マントイフェルに
エーリッヒ・"ノルマンディ"・マルクスと続き、
降下猟兵のボス的存在のオイゲン・マインドルのこの写真も大好きです。
首元の柏葉章だけではなく、左胸には第1次大戦と第2次大戦の1級鉄十字章に加え、
降下猟兵バッジに、空軍地上部隊突撃章、ボタンには冬季東部戦線従軍章、
左腕にはナルヴィク・シールド、そしてクレタのカフタイトル・・。
最後にはノルマンディでも激闘を繰り広げるわけですから、まさに「鉄人」ですね。。
「M」も多いドイツ人。。ヴァルター・"破局将軍"・モーデルに、
2番目の柏葉受章者メルダース。
1941年の11月に事故死した彼もやっぱりポートレートのカラー写真ではなく、
飛行場でケッセルリンクと談笑している写真が使われていました。
本書はカラー写真じゃないとダメなのはわかりますが、
クレッチマーってカラー写真一枚もないんですかね?? クドくてすいません。。
ヨアヒム・ミュンヘベルクにヴァルター・ノヴォトニーと高名なエース・パイロットの2人。
特にノヴォトニーら4人の集合写真は右端にギュンター・"275機撃墜"・ラル、
左端にいるのは、プリンツ・ヴィトゲンシュタイン・・。いま気がつきました。。
ノヴォトニーは去年に「撃墜王ヴァルテル・ノヴォトニー」という本が出たんですが、
なぜか読む気がしません。表紙がヒドイからかなぁ。。
「O」はヴァルター・"JG1"・エーザウ、
ヘルマン・フォン・"第21装甲師団"・オッペルン=ブロニコフスキー、
マックス=ヘルムート・"童顔No.1"・オスターマンとなかなか良い面子が連発しています。
「P」ではやっぱりヨゼフ・"史上最大の作戦"・プリラーが3ページと別格の扱いで
ヨアヒム・"バルジの戦い"・パイパーと
ディートリッヒ・"爆撃機隊総監"・ペルツが左右で登場。
2人ともイイ男ですが、眉毛が繋がっていますぜ。。
高名なパイロットが印象的だったこの第2巻ですが、
「L」に大好きなギュンター・リュッツォウが出ていないのにも気づきました。
ホント、なんでよ・・。
こんばんは。
待ってました、柏葉騎士十字章受賞者第2巻。
戦記の常連さんが目白押しでページをめくるたびオーっと感動しますね。
凄味のある表情の武装SS将校に比べ陸軍の将校は人の良さそうなオジサンが多いように見えるのは気のせいでしょうか?
Lemelsen装甲兵大将の写真などいかにもドイツ軍の将軍って感じでいいですね。イーレフェルト少佐やレント少佐の写真も実にイイ。各軍の軍服のデザインの違いを見比べたり階級の違いによるボタンの色や記章類の色・素材の違い、オーダーメードによる細部の違いなど、さすがカラーだけあって見ごたえがあります。
そういえばペルツ大佐の階級章の兵科色はなぜ赤なのでしょうか?爆撃隊なら航空兵科なんだから黄色じゃないの?大佐当時は参謀科に転科してるのかな?などと読めないドイツ語と格闘しております。
というわけで第3巻も楽しみにしております。
by レオノスケ (2013-02-07 23:39)
レオノスケさん。お待たせいたしました。
4軍の将兵の顔つきの違いは、ボクも初めて本書を読んだときに感じました。
陸軍の「von」が付いちゃう貴族系は品がありますし、平時は農場経営やってるような良いおじさん、
空軍は一対一の戦いで勝利を重ねて楽しむ、若いスポーツマンのような無邪気な笑顔、
海軍は限られた食料で何か月も過ごしているUボート艦長などは、皆ほっそりとしていますし、
武装SSの、特に白兵戦章を付けている連隊長クラスは、死線を彷徨ってきたような眼つきが印象的。。
>そういえばペルツ大佐の階級章の兵科色はなぜ赤なのでしょうか?爆撃隊なら航空兵科なんだから黄色じゃないの?
大佐当時は参謀科に転科してるのかな?
スルドい! これはボクも気になってたんですよ。次ページのバウムバッハらとの写真は黄色になってますしね。
ちょっとWebで調べていましたが、写真の大佐(剣章)当時の1943年だけ、
General der Kampfflieger または
Inspekteur der Kampf- und Sturzkampfflieger
という役職についており、これはOKL直轄の検査官(参謀職)のようですね。育成や爆撃機戦術についての責任も負っていたみたいです。
まぁ、ざっくり調査なので間違っているかも知れません。詳しい方のコメントお待ちしています。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-02-08 12:13)