東部戦線 ―SS未公開写真集― [武装SS]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
イアン・バクスター著の「東部戦線―SS未公開写真集」をなんとか読破しました。
姉妹編である「西部戦線―SS未公開写真集―」を読んだのが、もう3年以上前。
同時に買っていた本書ですが、その「西部戦線」の内容にやられてスッカリ読む気は失せ・・。
その後、同じ出版社である「リイド社」の武装SS師団シリーズも読みましたが、
「SS-WIKING -第5SS師団の歴史」を最後に本書は無かったことにしていました。
しかし、それから2年半も経つと、顔も見たくないほどムカつくアイツがどうしているか、
久しぶりに会ってみたい・・という悲しい人間の性によって、本書を開いてみることに。。
最初のバルバロッサ作戦の章の概要説明では、いきなりお約束「ヴァッヘンSS」が登場。
本書の「ヴァッフェンSS」との割合も、7:3くらいでしょうか。
そして、「トーテンコープフ師団は当初、マンシュタイン(訳注:ドイツの陸軍元帥で
南方軍集団の第11軍司令官)の猛攻を左側面から援護した」と書かれます。
この後、ラトヴィアからレニングラードへ進む「トーテンコープフ師団」の話が続きますが、
マンシュタインの「訳注」ヒド過ぎますね。。
トーテンコープフとマンシュタインが南方軍集団にいたのかと思ってビックリしました。
ここで翌年の話すんなよ・・。
さらに「ダス・ライヒ師団」がオリョールへ向けて前進すると、
「エリョーメンコ(訳注:ソ連軍陸軍元帥でスターリン方面軍の司令官)が指揮する
ブリャンスク方面軍の背後を・・・」。
う~む。。結局エリョーメンコ(エレメンコ)はドコの司令官なんでしょうか?
そもそも「スターリン方面軍」ってのは何でしょう??
彼も翌年、スターリングラード(南東)方面軍の司令官にはなりましたけどね。。
そしてこの3ページの概要説明は「もはやロシアで冬季戦を戦う以」
で突然、終わりを告げ、次のページから、写真とキャプションが始まります。
ここでもダス・ライヒのⅢ号戦車の写真のキャプションが凄い。
「ダス・ライヒ、トーテンコープフ、ヴィーキング、ポリツァイの各師団は
ボック元帥の中央軍集団に属していた」。
え~、もう、正解はなにか?? を書くのがバカバカしくなってきたので、
いっそのこと、ジョーク本のように面白かった部分を紹介しましょう。
本書にはかなりの「ポリツァイ師団」の写真が出てきます。
後に正式に第4SS警察装甲擲弾兵師団となるこの部隊の当時の制服は
完全に武装SSとは違って、警察と国防軍のごったまぜのような感じであり、
鮮明ではないものの、これはこれでなかなか珍しいなぁ・・と思うんですが、
1941年9月レニングラード戦線の写真では、
このポリツァイ師団の兵士たちが敬意を表している墓が
「ライプシュタンダルテ」の兵士のものだそうです。
さすがライプシュタンダルテ・・、どこでも戦ってんですね。。
休息を取るダス・ライヒ士官連の写真では、
「乗車の後部にダス・ライヒのマークである「G」が白地で記されているのに注目。
当然、この師団がSSの一翼を担っていたことを示す」。
こうして書きながらも笑いが込み上げてきて、キーボードを叩く指が震えます。。
そのダス・ライヒの師団長の「パウル・ハウサーによる閲兵のようす」では、
いまいちハウサーに似ていないのも気になりますが、やっぱりキャプションが・・。
「ハウサーはドイチュラント、ゲルマニア、デア・フューラーの各連隊を統合して
SS-VTを編成したが、この師団が後にダス・ライヒのライバルとなっていく」。
・・コレはいくらなんでもヒド過ぎます。翻訳が完全に間違っているとしか思えません。
たぶん原文は「ライバルの各連隊を統合してSS-VTを編成し、
後にダス・ライヒ師団となった」とか、そんなところなんじゃないでしょうか?
32ページのトーテンコープフの写真では、
「マンシュタイン率いる北方軍集団第56装甲軍団に配属され・・」と出てきました。
もう、最初からそう書けよ・・。
1942年の「デミャンスク・ポケット」でのトーテンコープフの写真は多いですね。
しかしやっぱり「ヂェミャーンスク」となっては、
「第1戦闘団の指揮官テオドール・アイケが包囲網南部の守備を命ぜられ、
第2戦闘団を率いるSS上級大将マックス・ジーモンは北西端の・・」。
まったく、アイケとジーモンのどっちが偉いんだか・・。
ちなみに本書で階級付きで書かれているのはハウサーSS上級大将に
ゼップ・ディートリッヒSS大将、グデーリアンとホトは大将となっています。
109ページの伝令用オートバイの写真になっても、再び、
「消えかけた白い「G」のマークが残っていて、これが一時期ダス・ライヒの偵察連隊に
所属していたことがわかる」と、完全に自信満々ですが、
さすがに訳注では、「G」はダス・ライヒが所属したグデーリアンの第2装甲集団を
意味すると思われる・・と気弱な突っ込みが入っていました。
ビビってないで、最初から訂正しましょう。
「ツィタデレ作戦」あたりから戦車の写真も増えてきました。
しかしⅣ号戦車の写真のキャプションはこんな感じです。
「SS3個師団で約422両の突撃砲を擁していたが、そのうち170両がⅣ号戦車だった」。
クルスクで敗北すると「国防軍」の記述も多くなってきます。
わさわざ「ヴェーアマハト」と振りがな付きですが、後半はほとんど「ヴェーヤマハト」。。
前半の中央軍集団も、「中部軍集団」に改名します。
ダス・ライヒも突如として、「ドイツ国家」という師団名になったり・・。
その東部戦線で戦い続けるダス・ライヒも5000名と消耗すると、
「戦闘集団ラマーディング」と呼ばれます。
ラマーディングが何の名前か・・? には一切触れず、その編成は、
「第1大隊がドイチュラント連隊、第2大隊としてデア・フューラー連隊、
その他に1個歩兵連隊があった」そうです。
結局、大隊なのか連隊なのかはわかりません。
写真そのものは帯に「東部戦線秘蔵写真集」とアピールしているとおり、
未見の写真がほとんどでした。
これらは個人所有の250枚の写真だということですが、
まぁ、同じような写真や連続写真もあったり、特に第4SS「ポリツァイ」と
第6SS山岳師団「ノルト」の冬装備の写真が多かった印象ですね。
後半にはティーガーの写真も出てきて、ヴィットマンの戦車キラーぶりがキャプションで
書かれていますが、もちろんヴィットマン本人の写真はありませんし、
国防軍の戦車兵の写真が堂々と出てきたりして、
果たして、これらが本当に武装SSの戦車なのか・・? と疑問に思ってしまいます。
それは将校の写真にしても一緒で、SS大佐クラスでも「誰か」は不明で、
その代わりに写真と直接関係ないことがダラダラと書かれていて、やっぱり眠くなりました。
無理やり大人な姿勢で評価するならば、初めて武装SSの本を読まれる方には
「ほ~・・」という印象を与えられるかも知れません。
しかし、独ソ戦や武装SSに詳しい方が読まれた場合には、
その知識を激しく揺さぶられる衝撃的な一冊であり、
怒るか、呆れるか、笑うかしかありません。
怖いもの見たさで読んでみるのも、アリですよ。。
まぁ、コレでやっと「リイド社」のシリーズは終了です。 めでたし、めでたし。
イアン・バクスター著の「東部戦線―SS未公開写真集」をなんとか読破しました。
姉妹編である「西部戦線―SS未公開写真集―」を読んだのが、もう3年以上前。
同時に買っていた本書ですが、その「西部戦線」の内容にやられてスッカリ読む気は失せ・・。
その後、同じ出版社である「リイド社」の武装SS師団シリーズも読みましたが、
「SS-WIKING -第5SS師団の歴史」を最後に本書は無かったことにしていました。
しかし、それから2年半も経つと、顔も見たくないほどムカつくアイツがどうしているか、
久しぶりに会ってみたい・・という悲しい人間の性によって、本書を開いてみることに。。
最初のバルバロッサ作戦の章の概要説明では、いきなりお約束「ヴァッヘンSS」が登場。
本書の「ヴァッフェンSS」との割合も、7:3くらいでしょうか。
そして、「トーテンコープフ師団は当初、マンシュタイン(訳注:ドイツの陸軍元帥で
南方軍集団の第11軍司令官)の猛攻を左側面から援護した」と書かれます。
この後、ラトヴィアからレニングラードへ進む「トーテンコープフ師団」の話が続きますが、
マンシュタインの「訳注」ヒド過ぎますね。。
トーテンコープフとマンシュタインが南方軍集団にいたのかと思ってビックリしました。
ここで翌年の話すんなよ・・。
さらに「ダス・ライヒ師団」がオリョールへ向けて前進すると、
「エリョーメンコ(訳注:ソ連軍陸軍元帥でスターリン方面軍の司令官)が指揮する
ブリャンスク方面軍の背後を・・・」。
う~む。。結局エリョーメンコ(エレメンコ)はドコの司令官なんでしょうか?
そもそも「スターリン方面軍」ってのは何でしょう??
彼も翌年、スターリングラード(南東)方面軍の司令官にはなりましたけどね。。
そしてこの3ページの概要説明は「もはやロシアで冬季戦を戦う以」
で突然、終わりを告げ、次のページから、写真とキャプションが始まります。
ここでもダス・ライヒのⅢ号戦車の写真のキャプションが凄い。
「ダス・ライヒ、トーテンコープフ、ヴィーキング、ポリツァイの各師団は
ボック元帥の中央軍集団に属していた」。
え~、もう、正解はなにか?? を書くのがバカバカしくなってきたので、
いっそのこと、ジョーク本のように面白かった部分を紹介しましょう。
本書にはかなりの「ポリツァイ師団」の写真が出てきます。
後に正式に第4SS警察装甲擲弾兵師団となるこの部隊の当時の制服は
完全に武装SSとは違って、警察と国防軍のごったまぜのような感じであり、
鮮明ではないものの、これはこれでなかなか珍しいなぁ・・と思うんですが、
1941年9月レニングラード戦線の写真では、
このポリツァイ師団の兵士たちが敬意を表している墓が
「ライプシュタンダルテ」の兵士のものだそうです。
さすがライプシュタンダルテ・・、どこでも戦ってんですね。。
休息を取るダス・ライヒ士官連の写真では、
「乗車の後部にダス・ライヒのマークである「G」が白地で記されているのに注目。
当然、この師団がSSの一翼を担っていたことを示す」。
こうして書きながらも笑いが込み上げてきて、キーボードを叩く指が震えます。。
そのダス・ライヒの師団長の「パウル・ハウサーによる閲兵のようす」では、
いまいちハウサーに似ていないのも気になりますが、やっぱりキャプションが・・。
「ハウサーはドイチュラント、ゲルマニア、デア・フューラーの各連隊を統合して
SS-VTを編成したが、この師団が後にダス・ライヒのライバルとなっていく」。
・・コレはいくらなんでもヒド過ぎます。翻訳が完全に間違っているとしか思えません。
たぶん原文は「ライバルの各連隊を統合してSS-VTを編成し、
後にダス・ライヒ師団となった」とか、そんなところなんじゃないでしょうか?
32ページのトーテンコープフの写真では、
「マンシュタイン率いる北方軍集団第56装甲軍団に配属され・・」と出てきました。
もう、最初からそう書けよ・・。
1942年の「デミャンスク・ポケット」でのトーテンコープフの写真は多いですね。
しかしやっぱり「ヂェミャーンスク」となっては、
「第1戦闘団の指揮官テオドール・アイケが包囲網南部の守備を命ぜられ、
第2戦闘団を率いるSS上級大将マックス・ジーモンは北西端の・・」。
まったく、アイケとジーモンのどっちが偉いんだか・・。
ちなみに本書で階級付きで書かれているのはハウサーSS上級大将に
ゼップ・ディートリッヒSS大将、グデーリアンとホトは大将となっています。
109ページの伝令用オートバイの写真になっても、再び、
「消えかけた白い「G」のマークが残っていて、これが一時期ダス・ライヒの偵察連隊に
所属していたことがわかる」と、完全に自信満々ですが、
さすがに訳注では、「G」はダス・ライヒが所属したグデーリアンの第2装甲集団を
意味すると思われる・・と気弱な突っ込みが入っていました。
ビビってないで、最初から訂正しましょう。
「ツィタデレ作戦」あたりから戦車の写真も増えてきました。
しかしⅣ号戦車の写真のキャプションはこんな感じです。
「SS3個師団で約422両の突撃砲を擁していたが、そのうち170両がⅣ号戦車だった」。
クルスクで敗北すると「国防軍」の記述も多くなってきます。
わさわざ「ヴェーアマハト」と振りがな付きですが、後半はほとんど「ヴェーヤマハト」。。
前半の中央軍集団も、「中部軍集団」に改名します。
ダス・ライヒも突如として、「ドイツ国家」という師団名になったり・・。
その東部戦線で戦い続けるダス・ライヒも5000名と消耗すると、
「戦闘集団ラマーディング」と呼ばれます。
ラマーディングが何の名前か・・? には一切触れず、その編成は、
「第1大隊がドイチュラント連隊、第2大隊としてデア・フューラー連隊、
その他に1個歩兵連隊があった」そうです。
結局、大隊なのか連隊なのかはわかりません。
写真そのものは帯に「東部戦線秘蔵写真集」とアピールしているとおり、
未見の写真がほとんどでした。
これらは個人所有の250枚の写真だということですが、
まぁ、同じような写真や連続写真もあったり、特に第4SS「ポリツァイ」と
第6SS山岳師団「ノルト」の冬装備の写真が多かった印象ですね。
後半にはティーガーの写真も出てきて、ヴィットマンの戦車キラーぶりがキャプションで
書かれていますが、もちろんヴィットマン本人の写真はありませんし、
国防軍の戦車兵の写真が堂々と出てきたりして、
果たして、これらが本当に武装SSの戦車なのか・・? と疑問に思ってしまいます。
それは将校の写真にしても一緒で、SS大佐クラスでも「誰か」は不明で、
その代わりに写真と直接関係ないことがダラダラと書かれていて、やっぱり眠くなりました。
無理やり大人な姿勢で評価するならば、初めて武装SSの本を読まれる方には
「ほ~・・」という印象を与えられるかも知れません。
しかし、独ソ戦や武装SSに詳しい方が読まれた場合には、
その知識を激しく揺さぶられる衝撃的な一冊であり、
怒るか、呆れるか、笑うかしかありません。
怖いもの見たさで読んでみるのも、アリですよ。。
まぁ、コレでやっと「リイド社」のシリーズは終了です。 めでたし、めでたし。
どもっ、リントです!
いやぁ凄いですね、色々な意味で勉強になります。
この記事を読んで、物書きが常に気をつけなければならないのは、「一度世に出た出版物は、その内容を簡単には訂正できず、しかもそれが後世まで残る」…ということなんだなぁ、と痛感してます。
本書の著者も、後の世で爆笑(いや、冷笑かな?)されているとはつゆ知らず…ってトコでしょうね。
まぁ、そんな私も東と西を間違えて大恥かくところでしたから、人のことは全っ然言えませんが…(T-T)。
ああ、くわばらくわばら…
単なる誤字脱字の訂正から、時代考証の見直しまで、推敲とか校閲の大切さが身に沁みる今日この頃であります。。。
ではまた!
by リント (2012-11-29 16:25)
これ、内容が凄まじいですが、誤訳でここまでおかしくなるのでしょうか…
by 石井孝明 (2012-11-29 17:31)
ど~も。リントさん。
>単なる誤字脱字の訂正から、時代考証の見直しまで、推敲とか校閲の大切さが身に沁みる今日この頃であります。。。
もう、ボクのこんなBlogでさえ、誤字脱字チェックに時間かけますから、リントさんの小説だとどれだけ大変か、想像を絶しますね。「東と西」のツマラナイ突っ込み、ご容赦ください。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-11-29 19:52)
石井さん。こんばんわ。
>誤訳でここまでおかしくなるのでしょうか…
う~ん。。誤訳はかなり多いと思いますねぇ。おそらく、訳者さんは第2次大戦、ドイツ軍、武装SSにあまり詳しくない方なんでしょう。原文は英語で、ソコにドイツ語の階級、ロシア語の地域名が混じっているんでしょうから、尚更メチャクチャになってしまうのでは・・?
著者(原文)の大チョンボと言えるのは、「ダス・ライヒの『G』マーク」くらいだと思いますが、最初のマンシュタインやエレメンコの「訳注」も本書のように本文の途中に()カッコ書きではなく、ページの端っこに小さく、もっと丁寧に書かれていれば、こんなに驚くほどの話じゃないと思うんですね。そういったことを含めると、ボクが著者や訳者さんに対して文句を言っているわけではなく、あくまで「リイド社」が読者をナメているとしか思えないということです。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-11-29 20:05)