ノルマンディー上陸作戦1944(下) [戦記]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
アントニー・ビーヴァー著の「ノルマンディー上陸作戦1944(下)」を読破しました。
この分厚い上下巻も492ページの後半に突入しました。
上巻までの印象は、この大作戦をバランスよく書かれていると思いました。
すなわち、アイゼンハワーを筆頭とした連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)内のゴタゴタに、
モントゴメリー、ブラッドレーの軍集団指揮官の戦術、彼らの隷下で部隊の指揮を執る師団長。
そして前線での激しい戦いで気がふれてしまう新米兵士まで・・。
一方のドイツ軍もヒトラーに始まり、ロンメルのような軍集団司令官の発言、
陸軍、空軍降下猟兵軍団、武装SSの師団長たちの軋轢と共同作戦。
ロシアやポーランドから来た、やる気ゼロのヒーヴィに、
血みどろになりながらも鬼神の如く戦い続けるヒトラーユーゲント師団の少年兵まで。。
第18章「サン=ロー攻略へ」から始まるこの下巻は、ドイツ軍が最も恐れるパットン将軍が
遂に正真正銘、米第3軍の指揮を取り、大陸への上陸を果たすところからです。
しかし、すでにD-デイから1ヶ月を過ぎたこの時期、戦闘は各地で苛烈さを増しており、
捕虜の殺害などの報復合戦だけでなく、赤十字のマークも役には立たず、
連合軍では「医療チームが一人残らずドイツ軍に残忍に殺された」と報告すると、
ドイツ軍側も、「連合軍戦闘機は赤十字を付けた救急車を空から攻撃した」と報告します。
それでもシェルブールで身動きの取れなくなったドイツの従軍看護婦の扱いをめぐり、
米第1歩兵師団とドイツ第2装甲師団の間で一時休戦がまとまり、引き渡し式が挙行されます。
この騎士道的な話を聞いたB軍集団司令官ロンメルは、
ヒトラーがこのまま戦争終結を拒むようなら、密かに米側と接触して休戦交渉に入ることを決意。
武装SSのヒトラーユーゲント師団を率いるマイヤーSS大佐に出頭を命じ、
間近に迫る英軍の「グッドウッド作戦」について「貴官の所見を訊きたい」と質問。
「兵士たちは引き続き戦い、それぞれの陣地において死に続けるでしょう。そして彼らは、
英軍の戦車が自分たちの死体を踏み潰し、パリへと進軍するのを阻止できないでしょう」
と答えます。OKWを非難し、「私がなんとかせねば・・」と熱く語るロンメル。。
一方の連合軍では「なんと、あの"モンティ"が遂に突破攻撃に出るそうだ」と聞いて、
すべての上級司令官が神に感謝するのでした。
爆撃機2600機でドイツ軍陣地を叩くという地上軍支援の航空兵力としては空前の規模で始まり、
その2時間半も続く、人間が作り出した大地震の前に、ドイツ兵も気が挫け、
気が触れた兵士たちのあげる絶叫、爆風によって重戦車ティーガーさえひっくり返り、
ゆれる地面に耐えきれず、おのが銃で命を絶つ者も・・。
しかし、地雷原で手こずった英軍は、またしても大きな損害を出し、作戦は失敗。
第20章は「ヒトラー暗殺計画」です。
トレスコウやシュタウフェンベルクといった首謀者に触れながら、西部戦線の関係者である
ロンメルに参謀長のシュパイデル、クルーゲ、シュテルプナーゲルらの動きに加え、
カーンが陥落する直前、SSの重鎮ゼップ・ディートリッヒまでがロンメルの元へやってきて
「迫りくる崩壊」に関し、どのようにお考えか?と尋ねます。
ゼップは「SS部隊は私が完全に掌握している」と請け負ったものの、
シュパイデルにどこまで暗殺計画を教えてもらえたかは定かではないとしています。
「髑髏の結社 SSの歴史(下)」でもこの件について少し触れられていましたが、
このシュパイデルの回想録「戦力なき戦い」は一度、読んでみたいんですよね。
街を瓦礫にして占領したサン=ローから、米軍は「コブラ作戦」を発動します。
英軍のしくじった「グッドウッド作戦」と同様、まず爆撃機によって敵陣を叩き、
そのショックから立ち直らないうちに突破を図ろうとするこの作戦ですが、
2日間に渡って自軍の上に爆弾を投下するといった、有名な大失態が起こります。
そんなことにもめげず、作戦は順調に進み、ドイツ軍は大混乱に陥ります。
「モルタン反撃」、ドイツ側では「リュティヒ作戦」と呼ぶ、ヒトラーの反撃の章は
とても興味深かったですね。
この作戦を直接指揮するのは第47装甲軍団司令官の男爵ハンス・フォン・フンク大将ですが、
隷下の第116装甲師団の伯爵フォン・シュヴェーリン中将と積年の確執があり、
かなり仲が悪いんですね。
さらに作戦開始の前日になって、フンクがかつての陸軍総司令官フリッチュの
個人参謀であったことから、ヒトラーによって「エーベルバッハと交代させよ」と
西方軍司令官のクルーゲに命令が・・。
結局、うやむやの内に始まった作戦ですが、年上で階級も上の男爵によって
反ナチ的な45歳の若き伯爵師団長は解任。。それにしてもこの人、いい顔してますねぇ。
ファレーズに向けた「トータライズ作戦」が始まると、
算を乱して退却してくる第89師団の兵士たちの前に、
"パンツァー"マイヤーがカービン銃をもって立ちはだかり「喝」を入れます。
「貴様ら、恥を知れ、恥を。さっさと戻って、ソントーを防衛せんか!」
そして頼りになる部下に指示を与えるマイヤー。
ティーガー戦車長のヴィットマンは、このまま死地へと赴くのでした。
う~ん。本書では"パンツァー"マイヤー目立ちますね。「擲弾兵」再読したくなってきました。
このカーン~ファレーズ街道をめぐる戦いでは、カナダ第2軍団は1327名を捕虜としますが、
憎っくき「ヒトラーユーゲント師団」の兵士はわずかに8名のみ・・。
確かに狂信的な戦士といわれ、包囲されても降伏する可能性は低い彼らですが、
「この8名という数字は衝撃的である」としています。もちろん「報復」の結果も含めてですね。
面白い話では、ドゴールの思惑により、パリ解放一番乗りを目指す「ルクレール師団」が
前進するにつれ600名近い死傷者を出しますが、自分も参加したいと言うフランスの若者は
片っ端から採用し、そのなかの1名は武装SS「ライプシュタンダルテ」に所属していた
アルザス出身の兵士だったそうです。
解放された町々のフランス人たちは、道端で倒れた連合軍兵士に花を供える一方、
レジスタンス組織や「FFI(フランス国内軍)」が逃亡を図るドイツ人を捕えては、
捕虜として、自慢げに正規軍に引き渡します。
もっとも、ゲシュタポやSS関係者だった場合には、彼らが生き延びるチャンスはほとんどありません。
あ~、本書には書かれていませんでしたが、"パンツァー"マイヤーも確かこんな風にして
捕虜になってしまいましたね。まぁ、ラッキーな人です。
また、ドイツ軍兵士との「協力」があったフランス人女性たちは、公衆の面前で
髪の毛を刈られる辱めを受けた後、そのまま「市中引き回し」の目に遭います。
この有名な件も著者は次のように解釈します。
「そうした若い女たちは、特にレジスタンス運動に参加したと、自ら胸を張れない男たちにとって、
ごく手近にいる、最も血祭りにあげやすい恰好の標的だったのである」。
「ファレーズ包囲網」が閉じられようとするころ、西方軍司令官クルーゲが
ヒトラーの疑心暗鬼の犠牲者となって、モーデル元帥と交代。
ベルリンへと向かう途中で青酸カリを呷るクルーゲ・・。
ファレーズの街道ではドイツ兵の死体の上を連合軍の戦車が通り過ぎ、
死んだ軍馬に破壊された装甲車が散乱。
真夏の8月の最中、蠅がたかり、ガスで膨らんだ死体、黒焦げで炭化した死体。
ノルマンディの戦いで奮戦した後、「大パリ司令官」となったコルティッツ将軍ですが、
パットンの第3軍に対処するために次々と部隊を持って行かれ、
いまや老兵からなる保安連隊に自転車で移動する2個歩兵中隊、
若干の対空砲、フランス製装甲車17両、戦車4両が手元に残っただけ。
この土壇場で新たに招集された部隊は、
パリ在住のドイツ国籍の民間人から成る「通訳翻訳大隊」です。。
こうして8月24日、フランス第2機甲師団、通称「ルクレール師団」がパリ市内に進軍します。
パリ市民が大歓声共に殺到し、兵士はキスやアルコールが振る舞われつつも前進を続けますが
1両のシャーマン戦車に両手を挙げて近づいてきた美しい娘が車体によじ登ろうとしたとき、
ドイツ軍の機関銃が火を噴きます。
そして地面へと滑り落ちた娘がシャーマンのキャタピラに巻き込まれるという事件も・・。
また、フレーヌ刑務所の外では88㎜対戦車砲を操る部隊の姿・・。
彼らはそれまで刑務所に収監されていた「札付きドイツ兵」であり、
ズックの囚人服を着たままです。
2両のシャーマンを葬るものの、やがて残りの戦車によって粉砕されるのでした。
こんな彼らの話はそのうちに「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」に登場するのかも・・?
なんてこと言ってないで、早く「Ⅲ 」を読まないと・・。。
「大パリ司令官」のコルティッツも「パリを燃やす」ことなく、降伏文書にサイン。
司令部のあったオテル・マジェスティックの前には人々が集まり、
捕虜が建物から引き出される度に歓声をあげます。
しかし若い兵士4名がいきなりその場で射殺されたり、
ドイツ軍捕虜を満載したトラックに手榴弾を投げ込もうとする輩がいたりと大混乱ですね。。
やって来た米軍と言えば、この「華の都パリ」で存分に贅沢を味わうべく、
最高級のホテルを残らず接収するという暴挙に及び、フランス人でさえ立ち入り禁止。
問題は溜まりに溜まった給料をこのほどまとめて支給されたことであり、
前線であれだけキツイ目に遭ったのだから、
今こそ好き勝手に振る舞う権利があると信じていることで、
ヴァンドーム広場の歩道で米兵が酔って寝ていることにフランス人もショックを受けます。
それは非番の時でさえ、咥え煙草で歩くのは禁じられていたドイツ兵との差があり過ぎる・・。
フランス共産党はそんな米軍を「解放軍」ではなく、「新たな占領勢力」というレッテルを貼るほど。
最後には連合軍、ドイツ軍双方の損害等を数字であげながら、
連合軍の上陸からノルマンディ解放までに殺されたフランスの民間人が2万人。
上陸前の準備爆撃での被害が15000人。
戦争の全期間を通じ、連合軍の手によって命を落としたフランス人の数は7万人に膨れ上がり、
この数字は、ドイツ軍の爆撃によって殺された英国人を上回っている・・としています。
ふぇ~。。いやいや凄いボリュームでしたが、最後まで楽しく読みました。
美味いとんかつ屋さんで、ヒレと海老フライとあじフライの乗ったミックスフライを
ご飯とキャベツと味噌汁もおかわりして、腹一杯で動けなくなったような状況ですね。。
上下巻を通して読むと、上巻で思った連合軍内の対立の構図は必要最低限に留まり、
基本は前線での師団、大隊、中隊、戦闘団の激烈極まる戦いの様子、
そして開放されたノルマンディからパリに至るまでのフランス人との知られざるエピソードなど、
米英加独仏の軍人たちが入れ替わり立ち代り登場する展開です。
ただ、それゆえこの戦いにおける大局的な全体像が掴みにくいとも思います。
初めて「ノルマンディ上陸作戦」から「パリ開放」ものを読まれる方には、ちょっとどうかなぁ・・
とも思いますが、「史上最大の作戦」や、「パリは燃えているか」がまた、楽しめるでしょうし、
ドイツ軍の奮戦するシーンでは、パウル・カレルの「彼らは来た」を思い出しました。
この次は8月に出た560ページの「パリ解放 1944-49」も読まなくてはなりませんね。
アントニー・ビーヴァー著の「ノルマンディー上陸作戦1944(下)」を読破しました。
この分厚い上下巻も492ページの後半に突入しました。
上巻までの印象は、この大作戦をバランスよく書かれていると思いました。
すなわち、アイゼンハワーを筆頭とした連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)内のゴタゴタに、
モントゴメリー、ブラッドレーの軍集団指揮官の戦術、彼らの隷下で部隊の指揮を執る師団長。
そして前線での激しい戦いで気がふれてしまう新米兵士まで・・。
一方のドイツ軍もヒトラーに始まり、ロンメルのような軍集団司令官の発言、
陸軍、空軍降下猟兵軍団、武装SSの師団長たちの軋轢と共同作戦。
ロシアやポーランドから来た、やる気ゼロのヒーヴィに、
血みどろになりながらも鬼神の如く戦い続けるヒトラーユーゲント師団の少年兵まで。。
第18章「サン=ロー攻略へ」から始まるこの下巻は、ドイツ軍が最も恐れるパットン将軍が
遂に正真正銘、米第3軍の指揮を取り、大陸への上陸を果たすところからです。
しかし、すでにD-デイから1ヶ月を過ぎたこの時期、戦闘は各地で苛烈さを増しており、
捕虜の殺害などの報復合戦だけでなく、赤十字のマークも役には立たず、
連合軍では「医療チームが一人残らずドイツ軍に残忍に殺された」と報告すると、
ドイツ軍側も、「連合軍戦闘機は赤十字を付けた救急車を空から攻撃した」と報告します。
それでもシェルブールで身動きの取れなくなったドイツの従軍看護婦の扱いをめぐり、
米第1歩兵師団とドイツ第2装甲師団の間で一時休戦がまとまり、引き渡し式が挙行されます。
この騎士道的な話を聞いたB軍集団司令官ロンメルは、
ヒトラーがこのまま戦争終結を拒むようなら、密かに米側と接触して休戦交渉に入ることを決意。
武装SSのヒトラーユーゲント師団を率いるマイヤーSS大佐に出頭を命じ、
間近に迫る英軍の「グッドウッド作戦」について「貴官の所見を訊きたい」と質問。
「兵士たちは引き続き戦い、それぞれの陣地において死に続けるでしょう。そして彼らは、
英軍の戦車が自分たちの死体を踏み潰し、パリへと進軍するのを阻止できないでしょう」
と答えます。OKWを非難し、「私がなんとかせねば・・」と熱く語るロンメル。。
一方の連合軍では「なんと、あの"モンティ"が遂に突破攻撃に出るそうだ」と聞いて、
すべての上級司令官が神に感謝するのでした。
爆撃機2600機でドイツ軍陣地を叩くという地上軍支援の航空兵力としては空前の規模で始まり、
その2時間半も続く、人間が作り出した大地震の前に、ドイツ兵も気が挫け、
気が触れた兵士たちのあげる絶叫、爆風によって重戦車ティーガーさえひっくり返り、
ゆれる地面に耐えきれず、おのが銃で命を絶つ者も・・。
しかし、地雷原で手こずった英軍は、またしても大きな損害を出し、作戦は失敗。
第20章は「ヒトラー暗殺計画」です。
トレスコウやシュタウフェンベルクといった首謀者に触れながら、西部戦線の関係者である
ロンメルに参謀長のシュパイデル、クルーゲ、シュテルプナーゲルらの動きに加え、
カーンが陥落する直前、SSの重鎮ゼップ・ディートリッヒまでがロンメルの元へやってきて
「迫りくる崩壊」に関し、どのようにお考えか?と尋ねます。
ゼップは「SS部隊は私が完全に掌握している」と請け負ったものの、
シュパイデルにどこまで暗殺計画を教えてもらえたかは定かではないとしています。
「髑髏の結社 SSの歴史(下)」でもこの件について少し触れられていましたが、
このシュパイデルの回想録「戦力なき戦い」は一度、読んでみたいんですよね。
街を瓦礫にして占領したサン=ローから、米軍は「コブラ作戦」を発動します。
英軍のしくじった「グッドウッド作戦」と同様、まず爆撃機によって敵陣を叩き、
そのショックから立ち直らないうちに突破を図ろうとするこの作戦ですが、
2日間に渡って自軍の上に爆弾を投下するといった、有名な大失態が起こります。
そんなことにもめげず、作戦は順調に進み、ドイツ軍は大混乱に陥ります。
「モルタン反撃」、ドイツ側では「リュティヒ作戦」と呼ぶ、ヒトラーの反撃の章は
とても興味深かったですね。
この作戦を直接指揮するのは第47装甲軍団司令官の男爵ハンス・フォン・フンク大将ですが、
隷下の第116装甲師団の伯爵フォン・シュヴェーリン中将と積年の確執があり、
かなり仲が悪いんですね。
さらに作戦開始の前日になって、フンクがかつての陸軍総司令官フリッチュの
個人参謀であったことから、ヒトラーによって「エーベルバッハと交代させよ」と
西方軍司令官のクルーゲに命令が・・。
結局、うやむやの内に始まった作戦ですが、年上で階級も上の男爵によって
反ナチ的な45歳の若き伯爵師団長は解任。。それにしてもこの人、いい顔してますねぇ。
ファレーズに向けた「トータライズ作戦」が始まると、
算を乱して退却してくる第89師団の兵士たちの前に、
"パンツァー"マイヤーがカービン銃をもって立ちはだかり「喝」を入れます。
「貴様ら、恥を知れ、恥を。さっさと戻って、ソントーを防衛せんか!」
そして頼りになる部下に指示を与えるマイヤー。
ティーガー戦車長のヴィットマンは、このまま死地へと赴くのでした。
う~ん。本書では"パンツァー"マイヤー目立ちますね。「擲弾兵」再読したくなってきました。
このカーン~ファレーズ街道をめぐる戦いでは、カナダ第2軍団は1327名を捕虜としますが、
憎っくき「ヒトラーユーゲント師団」の兵士はわずかに8名のみ・・。
確かに狂信的な戦士といわれ、包囲されても降伏する可能性は低い彼らですが、
「この8名という数字は衝撃的である」としています。もちろん「報復」の結果も含めてですね。
面白い話では、ドゴールの思惑により、パリ解放一番乗りを目指す「ルクレール師団」が
前進するにつれ600名近い死傷者を出しますが、自分も参加したいと言うフランスの若者は
片っ端から採用し、そのなかの1名は武装SS「ライプシュタンダルテ」に所属していた
アルザス出身の兵士だったそうです。
解放された町々のフランス人たちは、道端で倒れた連合軍兵士に花を供える一方、
レジスタンス組織や「FFI(フランス国内軍)」が逃亡を図るドイツ人を捕えては、
捕虜として、自慢げに正規軍に引き渡します。
もっとも、ゲシュタポやSS関係者だった場合には、彼らが生き延びるチャンスはほとんどありません。
あ~、本書には書かれていませんでしたが、"パンツァー"マイヤーも確かこんな風にして
捕虜になってしまいましたね。まぁ、ラッキーな人です。
また、ドイツ軍兵士との「協力」があったフランス人女性たちは、公衆の面前で
髪の毛を刈られる辱めを受けた後、そのまま「市中引き回し」の目に遭います。
この有名な件も著者は次のように解釈します。
「そうした若い女たちは、特にレジスタンス運動に参加したと、自ら胸を張れない男たちにとって、
ごく手近にいる、最も血祭りにあげやすい恰好の標的だったのである」。
「ファレーズ包囲網」が閉じられようとするころ、西方軍司令官クルーゲが
ヒトラーの疑心暗鬼の犠牲者となって、モーデル元帥と交代。
ベルリンへと向かう途中で青酸カリを呷るクルーゲ・・。
ファレーズの街道ではドイツ兵の死体の上を連合軍の戦車が通り過ぎ、
死んだ軍馬に破壊された装甲車が散乱。
真夏の8月の最中、蠅がたかり、ガスで膨らんだ死体、黒焦げで炭化した死体。
ノルマンディの戦いで奮戦した後、「大パリ司令官」となったコルティッツ将軍ですが、
パットンの第3軍に対処するために次々と部隊を持って行かれ、
いまや老兵からなる保安連隊に自転車で移動する2個歩兵中隊、
若干の対空砲、フランス製装甲車17両、戦車4両が手元に残っただけ。
この土壇場で新たに招集された部隊は、
パリ在住のドイツ国籍の民間人から成る「通訳翻訳大隊」です。。
こうして8月24日、フランス第2機甲師団、通称「ルクレール師団」がパリ市内に進軍します。
パリ市民が大歓声共に殺到し、兵士はキスやアルコールが振る舞われつつも前進を続けますが
1両のシャーマン戦車に両手を挙げて近づいてきた美しい娘が車体によじ登ろうとしたとき、
ドイツ軍の機関銃が火を噴きます。
そして地面へと滑り落ちた娘がシャーマンのキャタピラに巻き込まれるという事件も・・。
また、フレーヌ刑務所の外では88㎜対戦車砲を操る部隊の姿・・。
彼らはそれまで刑務所に収監されていた「札付きドイツ兵」であり、
ズックの囚人服を着たままです。
2両のシャーマンを葬るものの、やがて残りの戦車によって粉砕されるのでした。
こんな彼らの話はそのうちに「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」に登場するのかも・・?
なんてこと言ってないで、早く「Ⅲ 」を読まないと・・。。
「大パリ司令官」のコルティッツも「パリを燃やす」ことなく、降伏文書にサイン。
司令部のあったオテル・マジェスティックの前には人々が集まり、
捕虜が建物から引き出される度に歓声をあげます。
しかし若い兵士4名がいきなりその場で射殺されたり、
ドイツ軍捕虜を満載したトラックに手榴弾を投げ込もうとする輩がいたりと大混乱ですね。。
やって来た米軍と言えば、この「華の都パリ」で存分に贅沢を味わうべく、
最高級のホテルを残らず接収するという暴挙に及び、フランス人でさえ立ち入り禁止。
問題は溜まりに溜まった給料をこのほどまとめて支給されたことであり、
前線であれだけキツイ目に遭ったのだから、
今こそ好き勝手に振る舞う権利があると信じていることで、
ヴァンドーム広場の歩道で米兵が酔って寝ていることにフランス人もショックを受けます。
それは非番の時でさえ、咥え煙草で歩くのは禁じられていたドイツ兵との差があり過ぎる・・。
フランス共産党はそんな米軍を「解放軍」ではなく、「新たな占領勢力」というレッテルを貼るほど。
最後には連合軍、ドイツ軍双方の損害等を数字であげながら、
連合軍の上陸からノルマンディ解放までに殺されたフランスの民間人が2万人。
上陸前の準備爆撃での被害が15000人。
戦争の全期間を通じ、連合軍の手によって命を落としたフランス人の数は7万人に膨れ上がり、
この数字は、ドイツ軍の爆撃によって殺された英国人を上回っている・・としています。
ふぇ~。。いやいや凄いボリュームでしたが、最後まで楽しく読みました。
美味いとんかつ屋さんで、ヒレと海老フライとあじフライの乗ったミックスフライを
ご飯とキャベツと味噌汁もおかわりして、腹一杯で動けなくなったような状況ですね。。
上下巻を通して読むと、上巻で思った連合軍内の対立の構図は必要最低限に留まり、
基本は前線での師団、大隊、中隊、戦闘団の激烈極まる戦いの様子、
そして開放されたノルマンディからパリに至るまでのフランス人との知られざるエピソードなど、
米英加独仏の軍人たちが入れ替わり立ち代り登場する展開です。
ただ、それゆえこの戦いにおける大局的な全体像が掴みにくいとも思います。
初めて「ノルマンディ上陸作戦」から「パリ開放」ものを読まれる方には、ちょっとどうかなぁ・・
とも思いますが、「史上最大の作戦」や、「パリは燃えているか」がまた、楽しめるでしょうし、
ドイツ軍の奮戦するシーンでは、パウル・カレルの「彼らは来た」を思い出しました。
この次は8月に出た560ページの「パリ解放 1944-49」も読まなくてはなりませんね。
ワタクシがガキの頃初めて買った戦記物が「彼らは来た」でした。
ノルマンディー戦、やはりそそられますね~
お小遣いと相談ですが、購入して正月にゆっくり読みたいな。
by ハッポの父 (2012-12-20 22:31)
「彼らは来た」・・良いですよねぇ。
アレを読んだときには、さすがにドイツ軍強すぎるんじゃないの??
と思いましたが、本書でもそれ以上の強さで頑張ります。
ハッポの父さんなら、とても楽しめると思いますよ。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-12-21 06:57)
ヴィト様どうも~
こちらのブログの影響で、パウルカレルは一度読みたいなと思ってますが。。。。
>腹一杯で動けなくなったような状況ですね。。
の後の写真のセレクトがなんともwww
>「ヒトラーユーゲント師団」の兵士はわずかに8名のみ
いやはや。。。。 ゲルマン魂ここにありですかね。
ところで、最近はここに来ると「現在独破中の人」がいつも6、7人いて、多いなーと思う事がおおいのですが、今は夜中なので珍しく一人。気持ち的に静かに独破ですw
by IZM (2012-12-21 08:20)
ど~も。IZMさん。
遂にパウル・カレルにいってしまいますか・・。
基本的には一兵卒から元帥まで次から次へと登場する細かい戦記ですから、脅かすわけじゃありませんが、軍と師団と軍集団と軍団といった単位を頭の中で大きい順にすぐに並べ替えできたり、ドイツ軍の将軍の名前を1分間で18人は挙げられないと、「バルバロッサ作戦」、「焦土作戦」、「彼らは来た」は睡魔に負けてしまいます。。
ボクも初めて読んだときにはサッパリで、実に苦労しました。ただ、それがキッカケになったんですけどね。。
ですから例えば「砂漠のキツネ」なんかがロンメル中心で読みやすいと思います。ヨッヘン・マルセイユなんかも出てきたり・・。
あとは名著「捕虜」ですかね。後半に進むにしたがって待遇が厳しくなってくるんですが、読む方も彼らと一緒に耐えるわけです。
>の後の写真のセレクトがなんともwww
コレはまぁなんと、偶然の産物です。。最後の2枚で負けたドイツ軍と勝った連合軍の対比イメージをしたかっただけなんですね。
>「現在独破中の人」がいつも6、7人
へ~。。そんなにいますか? ボクが自分で見るときは大抵2~3人ですよ。
でも最近はコメントより、Twitterでつぶやかれることが多いみたいで、そんなときには一気に「20人」を超えたりとか・・。
ボクもつぶやいてみようか・・と思っている今日この頃です。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-12-21 12:19)
ども~、リントです!
う~ん、さすがはD-DAY、第二次大戦の「クライマックス」ですからいろんなドラマがあるんですね~。
因みにD-DAYといえば私の注目は何といってもドイツ空軍のエクスパルテンの中で最も好きなヨーゼフ・プリラーですかね。
D-DAY前日の夕刻、僚機と共に2機のFw190でソード海岸に上陸しつつあった敵部隊に低空攻撃を掛けたという、映画「史上最大の作戦」でも描かれた有名なエピソード、確かこの時プリラーさんってば二日酔いの状態だったとかで、これなんか「コラコラ、航空団司令のクセに飲酒運転(飛行)かよ!」と大いにツッコミたくなる豪快伝説です。
忘年会、新年会などでアルコール摂取の機会が多くなる年末年始、我々も飲み過ぎには充分に気をつけたいものですね(^^)
↑なんか無理やりな感じで〆コメントしてみました。。。
ではまた!
by リント (2012-12-21 19:52)
ど~も。リントさん。
本日も無事に帰還して、一杯始めたヴィトゲンシュタインです。
そ~ですか。プリラーですかぁ。
本書には一切出てこなかったハズ(空海はほとんど無視)ですが、確かにこのD-Dayをとんかつに例えるならプリラーは、女将さん自家製の美味いキュウリの御新香ってトコですね。。
過去に紹介した、JG26"シュラゲーター"が書かれた「ドイツ空軍の終焉」でも登場しましたし、「西部戦線の独空軍」では、ほとんど主役級の扱いでしたので、ボクもこの男臭いエクスパルテンは大好きです。
ボクも忘年会にもめげず、頑張りますよぉ。今年はあと3回は更新したいですね。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-12-21 20:46)
とりあえず「上」を購入。今日届きました。
これから一杯やりつつ「読破」開始です!
by ハッポの父 (2012-12-22 23:00)
いつもながら「一杯やりながら・・」っていうのが羨ましいですね。
仕事の関係で来年から読破時間が減りそうなので、ボクもチャレンジしてみようかな。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-12-23 12:21)