流血の夏 [欧州諸国]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
梅本 弘 著の「流血の夏」を読破しました。
去年の4月に「雪中の奇跡」という1939年に起こった「ソ芬戦争」、通称「冬戦争」について
詳しく書かれた本を紹介しましたが、予想外に面白かったのもあり、
1999年発刊で407ページの、1944年夏の「第2次ソ芬戦争」が描かれた本書も
すぐに購入していました。
夏の戦争といっても6月から始まった戦いですから、季節感を大事にする??
「独破戦線」としては、ちょうど良いタイミングだと思います。。
まずは1939年に侵攻してきたスターリンに一時は赤っ恥をかかせたものの
出直ししてきたソ連軍に領土を奪われて、1940年3月になんとか停戦・・。
翌年、ドイツ軍のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」が始まると、失われていた領土を取り返すべく、
国境を越え、ドイツ軍のレニングラード包囲にも協力したフィンランド。
この小国をサポートしていた英首相チャーチルも、しぶしぶ宣戦布告することを余儀なくされます。
第1次大戦時に帝政ロシアの圧政に抵抗するフィンランドの若者はドイツに渡り、
第27猟兵大隊を編成して戦った・・という伝統を守り、
「反共」を旗印に、北欧人から成る武装SSの義勇兵部隊「SSノルトラント連隊」に
1407名のフィンランド青年が志願して入隊。
ドイツ軍もディートル上級大将の第20山岳軍、17万人がラップランド地方に駐留しますが、
1943年のスターリングラードでのドイツ第6軍の敗北以後、マンネルヘイム元帥は
戦争からの離脱を模索し、第5SS装甲師団ヴィーキングに配属されていた
自国義勇兵たちにも帰国を命じます。
1944年になるとソ連の攻勢はさらに強まり、首都ヘルシンキが空襲に見舞われるほど。
88㎜高射砲、通称「ロンメル砲」が猛威を揮って、5機を撃墜・・。
このような1944年6月までの経緯が簡単に書かれていますが、
コレはコレであまり知らないことばかりですごく面白いですね。
そしてソ連に屈することは、前年のイタリアのように、ヒトラーの怒りを買うことにもなり、
両大国に挟まれたまま身動きが取れないフィンランドなのでした。
37ページから、6月9日のソ連の夏季攻勢が始まります。
ソ連のヤク戦闘機などに対抗するため、それまで477機のソ連機を落としてきた
米国製の旧式バッファロー戦闘機から、メッサーシュミットのMe-109が配備されています。
フィンランドではこの戦闘機を「メルス」と呼んでるそうで、この後は最後までメルスです。
そして頻繁に出てくる空戦はユーティライネン准尉の鬼神のような活躍も書かれていますが、
この人の回想録「フィンランド空軍戦闘機隊」も著者が訳してるんですね。
歩兵にはやっぱりドイツからパンツァーファウストとパンツァーシュレック1万3千丁が送られ、
ドイツのⅢ号突撃砲22両から成る突撃砲大隊もヴィーキング出身者を中心に編成。
本書の表紙もまさに「Ⅲ突」ですね。
また、フィンランド湾の対岸の兄弟国で常に助け合ってきたエストニアからも義勇兵がやってきます。
400ページのほとんどが、この「第2次ソ芬戦争」戦記であり、1日ごとに、時間ごとに
空戦、地上戦がソ連側も含めて徹底的に詳しく書かれています。
登場するフィンランド兵はほとんど全員知りませんから、コレはなかなか大変なんですが、
本書は何と言っても「写真の量と質」がハンパじゃありません。
4ページに1枚くらいの割合で、非常に鮮明な写真が詳細なキャプションと共に掲載されていて
この写真が無かったら、最後まで読破するのはよっぽどのフィンランド・マニアじゃない限り
至難の業・・だと思います。
その写真に写ったものとしては、ソ連軍なら「地雷処理ローラー」を装着したPT34地雷処理戦車、
フィンランド軍はドイツ軍のヘルメットをかぶっている者もいれば、チェコ軍のヘルメットも多く、
ハンガリー製にスウェーデン製のヘルメットとなんでもあり。。
もちろんソ連のありとあらゆる鹵獲戦車と兵器も使用し、BT42突撃砲という珍品の写真も・・。
これは捕獲したBT7快速戦車の砲塔を拡大して、大きな箱型の戦闘室を作り、
第1次大戦当時の英国製114㎜榴弾砲を無理やり搭載した突撃砲で
その姿から「ミニKV-2」などとも呼ばれたそうです。
フィンランド戦車師団の全163両のうち、100両以上がソ連軍の分捕り品という
まさに鹵獲戦車師団とも言える編成ですね。
突撃砲大隊のⅢ号突撃砲の活躍は本書の中心のような位置づけです。
敵の最新型戦車であるT-34/85を撃破し、KV-1重戦車にも勇敢に挑みます。
そして兵器だけではなく、援軍として第303突撃砲旅団と1個歩兵師団、
23機のJu-87急降下爆撃機と同数のFw-190から成るクールメイ戦隊が
ヒトラーによって送り込まれるのでした。
しかしソ連軍は「冬戦争」当時とは違い、桁外れの火力を持ち、3年に及ぶドイツ軍との戦いで
鍛え抜かれた兵士と将校で編成され、彼らを苦しめた雪や酷寒もありません。
果敢に防戦するフィンランド軍ですが、あちこちを蹂躙突破されて、後退するのみ・・。
パンツァーファウストとパンツァーシュレックに最初こそ不慣れだったフィンランド兵も
慣れてくるにつれ、T-34以外にも「戦車の親玉」こと、SU-152重自走砲をも葬ります。
動けなくなった「戦車の親玉」を発見し、立て籠もって降伏しないソ連兵に業を煮やして
「石」を投げたりするシーンは笑ってしまいましたね。
後半は鹵獲T-34のフィンランド軍戦車の戦いが中心となり、
彼らのT-34/76がソ連軍のT-34/85に挑み続けます。
せっかくやって来たドイツ軍の第303突撃砲旅団の戦果は僅かにT-34を3両と悲しいもの。
それに比べるとフィンランド軍の突撃砲大隊は、かなりの戦果を挙げ、
本書では戦闘機エースを含め、パンツァーシュレックで8両撃破した兵などが、
マンネルヘイム十字章を授与された・・ということですが、
この十字章は良く見ると十字の中にハカリスティ(卍)があるんですね。
こうして1ヶ月が過ぎた7月13日、ソ連軍はドイツ中央軍集団に対する「バグラチオン作戦」のために
前線から部隊を引き上げ始め、フィンランド政府も「ドイツに無断でソ連と講和しない」という
約束を反故にして休戦。
責任を取ってリュティ大統領が退陣し、マンネルヘイム元帥が大統領に。
宣戦布告をしていたものの、終始フィンランドに同情的だった英国は、講和条約に介入。
ソ連もフィンランドに対して寛大さを見せることで、その他の枢軸陣営の脱落が始まると予想し、
その通り、ブルガリアもあっさりと・・。
結局、ヨーロッパの参戦国で他国に占領されなかった国は英国とフィンランドだけという
「奇跡」を勝ち取るのでした。
最後にはソ連との講和の条件であるフィンランドからのドイツ軍の駆逐・・。
いわゆる「ラップランド戦争」についても少し触れています。
「昨日まで戦友として一緒に戦ってきたのに、そんなことは人間のやることじゃない」と
怒る兵もいたそうで、当初はドイツ軍指揮官に電話をして、「明日はドコソコに進行する」と伝え、
ドイツ軍は事前に撤退・・などという有様だったそうですが、
この談合がソ連側にばれると死闘を強要・・。
一方、フィンランドの背信に怒るヒトラーも懲罰として、焦土作戦を展開し、
ラップランド地方を有史以前の姿まで荒廃させるように命じた・・ということです。
まぁ、「雪中の奇跡」もそうでしたが、日本人著者が現地も含め、徹底的に調査した1冊で、
読みやすいとか、面白いとかいうことをさておき、なにか「執念」のようなものを感じました。
ソ連という大国を隣国に持つ日本との協力関係が休戦後も続いたという話や、
婦人部隊についても言及しています。
個人的には「ラップランド戦争」がもう少し、書かれていたらなぁ・・と思いましたが、
ひょっとしたら、次作に残してあるのかも知れません。そうだと良いなぁ。。
いまコレを書いていると偶然、「雪中の奇跡」にも登場し、542名のソ連兵を狙撃した??
という前人未到の戦果を上げたシモ・ヘイヘ(ハイハ)の本が3月に出ていたのを発見しました。
タイトルは「白い死神」。定価1680円と以外に安いので、
気が付いたらamazon「ショッピングカートに入れる」ボタンを押してしまいました。。
梅本 弘 著の「流血の夏」を読破しました。
去年の4月に「雪中の奇跡」という1939年に起こった「ソ芬戦争」、通称「冬戦争」について
詳しく書かれた本を紹介しましたが、予想外に面白かったのもあり、
1999年発刊で407ページの、1944年夏の「第2次ソ芬戦争」が描かれた本書も
すぐに購入していました。
夏の戦争といっても6月から始まった戦いですから、季節感を大事にする??
「独破戦線」としては、ちょうど良いタイミングだと思います。。
まずは1939年に侵攻してきたスターリンに一時は赤っ恥をかかせたものの
出直ししてきたソ連軍に領土を奪われて、1940年3月になんとか停戦・・。
翌年、ドイツ軍のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」が始まると、失われていた領土を取り返すべく、
国境を越え、ドイツ軍のレニングラード包囲にも協力したフィンランド。
この小国をサポートしていた英首相チャーチルも、しぶしぶ宣戦布告することを余儀なくされます。
第1次大戦時に帝政ロシアの圧政に抵抗するフィンランドの若者はドイツに渡り、
第27猟兵大隊を編成して戦った・・という伝統を守り、
「反共」を旗印に、北欧人から成る武装SSの義勇兵部隊「SSノルトラント連隊」に
1407名のフィンランド青年が志願して入隊。
ドイツ軍もディートル上級大将の第20山岳軍、17万人がラップランド地方に駐留しますが、
1943年のスターリングラードでのドイツ第6軍の敗北以後、マンネルヘイム元帥は
戦争からの離脱を模索し、第5SS装甲師団ヴィーキングに配属されていた
自国義勇兵たちにも帰国を命じます。
1944年になるとソ連の攻勢はさらに強まり、首都ヘルシンキが空襲に見舞われるほど。
88㎜高射砲、通称「ロンメル砲」が猛威を揮って、5機を撃墜・・。
このような1944年6月までの経緯が簡単に書かれていますが、
コレはコレであまり知らないことばかりですごく面白いですね。
そしてソ連に屈することは、前年のイタリアのように、ヒトラーの怒りを買うことにもなり、
両大国に挟まれたまま身動きが取れないフィンランドなのでした。
37ページから、6月9日のソ連の夏季攻勢が始まります。
ソ連のヤク戦闘機などに対抗するため、それまで477機のソ連機を落としてきた
米国製の旧式バッファロー戦闘機から、メッサーシュミットのMe-109が配備されています。
フィンランドではこの戦闘機を「メルス」と呼んでるそうで、この後は最後までメルスです。
そして頻繁に出てくる空戦はユーティライネン准尉の鬼神のような活躍も書かれていますが、
この人の回想録「フィンランド空軍戦闘機隊」も著者が訳してるんですね。
歩兵にはやっぱりドイツからパンツァーファウストとパンツァーシュレック1万3千丁が送られ、
ドイツのⅢ号突撃砲22両から成る突撃砲大隊もヴィーキング出身者を中心に編成。
本書の表紙もまさに「Ⅲ突」ですね。
また、フィンランド湾の対岸の兄弟国で常に助け合ってきたエストニアからも義勇兵がやってきます。
400ページのほとんどが、この「第2次ソ芬戦争」戦記であり、1日ごとに、時間ごとに
空戦、地上戦がソ連側も含めて徹底的に詳しく書かれています。
登場するフィンランド兵はほとんど全員知りませんから、コレはなかなか大変なんですが、
本書は何と言っても「写真の量と質」がハンパじゃありません。
4ページに1枚くらいの割合で、非常に鮮明な写真が詳細なキャプションと共に掲載されていて
この写真が無かったら、最後まで読破するのはよっぽどのフィンランド・マニアじゃない限り
至難の業・・だと思います。
その写真に写ったものとしては、ソ連軍なら「地雷処理ローラー」を装着したPT34地雷処理戦車、
フィンランド軍はドイツ軍のヘルメットをかぶっている者もいれば、チェコ軍のヘルメットも多く、
ハンガリー製にスウェーデン製のヘルメットとなんでもあり。。
もちろんソ連のありとあらゆる鹵獲戦車と兵器も使用し、BT42突撃砲という珍品の写真も・・。
これは捕獲したBT7快速戦車の砲塔を拡大して、大きな箱型の戦闘室を作り、
第1次大戦当時の英国製114㎜榴弾砲を無理やり搭載した突撃砲で
その姿から「ミニKV-2」などとも呼ばれたそうです。
フィンランド戦車師団の全163両のうち、100両以上がソ連軍の分捕り品という
まさに鹵獲戦車師団とも言える編成ですね。
突撃砲大隊のⅢ号突撃砲の活躍は本書の中心のような位置づけです。
敵の最新型戦車であるT-34/85を撃破し、KV-1重戦車にも勇敢に挑みます。
そして兵器だけではなく、援軍として第303突撃砲旅団と1個歩兵師団、
23機のJu-87急降下爆撃機と同数のFw-190から成るクールメイ戦隊が
ヒトラーによって送り込まれるのでした。
しかしソ連軍は「冬戦争」当時とは違い、桁外れの火力を持ち、3年に及ぶドイツ軍との戦いで
鍛え抜かれた兵士と将校で編成され、彼らを苦しめた雪や酷寒もありません。
果敢に防戦するフィンランド軍ですが、あちこちを蹂躙突破されて、後退するのみ・・。
パンツァーファウストとパンツァーシュレックに最初こそ不慣れだったフィンランド兵も
慣れてくるにつれ、T-34以外にも「戦車の親玉」こと、SU-152重自走砲をも葬ります。
動けなくなった「戦車の親玉」を発見し、立て籠もって降伏しないソ連兵に業を煮やして
「石」を投げたりするシーンは笑ってしまいましたね。
後半は鹵獲T-34のフィンランド軍戦車の戦いが中心となり、
彼らのT-34/76がソ連軍のT-34/85に挑み続けます。
せっかくやって来たドイツ軍の第303突撃砲旅団の戦果は僅かにT-34を3両と悲しいもの。
それに比べるとフィンランド軍の突撃砲大隊は、かなりの戦果を挙げ、
本書では戦闘機エースを含め、パンツァーシュレックで8両撃破した兵などが、
マンネルヘイム十字章を授与された・・ということですが、
この十字章は良く見ると十字の中にハカリスティ(卍)があるんですね。
こうして1ヶ月が過ぎた7月13日、ソ連軍はドイツ中央軍集団に対する「バグラチオン作戦」のために
前線から部隊を引き上げ始め、フィンランド政府も「ドイツに無断でソ連と講和しない」という
約束を反故にして休戦。
責任を取ってリュティ大統領が退陣し、マンネルヘイム元帥が大統領に。
宣戦布告をしていたものの、終始フィンランドに同情的だった英国は、講和条約に介入。
ソ連もフィンランドに対して寛大さを見せることで、その他の枢軸陣営の脱落が始まると予想し、
その通り、ブルガリアもあっさりと・・。
結局、ヨーロッパの参戦国で他国に占領されなかった国は英国とフィンランドだけという
「奇跡」を勝ち取るのでした。
最後にはソ連との講和の条件であるフィンランドからのドイツ軍の駆逐・・。
いわゆる「ラップランド戦争」についても少し触れています。
「昨日まで戦友として一緒に戦ってきたのに、そんなことは人間のやることじゃない」と
怒る兵もいたそうで、当初はドイツ軍指揮官に電話をして、「明日はドコソコに進行する」と伝え、
ドイツ軍は事前に撤退・・などという有様だったそうですが、
この談合がソ連側にばれると死闘を強要・・。
一方、フィンランドの背信に怒るヒトラーも懲罰として、焦土作戦を展開し、
ラップランド地方を有史以前の姿まで荒廃させるように命じた・・ということです。
まぁ、「雪中の奇跡」もそうでしたが、日本人著者が現地も含め、徹底的に調査した1冊で、
読みやすいとか、面白いとかいうことをさておき、なにか「執念」のようなものを感じました。
ソ連という大国を隣国に持つ日本との協力関係が休戦後も続いたという話や、
婦人部隊についても言及しています。
個人的には「ラップランド戦争」がもう少し、書かれていたらなぁ・・と思いましたが、
ひょっとしたら、次作に残してあるのかも知れません。そうだと良いなぁ。。
いまコレを書いていると偶然、「雪中の奇跡」にも登場し、542名のソ連兵を狙撃した??
という前人未到の戦果を上げたシモ・ヘイヘ(ハイハ)の本が3月に出ていたのを発見しました。
タイトルは「白い死神」。定価1680円と以外に安いので、
気が付いたらamazon「ショッピングカートに入れる」ボタンを押してしまいました。。
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