戦闘機 -英独航空決戦- [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
レン・デイトン著の「戦闘機 -英独航空決戦-」を読破しました。
英国スパイ小説の大家であるレン・デイトンの戦争ノンフィクションは
以前に「電撃戦」を紹介していますが、本書はその後に続いて起こった1940年の
「バトル・オブ・ブリテン」のノンフィクションです。
コレを買ったのは4年前ですが、1983年発刊のハードカバー上下2段組で457ページという大作で
1998年には上下巻の文庫で再刊されています。
よくよく考えてみると、「バトル・オブ・ブリテン」に特化した本を読むのは初めてですねぇ。
全5部から成る本書の第1部は「戦略」です。
1940年6月にドイツ軍の電撃戦によって降伏したフランス。
ヒトラーは対英戦の戦略として英本土上陸の「あしか作戦」を策定を命じますが、
当時、敵前上陸の経験を積み、専用の装備を持っていた陸軍は、
1938年に揚子江沿岸でそれを実施していた日本陸軍だけ・・。
ほんの真似事のような実験を始めていた米海兵隊を除けば、
世界の陸軍首脳にとって敵前上陸の戦技の類などは、一顧だにする価値もありません。
ベルリンのクロル・オペラハウスでは西方戦の大勝利によって1ダースの「元帥」が製造。
本書によると元帥とは、「各省大臣よりは上席につく」という大変な権限です。
そのうち3人の空軍元帥、航空省で筆頭の地位にあるミルヒ、
第2、第3航空艦隊司令官のケッセルリンクとシュペルレ、
そして特別の元帥杖に、「国家元帥」という別扱いの称号をもらったのは
ドイツ空軍総司令官たるゲーリングです。
こうして本書の主役の一人、ゲーリングの生い立ちからが6ページほど、
続いて新生ドイツ空軍誕生の歴史として、ドイツ航空界の立役者で反ナチのフーゴ・ユンカースと
悪代官ミルヒの対立、第1次大戦時のエース、ウーデットの登用と続き、
「スペイン内戦」ではコンドル軍団のガーランドにメルダースも紹介されます。
と、第1部は意外にもドイツ空軍の歴史に終始しますが、第2部のタイトルは一転して、
「彼ほどゲーリングと似ても似つかぬ人間を求めることは難しい」と紹介される、
「空軍戦闘機軍団司令長官 空軍大将サー・ヒュー・ダウディング」です。
結婚後、2年で妻に先立たれ、乳飲み児を男手ひとつで育てる彼は、
生涯を空軍に尽くす態度ですが、人付き合いが嫌いで内向的。
1930年代には空軍最高会議のメンバーに列され、この大事な期間に
それまでの木製複葉戦闘機から、全金属製単葉戦闘機への移行が断行され、
複葉機党の猛烈な反対にもかかわらず、1935年にはハリケーンが初飛行し、
その数ヵ月後にはスピットファイアの原型機がロールアウト。
さらにはレーダーは軍用に使えると予測を立て、
指揮管制システムの研究開発にも取り掛かるのでした。
戦闘機軍団司令長官といっても、彼の上には空軍参謀総長ニューオールに、
新設の航空機生産相ビーヴァーブルック、空軍大臣シンクレア、そして首相のチャーチルがおり、
1940年5月にドイツ装甲軍団がアルデンヌの森を突破して、ムーズ川に架橋すると、
英爆撃機軍団によるルール地方の石油工業地帯への夜間爆撃が閣議決定されます。
これに対してフランスは半狂乱になって「ルールを爆撃したところで
現にフランスを席巻中のグデーリアン軍団の行動には何の影響も与えることにはならない」と抗議。。
結局、ダウディングのハリケーン戦闘機中隊がフランス支援のために10個単位でもぎ取られ、
英本土の戦闘機中隊は半減して、わずか26個という危険な状況に・・。
ここまで、「バトル・オブ・ブリテン」に至るまでの独英の重要人物と戦局が述べられましたが、
第3部は「兵器 -全金属製単葉機とレーダー」です。
ヴィリー・メッサーシュミット、シドニー・カム、レジナルド・ミッチェルという3人。
最初の人物がBf-109の設計者であることは知っていますが、
残りの2人はそれぞれハリケーンとスピットファイアの設計者です。
㈱ホーカー航空機製造で製造されたホーカー・ハリケーンの誕生の過程、
㈱スーパーマリン航空機製造で製造されたスピットファイアも同様に、
ロールス=ロイス社のマーリン・エンジンなどにも詳しく触れています。
このマーリンというのはハヤブサの一種の小型コンドルの名だそうで、
実はスーパーマリンって、マリーン・エンジンのことだと思っていました。恥ずかしぃ。。
もちろんロールス=ロイス社に対抗する、Bf-109のダイムラー=ベンツ社のエンジンや、
装備された機関銃、機関砲についても詳しく比較しています。
レーダーによる英本土防空システムも完成し、双方の戦力分析に進みます。
上記に挙げた戦闘機だけではなく、攻める側のドイツ空軍には様々な爆撃機も存在します。
「空飛ぶ鉛筆」こと、Do-17は、ヴィリー・メッサーシュミットの強欲な
ダイムラー=ベンツ社のエンジン独占のあおりを喰らい、
同じくHe-111も、ユモ・エンジンに装備替えすることを余儀なくされて、
ドイツ双発爆撃機のなかでも最も鈍足な機体となり果てるのでした。
その他Ju-88、Ju-87シュトゥーカ、Bf-110なども紹介され、
搭乗員の養成方法まで比較。
ドイツ爆撃機乗員で特記すべきこととして、「機長となるのはパイロットではなかった」
という話は面白かったですね。
これは機長たる者、航法や無線、機上射撃や爆撃照準に至るまで、すべてをひと通り
こなし得る者でなければならなかったそうですが、戦争が進むにつれて
機長兼操縦手といったバッチを2種類付けて、尊敬され、幅を利かせるた機長も増えたそうです。
なんとなく、戦車の車長やUボート艦長のようですね。
最後の比較は司令官。
防衛側のダウディングの下、南部の戦闘第11集団司令官となったキース・パーク少将に
ドイツ空軍第2、第3航空艦隊司令官のケッセルリンクとシュペルレを紹介し、
いよいよ240ページからメインの第4部「戦術 -戦闘の記録」へと進みます。
本書では最初と真ん中に多数の写真が掲載され、本文中にも各種図が出てきますが、
「ウーデット画」という、ミルヒにシュペルレ、ケッセルリンク、ガーランドとメルダースの絵が
掲載されていて、コレが実に楽しいんですねぇ。
1940年7月に始まった「バトル・オブ・ブリテン」の第1段階は「海峡航空戦」です。
新設の海峡航空戦指揮官に任命されたのは爆撃第2戦隊指令のヨハネス・フィンク大佐。
そして戦闘機隊の第1次大戦で32機撃墜のエースで、このバトル・オブ・ブリテンでは
第51戦闘航空団を指揮しながらも、自ら飛び立ちエースとなるテオドール・"テオ"・オステルカンプは
著者のお気に入りのようで、30歳になったら飛行機を降りるのが普通であるにも関わらず、
この48歳のオステルカンプを筆頭に、独英双方の51歳までの老人パイロットも紹介します。
ちなみにオステルカンプは1892年生まれですが、同い年のエースにあの
「レッド・バロン」リヒトホーフェンがいるわけですら、その超ベテランふりがわかろうというものですね。
この「海峡航空戦」はドーヴァー海峡の英船舶を攻撃するものですが、
英空軍が船団護衛のために兵力を割けば、際限のない消耗戦に巻き込まれ、
それこそドイツ側の思うつぼ・・。
反対にこの誘いに乗らなければ、ドイツ爆撃機隊は思う存分、
英船舶をなぶり殺しに出来るわけです。
ここからは1日単位で独英双方の戦いを振り返ります。
まだまだ戦闘機隊同士は、小手調べという感じですが、スペイン、ポーランド、フランスと
実践を積んできたドイツ空軍の方が技量も戦術も有利に進んでいます。
8月には第2段階「鷲の攻撃」作戦が始まりますが、
ゲーリングから下令されたその攻撃目標は、敵船舶ならびに海軍諸施設に始まって
英空軍の全兵力ならびに全施設。航空機産業ならびに全関連産業。
果てはドーヴァーからスカパ・フローに至るまでの英海軍全艦艇が列挙され、
それらの優先順位も決められていないという、およそ「戦略目標」とはいえない、
中途半端で、実にお粗末なものです。
それに輪をかけてドイツ空軍情報部の怠慢によって、英航空機産業の実態把握に欠け、
ハリケーンとスピットファイアのマリーン・エンジンを製造している工場が、
英国の小学生でも知っている2ヵ所でしかなく、そのひとつは世界中に所在地の知れ渡っている
ロールス=ロイスの本社工場であり、スピットファイアの機体の製造工場に至っては、
ドイツ爆撃隊がひとっ飛びの南部のサウザンプトンにあるスーパーマリン社工場。。
デンマークやオランダの基地からもシュトゥンプの第5航空艦隊の爆撃機隊が英本土を目指します。
対するのは英戦闘第12集団司令官のリー=マロリー少将です。
お~と、この人は「将軍たちの戦い」にも出てきた人ですねぇ。
本書でも兵力小出しで防戦するパークとダウディングに難癖をつける軍人として紹介されています。
そして第3段階である南西部の基地に対する攻撃においてゲーリングは
「レーダーサイトへの攻撃に利するところがあるのかは疑わしい・・」と
この大戦における最大級の見込み違いを起こすのでした。
さらにシュトゥーカやBf-110などの爆撃機に損害が増えてくるとゲーリングは、
Bf-109戦闘機による密接な護衛を命じます。
ましてや天候不良などで護衛任務から離れた者は軍法会議という脅迫付き・・。
戦闘機乗りにとって、航空戦闘の絶対的条件である高度と速度を完全に奪われ、
爆撃機1機に対して、3機から4機ものBf-109が護衛機の役割に甘んじなければなりません。
本書にはガーランドやメルダース、トラウトロフトにハインツ・ベーアといった
永久にその名を残す戦闘機乗り以外にも
ドイツ軍、英国連邦軍双方のパイロットたちが登場してきます。
しかし、よくありがちな「□□中隊の○○少尉は△機撃墜・・」という記述の乱立ではなく、
まるで小説に出てきそうなバックボーンを持ったパイロットや、珍しい空戦のエピソードが主体で、
「さすが小説家!」と思わず唸ってしまいます。
1969年の映画、「空軍大戦略」でも見直したくなりましたが、
この映画にはガーランドもアドバイザーとして協力しているようですね。
攻撃目標が識別できなかった場合には、爆弾を持ち帰ったり、
列車などの「非軍事目標」を攻撃したパイロットが、メルダースに叱責されたり、
海峡で白い煙を曳いているハリケーンを発見し、その敵機を英国本土まで付き添って
守り通してあげたというエーリッヒ・ルドルファーの回想も紹介し、
1940年はまだ高潔な軍人精神が残された"良き時代"だったのであり、
戦争にロマンチシズムを留めていた、この世で最後の戦争だったのであるとしています。
いよいよ9月の第4段階に始まったのは「ロンドン爆撃」です。
ケッセルリンクは100機の爆撃機に400機の護衛戦闘機を付けて英国の空に送り出します。
しかし訪れようとしている秋の不順となる天候まで、絶滅しないで、
ともかく存続し続けるということだけに戦略的勝利を求める英戦闘機軍団の抵抗の前に、
ドイツ空軍は消耗し、ヒトラーの眼も、すでにソ連の地図の上の向いているのでした。
最後の第5章では、偉大な戦略的勝利をもたらしたダウディングとパークに対し、
「大罪人」としてつるし上げる英空軍の話が印象的でした。
リー=マロリーは持論の大兵力結集の作戦指導がいかに優れていたかと説き、
結局、パークは左遷され、ダウディングは空軍に留まることも許されません。
この「バトル・オブ・ブリテン」におけるドイツ空軍No.1エース争いはメルダースとガーランドによって
繰り広げられますが、終わってみれば56機で逆転優勝したのはヘルムート・ヴィック少佐でした。
あまり知らない人ですが、それもそのはず、12月には撃墜され、冬の海で戦死してしまうんですね。
頭はちょっとイってますが、これでも25歳です。決して泳ぎの練習しているわけではありません。。
一方の英空軍のエースはチェコスロヴァキア人のヨセフ・フランティシェクで、
彼の一匹狼的な戦いざまも紹介されます。
英国人の著者ですが、独英どちらかに肩入れしているわけではなく、公正公平。
割合は6:4でドイツですかね。これは攻撃側がドイツ空軍という理由ですが・・。
そして著者がダメと思ったものは、キッチリとダメ出しするあたりも好感が持てますし、
ドイツ側のダメ人間はゲーリングとミルヒ、英国側はチャーチルとリー=マロリーとなっています。
そしてなんと言っても文章が面白いんですね。
訳者さんのあとがきでも原文の凄さに触れていますが、
個人的には訳者さんの力に負うところも大だと思います。
いや、しかし、レン・デイトンの本はやっぱり面白いですねぇ。
「電撃戦」もなかなか面白かったですし、
本書と同時に「爆撃機」という英空軍のルール爆撃小説も買っていたので、
近いうちに読もうかという気になりましたが、
その前に、20年ほど前に読んだ著者の「アレ」を再読することに決めました。
本書の戦いの結果が違っていたら・・? というあの小説です。
もう、内容はスッカリ覚えていないので楽しみです。
レン・デイトン著の「戦闘機 -英独航空決戦-」を読破しました。
英国スパイ小説の大家であるレン・デイトンの戦争ノンフィクションは
以前に「電撃戦」を紹介していますが、本書はその後に続いて起こった1940年の
「バトル・オブ・ブリテン」のノンフィクションです。
コレを買ったのは4年前ですが、1983年発刊のハードカバー上下2段組で457ページという大作で
1998年には上下巻の文庫で再刊されています。
よくよく考えてみると、「バトル・オブ・ブリテン」に特化した本を読むのは初めてですねぇ。
全5部から成る本書の第1部は「戦略」です。
1940年6月にドイツ軍の電撃戦によって降伏したフランス。
ヒトラーは対英戦の戦略として英本土上陸の「あしか作戦」を策定を命じますが、
当時、敵前上陸の経験を積み、専用の装備を持っていた陸軍は、
1938年に揚子江沿岸でそれを実施していた日本陸軍だけ・・。
ほんの真似事のような実験を始めていた米海兵隊を除けば、
世界の陸軍首脳にとって敵前上陸の戦技の類などは、一顧だにする価値もありません。
ベルリンのクロル・オペラハウスでは西方戦の大勝利によって1ダースの「元帥」が製造。
本書によると元帥とは、「各省大臣よりは上席につく」という大変な権限です。
そのうち3人の空軍元帥、航空省で筆頭の地位にあるミルヒ、
第2、第3航空艦隊司令官のケッセルリンクとシュペルレ、
そして特別の元帥杖に、「国家元帥」という別扱いの称号をもらったのは
ドイツ空軍総司令官たるゲーリングです。
こうして本書の主役の一人、ゲーリングの生い立ちからが6ページほど、
続いて新生ドイツ空軍誕生の歴史として、ドイツ航空界の立役者で反ナチのフーゴ・ユンカースと
悪代官ミルヒの対立、第1次大戦時のエース、ウーデットの登用と続き、
「スペイン内戦」ではコンドル軍団のガーランドにメルダースも紹介されます。
と、第1部は意外にもドイツ空軍の歴史に終始しますが、第2部のタイトルは一転して、
「彼ほどゲーリングと似ても似つかぬ人間を求めることは難しい」と紹介される、
「空軍戦闘機軍団司令長官 空軍大将サー・ヒュー・ダウディング」です。
結婚後、2年で妻に先立たれ、乳飲み児を男手ひとつで育てる彼は、
生涯を空軍に尽くす態度ですが、人付き合いが嫌いで内向的。
1930年代には空軍最高会議のメンバーに列され、この大事な期間に
それまでの木製複葉戦闘機から、全金属製単葉戦闘機への移行が断行され、
複葉機党の猛烈な反対にもかかわらず、1935年にはハリケーンが初飛行し、
その数ヵ月後にはスピットファイアの原型機がロールアウト。
さらにはレーダーは軍用に使えると予測を立て、
指揮管制システムの研究開発にも取り掛かるのでした。
戦闘機軍団司令長官といっても、彼の上には空軍参謀総長ニューオールに、
新設の航空機生産相ビーヴァーブルック、空軍大臣シンクレア、そして首相のチャーチルがおり、
1940年5月にドイツ装甲軍団がアルデンヌの森を突破して、ムーズ川に架橋すると、
英爆撃機軍団によるルール地方の石油工業地帯への夜間爆撃が閣議決定されます。
これに対してフランスは半狂乱になって「ルールを爆撃したところで
現にフランスを席巻中のグデーリアン軍団の行動には何の影響も与えることにはならない」と抗議。。
結局、ダウディングのハリケーン戦闘機中隊がフランス支援のために10個単位でもぎ取られ、
英本土の戦闘機中隊は半減して、わずか26個という危険な状況に・・。
ここまで、「バトル・オブ・ブリテン」に至るまでの独英の重要人物と戦局が述べられましたが、
第3部は「兵器 -全金属製単葉機とレーダー」です。
ヴィリー・メッサーシュミット、シドニー・カム、レジナルド・ミッチェルという3人。
最初の人物がBf-109の設計者であることは知っていますが、
残りの2人はそれぞれハリケーンとスピットファイアの設計者です。
㈱ホーカー航空機製造で製造されたホーカー・ハリケーンの誕生の過程、
㈱スーパーマリン航空機製造で製造されたスピットファイアも同様に、
ロールス=ロイス社のマーリン・エンジンなどにも詳しく触れています。
このマーリンというのはハヤブサの一種の小型コンドルの名だそうで、
実はスーパーマリンって、マリーン・エンジンのことだと思っていました。恥ずかしぃ。。
もちろんロールス=ロイス社に対抗する、Bf-109のダイムラー=ベンツ社のエンジンや、
装備された機関銃、機関砲についても詳しく比較しています。
レーダーによる英本土防空システムも完成し、双方の戦力分析に進みます。
上記に挙げた戦闘機だけではなく、攻める側のドイツ空軍には様々な爆撃機も存在します。
「空飛ぶ鉛筆」こと、Do-17は、ヴィリー・メッサーシュミットの強欲な
ダイムラー=ベンツ社のエンジン独占のあおりを喰らい、
同じくHe-111も、ユモ・エンジンに装備替えすることを余儀なくされて、
ドイツ双発爆撃機のなかでも最も鈍足な機体となり果てるのでした。
その他Ju-88、Ju-87シュトゥーカ、Bf-110なども紹介され、
搭乗員の養成方法まで比較。
ドイツ爆撃機乗員で特記すべきこととして、「機長となるのはパイロットではなかった」
という話は面白かったですね。
これは機長たる者、航法や無線、機上射撃や爆撃照準に至るまで、すべてをひと通り
こなし得る者でなければならなかったそうですが、戦争が進むにつれて
機長兼操縦手といったバッチを2種類付けて、尊敬され、幅を利かせるた機長も増えたそうです。
なんとなく、戦車の車長やUボート艦長のようですね。
最後の比較は司令官。
防衛側のダウディングの下、南部の戦闘第11集団司令官となったキース・パーク少将に
ドイツ空軍第2、第3航空艦隊司令官のケッセルリンクとシュペルレを紹介し、
いよいよ240ページからメインの第4部「戦術 -戦闘の記録」へと進みます。
本書では最初と真ん中に多数の写真が掲載され、本文中にも各種図が出てきますが、
「ウーデット画」という、ミルヒにシュペルレ、ケッセルリンク、ガーランドとメルダースの絵が
掲載されていて、コレが実に楽しいんですねぇ。
1940年7月に始まった「バトル・オブ・ブリテン」の第1段階は「海峡航空戦」です。
新設の海峡航空戦指揮官に任命されたのは爆撃第2戦隊指令のヨハネス・フィンク大佐。
そして戦闘機隊の第1次大戦で32機撃墜のエースで、このバトル・オブ・ブリテンでは
第51戦闘航空団を指揮しながらも、自ら飛び立ちエースとなるテオドール・"テオ"・オステルカンプは
著者のお気に入りのようで、30歳になったら飛行機を降りるのが普通であるにも関わらず、
この48歳のオステルカンプを筆頭に、独英双方の51歳までの老人パイロットも紹介します。
ちなみにオステルカンプは1892年生まれですが、同い年のエースにあの
「レッド・バロン」リヒトホーフェンがいるわけですら、その超ベテランふりがわかろうというものですね。
この「海峡航空戦」はドーヴァー海峡の英船舶を攻撃するものですが、
英空軍が船団護衛のために兵力を割けば、際限のない消耗戦に巻き込まれ、
それこそドイツ側の思うつぼ・・。
反対にこの誘いに乗らなければ、ドイツ爆撃機隊は思う存分、
英船舶をなぶり殺しに出来るわけです。
ここからは1日単位で独英双方の戦いを振り返ります。
まだまだ戦闘機隊同士は、小手調べという感じですが、スペイン、ポーランド、フランスと
実践を積んできたドイツ空軍の方が技量も戦術も有利に進んでいます。
8月には第2段階「鷲の攻撃」作戦が始まりますが、
ゲーリングから下令されたその攻撃目標は、敵船舶ならびに海軍諸施設に始まって
英空軍の全兵力ならびに全施設。航空機産業ならびに全関連産業。
果てはドーヴァーからスカパ・フローに至るまでの英海軍全艦艇が列挙され、
それらの優先順位も決められていないという、およそ「戦略目標」とはいえない、
中途半端で、実にお粗末なものです。
それに輪をかけてドイツ空軍情報部の怠慢によって、英航空機産業の実態把握に欠け、
ハリケーンとスピットファイアのマリーン・エンジンを製造している工場が、
英国の小学生でも知っている2ヵ所でしかなく、そのひとつは世界中に所在地の知れ渡っている
ロールス=ロイスの本社工場であり、スピットファイアの機体の製造工場に至っては、
ドイツ爆撃隊がひとっ飛びの南部のサウザンプトンにあるスーパーマリン社工場。。
デンマークやオランダの基地からもシュトゥンプの第5航空艦隊の爆撃機隊が英本土を目指します。
対するのは英戦闘第12集団司令官のリー=マロリー少将です。
お~と、この人は「将軍たちの戦い」にも出てきた人ですねぇ。
本書でも兵力小出しで防戦するパークとダウディングに難癖をつける軍人として紹介されています。
そして第3段階である南西部の基地に対する攻撃においてゲーリングは
「レーダーサイトへの攻撃に利するところがあるのかは疑わしい・・」と
この大戦における最大級の見込み違いを起こすのでした。
さらにシュトゥーカやBf-110などの爆撃機に損害が増えてくるとゲーリングは、
Bf-109戦闘機による密接な護衛を命じます。
ましてや天候不良などで護衛任務から離れた者は軍法会議という脅迫付き・・。
戦闘機乗りにとって、航空戦闘の絶対的条件である高度と速度を完全に奪われ、
爆撃機1機に対して、3機から4機ものBf-109が護衛機の役割に甘んじなければなりません。
本書にはガーランドやメルダース、トラウトロフトにハインツ・ベーアといった
永久にその名を残す戦闘機乗り以外にも
ドイツ軍、英国連邦軍双方のパイロットたちが登場してきます。
しかし、よくありがちな「□□中隊の○○少尉は△機撃墜・・」という記述の乱立ではなく、
まるで小説に出てきそうなバックボーンを持ったパイロットや、珍しい空戦のエピソードが主体で、
「さすが小説家!」と思わず唸ってしまいます。
1969年の映画、「空軍大戦略」でも見直したくなりましたが、
この映画にはガーランドもアドバイザーとして協力しているようですね。
攻撃目標が識別できなかった場合には、爆弾を持ち帰ったり、
列車などの「非軍事目標」を攻撃したパイロットが、メルダースに叱責されたり、
海峡で白い煙を曳いているハリケーンを発見し、その敵機を英国本土まで付き添って
守り通してあげたというエーリッヒ・ルドルファーの回想も紹介し、
1940年はまだ高潔な軍人精神が残された"良き時代"だったのであり、
戦争にロマンチシズムを留めていた、この世で最後の戦争だったのであるとしています。
いよいよ9月の第4段階に始まったのは「ロンドン爆撃」です。
ケッセルリンクは100機の爆撃機に400機の護衛戦闘機を付けて英国の空に送り出します。
しかし訪れようとしている秋の不順となる天候まで、絶滅しないで、
ともかく存続し続けるということだけに戦略的勝利を求める英戦闘機軍団の抵抗の前に、
ドイツ空軍は消耗し、ヒトラーの眼も、すでにソ連の地図の上の向いているのでした。
最後の第5章では、偉大な戦略的勝利をもたらしたダウディングとパークに対し、
「大罪人」としてつるし上げる英空軍の話が印象的でした。
リー=マロリーは持論の大兵力結集の作戦指導がいかに優れていたかと説き、
結局、パークは左遷され、ダウディングは空軍に留まることも許されません。
この「バトル・オブ・ブリテン」におけるドイツ空軍No.1エース争いはメルダースとガーランドによって
繰り広げられますが、終わってみれば56機で逆転優勝したのはヘルムート・ヴィック少佐でした。
あまり知らない人ですが、それもそのはず、12月には撃墜され、冬の海で戦死してしまうんですね。
頭はちょっとイってますが、これでも25歳です。決して泳ぎの練習しているわけではありません。。
一方の英空軍のエースはチェコスロヴァキア人のヨセフ・フランティシェクで、
彼の一匹狼的な戦いざまも紹介されます。
英国人の著者ですが、独英どちらかに肩入れしているわけではなく、公正公平。
割合は6:4でドイツですかね。これは攻撃側がドイツ空軍という理由ですが・・。
そして著者がダメと思ったものは、キッチリとダメ出しするあたりも好感が持てますし、
ドイツ側のダメ人間はゲーリングとミルヒ、英国側はチャーチルとリー=マロリーとなっています。
そしてなんと言っても文章が面白いんですね。
訳者さんのあとがきでも原文の凄さに触れていますが、
個人的には訳者さんの力に負うところも大だと思います。
いや、しかし、レン・デイトンの本はやっぱり面白いですねぇ。
「電撃戦」もなかなか面白かったですし、
本書と同時に「爆撃機」という英空軍のルール爆撃小説も買っていたので、
近いうちに読もうかという気になりましたが、
その前に、20年ほど前に読んだ著者の「アレ」を再読することに決めました。
本書の戦いの結果が違っていたら・・? というあの小説です。
もう、内容はスッカリ覚えていないので楽しみです。
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