重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編 [パンツァー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ヴォルフガング・シュナイダー著の「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」を遂に読破しました。
姉妹編である「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」を読んで以来、2年も経ってしまいましたが、
8月にやっと姉である463ページの陸軍編を2700円で購入しました。
1996年発刊で定価6000円の大型本ですが、いま確認してみると
なぜか「〈2〉SS編」はプレミア価格で1万円超えてますねぇ。危ない、危ない・・。
その「〈2〉SS編」も大作でしたが、本書は100ページも多く、ボリュームたっぷりです。

まずPart1、「各重戦車大隊のカモフラージュとマーキング図版」として
第501重戦車大隊~第510、第301戦車大隊、第316戦車中隊の順で、
お馴染みのカラーイラストをふんだんに使って紹介します。
特に部隊特有のマーキングについては、カラーイラストだけでなく白黒の実物写真も掲載して、
第505重戦車大隊の「突撃する馬上の騎士」などにも細かく触れます。
う~ん。こういうの大好きですねぇ。

51ページからメインのPart2、「各重戦車大隊の日誌と編成・写真」となります。
第501重戦車大隊は第501、第502重戦車中隊を合併し、
第1補充戦車大隊などから兵を抽出して1942年5月に編成されます。
部隊のマーキングは「忍び寄る虎」。このアップの写真も良いですが、
アフリカでの「ヒトコブラクダ」とティーガーの仲むつまじいショットが最高です。
「日誌」部分では、以前に紹介した「第10戦車師団戦場写真集」にも登場したように、
この師団に配属されて、ロンメルと共に戦っています。

特に興味深いのは1944年5月の第2中隊長の無線手が「なんと、ロシア人女性であった!」
というヤツですね。おそらく捕虜の志願補助兵ヒヴィスなんだと思いますが、
ちょっと考えられません。。
8月にはフォン・レーガット大隊長がヒトラー暗殺未遂事件の連座容疑で解任されたり、
また、装備をティーガーⅡ(ケーニッヒスティーガー)に一新したクルーの写真では
333号車の戦車長が「左肩に優等射撃手章」を付けていますが、
コレは「ナチ独逸ミリタリー・ルック」で、「砲手勲功懸章」と書かれていて
気になっていたヤツと同じもののようですね。

そして1945年1月には燃料不足により全車両を爆破し、残存部隊は
余剰装甲車両を受領します。
それらはパンター2両、Ⅳ号戦車3両、ホルニッセ2両、ヘッツァー数両というもの。。
この有名な部隊の最期は物悲しいですね。
続いては、第502重戦車大隊です。
部隊のマーキングが「マムート(マンモス)」なのも知られていますが、この部隊が有名なのは、
150両撃破の大エース、オットー・カリウスが所属していたことも大きいでしょう。
本書では部隊ごとの最初のページに、大隊の総戦果や大隊長の任期、
そして騎士十字章以上の受章者が紹介されます。
この第502だと、総戦果は1400両以上の戦車に火砲2000門以上で、
騎士十字章はカリウス以外にも8名排出し、大隊長のイェーデ少佐や、
カリウスの相棒ケルシャー軍曹の名も・・。

1943年に大島大使が第1中隊を訪問し、その後、日本政府はティーガーを1両購入したそうです。
ちなみに価格は645000ライヒスマルク。。
これが同盟国に対する適正価格なのか、ボッタくっているのかはわかりません・・。
1944年になると「日誌」にはカリウスの名が多くなってきます。
「グラーフ・シュトラハヴィッツ大佐は躊躇する第2中隊長を解任し、カリウス少尉が指揮を取る」。

しかし「数両の戦車に援護されてソ連軍女性大隊が攻撃を開始・・・」という記述に一番驚きました。
知っている限りでは、赤軍の女性兵士は通常の男性兵士の部隊に編入されて、
同等の扱いを受けるというもので、空軍の「夜の魔女」などを除き、
女性兵士で構成された狙撃兵(歩兵)部隊というのは存在しないと思っていました。
この記述が正しいとすると、ひょっとしたら「懲罰大隊」なんじゃないでしょうか?

最近、ソ連の懲罰大隊を描いたドラマ「捕虜大隊 シュトラフバット」のDVD5枚組をまとめて購入し、
3日間で観倒したばかりで、確かにこの懲罰大隊には女性が1人もいなかったので、
余計にそう思っています。
ちなみに「シュトラフバット」、とても面白かったですよ。
戦闘シーンより、人間ドラマが深く描かれ、助演クラスの中隊長はみんなヒドイ顔してますが、
演技が上手くて、感動してしまいました。

第503重戦車大隊にはカリウスを凌ぐ162両撃破の大エース、クニスペル曹長が。
1944年1月にはDr.ベーケ中佐配下となり、「チェルカッシィ」で包囲されたドイツ軍の救出に参加。
ティーガー332号車が撃破されてしまいますが、これを屠ったのは
「ライプシュタンダルテ」のパンター戦車です。やっぱり国防軍と武装SSは仲悪かったのか・・?
ということではなく、単なる誤射だそうで、本書では所々で自軍の対戦車砲などで
誤射により撃破されていました。

10月にはブダペスト城を占拠します。
これはスコルツェニーの「パンツァーファウスト作戦」ですね。
12月には部隊名が「フェルトヘルンハレ」に改称され、
1945年4月29日という終戦直前、エースのクニスペル曹長が戦死。。
もし、あと数日生き残って回想録でも書けば、カリウスを凌ぐ人気者になったかも知れません。。

ここから1943年になって編成された部隊、最初は第504重戦車大隊です。
西側連合軍に押される北アフリカに派遣され、ヘルマン・ゲーリング装甲師団と共に戦いますが、
イタリアへ撤退を余儀なくされます。
このメッシーナ海峡をフェリーで渡ることの出来た、唯一の222号車の写真は良いですね。
1945年4月の日誌、「投降兵の一部がニュージーランド軍第2師団によって虐殺される」
というのは印象的です。
同じく1943年に編成された第505重戦車大隊ですが、アフリカ行きを予定されていたものの、
初陣となったのは夏の東部戦線「ツィタデレ作戦」です。
第9軍司令官モーデルの訪問も受け、中央軍集団司令官クルーゲも視察に訪れます。

第506重戦車大隊では、ティーガーⅡを45両受領した後、何の因果か、
オランダのアーネムへの移動命令を受けています。時は1944年9月8日・・。
モントゴメリーの「マーケット・ガーデン作戦」が始まるわずか9日前・・。
到着したのは24日で、本書での記録によると第9SS、第10SS装甲師団に配属されて
後半の掃討戦に活躍しているようです。
さらにこの後、「バルジの戦い」にも参加していますが、バストーニュ攻撃に失敗し、
ティーガーⅠ、ティーガーⅡも爆破処分したあと、第5装甲軍司令官マントイフェルによって、
大隊長のランゲ少佐が解任されてしまっています。

第507重戦車大隊の日誌では、1945年3月に米軍第3歩兵師団のローズ少将を
「過失により殺害」すると、この事件に怒った米軍は報復として100名のドイツ兵捕虜を殺害し、
4月にはカイザーホフ・ホテルの前で動けなくなったティーガーⅡの搭乗員も
米軍によって殺害・・と、この写真は有名ですが、彼らはそんな運命だったんですねぇ。
100名のドイツ捕虜殺害も初めて知りました。

編成されて1944年1月にイタリアに向かったのは第508重戦車大隊ですが、
パラッツォ・デ・アンジュリスの前やテヴェレ川でローマ市民と共に記念写真に興じる
ティーガー戦車兵が笑えます。

第509重戦車大隊は1945年1月、オットー・ギレが指揮する第4SS戦車軍団に配属されますが
ちょっとしたゴタゴタが続きます。
まず、大隊長が軽傷にも関わらず入院してしまったため、Dr.ケーニグ大尉が
代わって指揮を取ります。しかし3日後、武装SS「トーテンコップ」から派遣された
ライベルSS大尉が大隊の猛反対にも関わらず、指揮を取ることに・・。
その結果、損害を被った大隊は、「SS戦車連隊への配属」、「不適任者による指揮」といった苦情を
第3装甲軍団のブライト将軍を批判する報告書として、グデーリアンに提出。。
最後にオマケ程度に紹介される第301戦車大隊と第316戦車中隊は
ティーガーと無線操縦のボルクヴァルトBⅣ重装薬運搬車を装備した部隊です。

いや~、「〈2〉SS編」は2日で読んだ記憶がありますが、今回は週末2回、計4日間かかりました。
掲載されている写真のほとんどがティーガーですし、その1枚1枚の写真の見所を探すだけでも
結構、時間がかかったようです。
「日誌」部分も今回紹介した以外にも興味深い記述も多く、
特に大隊と言いながらも実際は中隊や小隊単位であちらこちらの防衛戦に借り出され、
まさに「火消し」としてのティーガー戦車であったのがよく理解できますが、
大隊長からしてみれば、勘弁してよ・・と愚痴りたくなるのもわかります。
まだ大日本絵画の大判写真集は「続・クルスクの戦い」と「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集」
がありますので、来年にでも購入できれば・・。
ヴォルフガング・シュナイダー著の「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」を遂に読破しました。
姉妹編である「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」を読んで以来、2年も経ってしまいましたが、
8月にやっと姉である463ページの陸軍編を2700円で購入しました。
1996年発刊で定価6000円の大型本ですが、いま確認してみると
なぜか「〈2〉SS編」はプレミア価格で1万円超えてますねぇ。危ない、危ない・・。
その「〈2〉SS編」も大作でしたが、本書は100ページも多く、ボリュームたっぷりです。

まずPart1、「各重戦車大隊のカモフラージュとマーキング図版」として
第501重戦車大隊~第510、第301戦車大隊、第316戦車中隊の順で、
お馴染みのカラーイラストをふんだんに使って紹介します。
特に部隊特有のマーキングについては、カラーイラストだけでなく白黒の実物写真も掲載して、
第505重戦車大隊の「突撃する馬上の騎士」などにも細かく触れます。
う~ん。こういうの大好きですねぇ。

51ページからメインのPart2、「各重戦車大隊の日誌と編成・写真」となります。
第501重戦車大隊は第501、第502重戦車中隊を合併し、
第1補充戦車大隊などから兵を抽出して1942年5月に編成されます。
部隊のマーキングは「忍び寄る虎」。このアップの写真も良いですが、
アフリカでの「ヒトコブラクダ」とティーガーの仲むつまじいショットが最高です。
「日誌」部分では、以前に紹介した「第10戦車師団戦場写真集」にも登場したように、
この師団に配属されて、ロンメルと共に戦っています。

特に興味深いのは1944年5月の第2中隊長の無線手が「なんと、ロシア人女性であった!」
というヤツですね。おそらく捕虜の志願補助兵ヒヴィスなんだと思いますが、
ちょっと考えられません。。
8月にはフォン・レーガット大隊長がヒトラー暗殺未遂事件の連座容疑で解任されたり、
また、装備をティーガーⅡ(ケーニッヒスティーガー)に一新したクルーの写真では
333号車の戦車長が「左肩に優等射撃手章」を付けていますが、
コレは「ナチ独逸ミリタリー・ルック」で、「砲手勲功懸章」と書かれていて
気になっていたヤツと同じもののようですね。

そして1945年1月には燃料不足により全車両を爆破し、残存部隊は
余剰装甲車両を受領します。
それらはパンター2両、Ⅳ号戦車3両、ホルニッセ2両、ヘッツァー数両というもの。。
この有名な部隊の最期は物悲しいですね。
続いては、第502重戦車大隊です。
部隊のマーキングが「マムート(マンモス)」なのも知られていますが、この部隊が有名なのは、
150両撃破の大エース、オットー・カリウスが所属していたことも大きいでしょう。
本書では部隊ごとの最初のページに、大隊の総戦果や大隊長の任期、
そして騎士十字章以上の受章者が紹介されます。
この第502だと、総戦果は1400両以上の戦車に火砲2000門以上で、
騎士十字章はカリウス以外にも8名排出し、大隊長のイェーデ少佐や、
カリウスの相棒ケルシャー軍曹の名も・・。

1943年に大島大使が第1中隊を訪問し、その後、日本政府はティーガーを1両購入したそうです。
ちなみに価格は645000ライヒスマルク。。
これが同盟国に対する適正価格なのか、ボッタくっているのかはわかりません・・。
1944年になると「日誌」にはカリウスの名が多くなってきます。
「グラーフ・シュトラハヴィッツ大佐は躊躇する第2中隊長を解任し、カリウス少尉が指揮を取る」。

しかし「数両の戦車に援護されてソ連軍女性大隊が攻撃を開始・・・」という記述に一番驚きました。
知っている限りでは、赤軍の女性兵士は通常の男性兵士の部隊に編入されて、
同等の扱いを受けるというもので、空軍の「夜の魔女」などを除き、
女性兵士で構成された狙撃兵(歩兵)部隊というのは存在しないと思っていました。
この記述が正しいとすると、ひょっとしたら「懲罰大隊」なんじゃないでしょうか?

最近、ソ連の懲罰大隊を描いたドラマ「捕虜大隊 シュトラフバット」のDVD5枚組をまとめて購入し、
3日間で観倒したばかりで、確かにこの懲罰大隊には女性が1人もいなかったので、
余計にそう思っています。
ちなみに「シュトラフバット」、とても面白かったですよ。
戦闘シーンより、人間ドラマが深く描かれ、助演クラスの中隊長はみんなヒドイ顔してますが、
演技が上手くて、感動してしまいました。
第503重戦車大隊にはカリウスを凌ぐ162両撃破の大エース、クニスペル曹長が。
1944年1月にはDr.ベーケ中佐配下となり、「チェルカッシィ」で包囲されたドイツ軍の救出に参加。
ティーガー332号車が撃破されてしまいますが、これを屠ったのは
「ライプシュタンダルテ」のパンター戦車です。やっぱり国防軍と武装SSは仲悪かったのか・・?
ということではなく、単なる誤射だそうで、本書では所々で自軍の対戦車砲などで
誤射により撃破されていました。

10月にはブダペスト城を占拠します。
これはスコルツェニーの「パンツァーファウスト作戦」ですね。
12月には部隊名が「フェルトヘルンハレ」に改称され、
1945年4月29日という終戦直前、エースのクニスペル曹長が戦死。。
もし、あと数日生き残って回想録でも書けば、カリウスを凌ぐ人気者になったかも知れません。。

ここから1943年になって編成された部隊、最初は第504重戦車大隊です。
西側連合軍に押される北アフリカに派遣され、ヘルマン・ゲーリング装甲師団と共に戦いますが、
イタリアへ撤退を余儀なくされます。
このメッシーナ海峡をフェリーで渡ることの出来た、唯一の222号車の写真は良いですね。
1945年4月の日誌、「投降兵の一部がニュージーランド軍第2師団によって虐殺される」
というのは印象的です。
同じく1943年に編成された第505重戦車大隊ですが、アフリカ行きを予定されていたものの、
初陣となったのは夏の東部戦線「ツィタデレ作戦」です。
第9軍司令官モーデルの訪問も受け、中央軍集団司令官クルーゲも視察に訪れます。

第506重戦車大隊では、ティーガーⅡを45両受領した後、何の因果か、
オランダのアーネムへの移動命令を受けています。時は1944年9月8日・・。
モントゴメリーの「マーケット・ガーデン作戦」が始まるわずか9日前・・。
到着したのは24日で、本書での記録によると第9SS、第10SS装甲師団に配属されて
後半の掃討戦に活躍しているようです。
さらにこの後、「バルジの戦い」にも参加していますが、バストーニュ攻撃に失敗し、
ティーガーⅠ、ティーガーⅡも爆破処分したあと、第5装甲軍司令官マントイフェルによって、
大隊長のランゲ少佐が解任されてしまっています。

第507重戦車大隊の日誌では、1945年3月に米軍第3歩兵師団のローズ少将を
「過失により殺害」すると、この事件に怒った米軍は報復として100名のドイツ兵捕虜を殺害し、
4月にはカイザーホフ・ホテルの前で動けなくなったティーガーⅡの搭乗員も
米軍によって殺害・・と、この写真は有名ですが、彼らはそんな運命だったんですねぇ。
100名のドイツ捕虜殺害も初めて知りました。

編成されて1944年1月にイタリアに向かったのは第508重戦車大隊ですが、
パラッツォ・デ・アンジュリスの前やテヴェレ川でローマ市民と共に記念写真に興じる
ティーガー戦車兵が笑えます。

第509重戦車大隊は1945年1月、オットー・ギレが指揮する第4SS戦車軍団に配属されますが
ちょっとしたゴタゴタが続きます。
まず、大隊長が軽傷にも関わらず入院してしまったため、Dr.ケーニグ大尉が
代わって指揮を取ります。しかし3日後、武装SS「トーテンコップ」から派遣された
ライベルSS大尉が大隊の猛反対にも関わらず、指揮を取ることに・・。
その結果、損害を被った大隊は、「SS戦車連隊への配属」、「不適任者による指揮」といった苦情を
第3装甲軍団のブライト将軍を批判する報告書として、グデーリアンに提出。。
最後にオマケ程度に紹介される第301戦車大隊と第316戦車中隊は
ティーガーと無線操縦のボルクヴァルトBⅣ重装薬運搬車を装備した部隊です。

いや~、「〈2〉SS編」は2日で読んだ記憶がありますが、今回は週末2回、計4日間かかりました。
掲載されている写真のほとんどがティーガーですし、その1枚1枚の写真の見所を探すだけでも
結構、時間がかかったようです。
「日誌」部分も今回紹介した以外にも興味深い記述も多く、
特に大隊と言いながらも実際は中隊や小隊単位であちらこちらの防衛戦に借り出され、
まさに「火消し」としてのティーガー戦車であったのがよく理解できますが、
大隊長からしてみれば、勘弁してよ・・と愚痴りたくなるのもわかります。
まだ大日本絵画の大判写真集は「続・クルスクの戦い」と「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集」
がありますので、来年にでも購入できれば・・。
この本、ワタクシも持ってます!素晴らしい写真が多くて、そちらと写真の解説ばかり眺めて、日誌はかなり読み飛ばしてました。これからじっくり日誌を読み返してみます^^;
第507重戦車大隊のローズ少将に関係した虐殺については、高橋慶史さんのラスカンの1冊めに触れられています。同じ章にSS第6山岳師団の兵士500人以上の虐殺にも触れられていますが、当時のアメリカ軍、かなりやりたい放題だったようですね~(一応理由はあるようですが)。
by ハッポの父 (2012-11-19 22:42)
いや~、本書は1ページ1ページが重かったですねぇ。1日、100ページ進むのが限界でした。見どころ満載の素晴らしい一冊です。
>高橋慶史さんのラスカンの1冊めに触れられています。
早速、確認しました! 最後の「SS戦車旅団ヴェストファーレン」の章でしたね。
だいたい、この本にヴェストファーレンの章があったことすら忘れてました。。改めて「ラスカン凄え~なぁ」と・・。
最新の「ラスカンⅢ」も買いましたが、正、続、読み返したくなりました。
ご指摘ありがとうございました。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-11-20 19:30)