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母と子のナチ強制収容所 回想ラーフェンスブリュック [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

シャルロッテ・ミュラー著の「母と子のナチ強制収容所」を読破しました。

この「ラーフェンスブリュック強制収容所」というのは、主に女性専用ということもあって
それなりに知られているところです。
独破戦線では、ちょうど1年ほど前に「ナチズムと強制売春 -強制収容所特別棟の女性たち-
という本で、この女性収容所にも触れていました。
そんな経緯もあって、1989年発刊で224ページのこの特殊な収容所の
女性被収容者の回想に恐々、挑戦してみました。
ちなみに本書やwikiでは「ラーフェンスブリュック(KZ Ravensbrück)」ですが、
ココでは「ラーヴェンスブリュック」で統一しています。

母と子のナチ強制収容所.jpg

1942年4月、「保護拘置」と呼ばれるラーヴェンスブリュック行きを言い渡されたシャルロッテ。
1901年生まれの彼女は、1928年に共産党に入り、その5年後にヒトラーが政権を取って、
共産党の活動が非合法なものになると、同志の裏切りによって窮地に陥り、
必死の思いでオランダの国境を越えることに・・。
その後、ベルギーへと移りますが、この中立国に電撃戦で攻め込んできたドイツ軍・・。
ゲシュタポに逮捕され、反逆準備罪で15ヶ月の禁固刑。
やっと服役を終えた彼女を待っていたのが、ラーヴェンスブリュック行きだったのです。

Himmler-ravensbruck.jpg

青と灰色の縞模様の囚人服に、逆三角形に囚人番号が書かれたワッペンを手渡されますが、
この逆三角形は色で識別され、紫は宗教家、緑は犯罪者、黒なら社会からの落ちこぼれ、
そして彼女の赤は政治犯を意味し、他にもアルファベットで国籍も表されます。

Nazi concentration camp badge.jpg

最初に振り分けられたのは「新入りブロック」。
ブロック長は前科42回を誇る、緑のワッペンを付けたオーストリア女、ハンジーです。
新入りが隠し持っている結婚指輪などを取り上げて、個人の財産にし、
狭い部屋の中で、身動ぎもせず、座っていなければなりません。
ロシアやウクライナから来た婦人たちに狙いを定めて虐め、
言葉も通じない病気の少女も虐待されて死んでしまいます。

Ravensbrück.jpg

シャルロッテは修理屋だった父親を手伝っていたおかげで、収容所での修理係に任命・・。
それまでSS隊員が行っていた水道管や排水の修理や電気器具の故障などを
モスクワの医学生だったマリアらを助手にして、働き始めます。
SSの監視もゆるい、この仕事によって、他のブロックの同胞の政治犯(共産主義者や反ナチ)と
密かに交流することも可能になるのでした。

Imatges del camp de Ravensbrück.jpg

ココからは、収容所生活のエピソードが5ページ程度の短い章で語られていきます。
1日2回の点呼は長い時間、立ちっぱなしにされることもしばしば・・。
冬の寒さのなかで病気で倒れてしまう人を助け合い、
このようなときにお腹を空かせた彼女たちがいつも話題にするのは料理の作り方です。
「私のところじゃ、こうして作るの・・」。
男たちは前線や収容所では、地元の家庭料理をたらふく食べることを話題にしますが、
さすが、女性ですね。。

Ravensbrück_1.jpg

この女性専用の収容所では看守長も女性です。
なんの理由もなく、点呼の列に割り込んで殴りかかり、
点呼を拒否した宗教家たちを狭い独房に20人も閉じ込め、真っ暗な中、食事も与えられず、
この責め苦に耐えきれずに多くが死んでいきます。
脱走したジプシーの女性が捕えられると、めった打ちにされたうえ、犬が飛びかかります。
飛び出した内臓をを押さえて哀れに泣き叫び、やがて死んでしまうのでした。。

Female SS Guard.jpg

SS隊員に媚びへつらい、仲間の囚人に暴力を振るう一般的に「カポ」と呼ばれる囚人頭ですが、
本書では「ブロック長」と呼ばれます。
そして収容所側としてはSSのスパイとなるような犯罪者などの人物を「ブロック長」に
任命しようとしますが、反抗的な彼女たちによって逆に混乱を招く結果になることも・・。
そのため、「ブロック長」には彼女たちが選んだ信頼できる女性が就くことも多かったそうです。

また、SS看守は男女が混在していますが、女看守の凶暴性も際立ってますね。
特に女看守長のビンツ・・。
先日、映画「愛を読むひと」を観ましたので、彼女たちには興味があります。
ドイツ人女性にとって工場で働くより、単純に給料が良かった・・なんて話もありますし、
以前に「ゲシュタポ -恐怖の秘密警察とナチ親衛隊-」でUPした、
鬼みたいな顔をした女看守は単なるサディストのようで恐ろしい・・。

Dorothea binz.jpg

そしてこの収容所には多くの子供の姿もあります。
ハイドリヒ暗殺の報復として選ばれた「リディツェ村」の大虐殺を生き残った
200人の女性と子供も送り込まれてきます。
しかし収容所側にとっては、仕事もできない子供はただの厄介者にしか過ぎません。
昼間は棟から出てはいけない、おもちゃを与えてはいけないなどの特別規則が・・。
子供用の囚人服や靴もなく、大人用のブカブカを身にまとい、隅っこでジッとしているだけ・・。
泣いていれば、女看守がやって来て、殴るだけ殴って押し入れに閉じ込めます。
そんな大人の世界を真似た子供たちの遊びはアウシュヴィッツ行きを真似た「囚人移動」に
「点呼」、そして「死ぬこと」といったものです。

Ravensbrück Camp guard Hildegard Neumann.jpg

牛ムチを使用した「25回のムチ打ち刑」。
ドイツ軍の迷彩服用生地の裁断作業。
母親のいない子供の面倒を、わが子のように見る「収容所のママ」。
チフスで死んでいく者や、精神病となった者の悲惨な末路・・。
レニングラードから連行されてきた女医は、死体解剖室でSSの医者が医学研究に必要とする
臓器の摘出をやらされています。
1944年秋には遂に自前の「ガス室」も完成し、老人や病人5000人以上が
殺されたということです。
ラーヴェンスブリュックにガス室があったというのは初めて知りました。

Häftlinge des KZ Ravensbrück in der Schneiderei des Lagers.jpg

この1944年にもなると東部ポーランドにソ連軍が迫り、アウシュヴィッツなどの収容所も
西へと撤退。それらの囚人がラーヴェンスブリュックに流れ込み、収容者の数は膨れ上がり、
新たなバラックやそれに続く道路が彼女たちの労働によって作られます。
機械で引っ張るような大きな「地ならしローラー」が運び込まれ、
わざわざ一度も肉体労働などしたことのなさそうな婦人たちのグループが編成されます。
重たいローラーを手で引っ張り、ローラーに巻き込まれて足が潰れたり、亡くなったり・・。

Ravensbrück Camp.jpg

何度か登場する収容所所長の名はフリッツ・ズーレンSS大尉です。
1944年のクリスマスに向け、400人の子供たちのためにパーティを開催しようという企画も
迫るソ連軍の情報に動揺しているズーレンは珍しく許可を出します。
もちろんこれは、いざとなった時に「人道的であった」と証言してもらうために他なりません。
森林作業班がモミの木を持ち込み、みんなで子供の手袋や靴下、人形の編み物を・・。

fritz-suhren.jpg

1945年にはベルナドッテが団長を務めるスウェーデン赤十字の視察団のための茶番が
盛大に行われますが、こっそりと真実を伝えようと代表団に耳打ちする者も・・。
このベルナドッテはヒムラーシェレンベルクと休戦交渉した人物ですね。
こうして4月27日、いよいよラーヴェンスブリュックも撤退を開始。
西を目指す「死の行進」が始まるのでした。

「訳者あとがき」によると1981年の原著の抄訳だということですが、
日本語版向けに写真や挿絵も多く掲載しています。
それほどボリュームはありませんから、3時間ほどで独破してしまいましたが、
まぁ、それでもこの手の本は疲れますね・・。
実は著者が生粋の「共産党員」ということもあって、大げさに書いているかも・・と
疑いながら読んでいましたが、ひとつひとつのエピソードはとても印象的で
女性らしい繊細さと、その苦悩が充分伝わってくるものでした。



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しゅり

おはようございます、ヴィトゲンシュタインさん。
この本、気になりながら未読です。
強制収容所物にソフトもハードもあったものではないのですが
想像していたよりも、この本、ハードそうですね。。。。
しかし、私もラーフェンスブリュックにガス室があったというのは初耳でした。
というよりドイツ国内の強制収容所にはガス室はなかったと思っていました。

さて、「愛を読むひと」はいかがでしたか?
本を読んで映画を観ると一層感慨深いです。
本は3回、映画はロードショーでは勿論、DVDでも相当観ています。
ついDVDまで買ってしまいました。
by しゅり (2012-05-09 07:49) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も。 しゅりさん。

>強制収容所物にソフトもハードもあったものではないのですが
まあ、そうなんですよね。
ただ、本書のような回想録っていうのは感情移入してしまうんで、ちょっとしたよくある(ソフトな・・)虐待でも、読んでて堪えるんですよ。。

>ドイツ国内の強制収容所にはガス室はなかったと思っていました。
ボクも同じだったですね。
コレはポーランドのガス室はユダヤ人に対するものであったわけで、ドイツ国内の収容所にはユダヤ人がいませんから、その必要がなかった・・という解釈をしてました。
なので、ここではそれまで銃殺などをしていた病人や老人に対するもので、アウシュヴィッツのようなガス室と考え方が違うようです。

「愛を読むひと」はどんなストーリー展開なのか、まったく知らないまま観たんですが、前半の、少年が「タイタニック」以来のケイト・ウィンスレットに恋する場面は、ボクが17歳のころに30歳のひとを好きになってしまいそうになった・・という甘く切ない思い出が甦ってきて。。
後半の女看守とその裁判の様子も、当時の様子が伺えて興味深かったですね。
でも印象としてはボクには前半が勝ってしまいました。。あのひとは今頃どうしているのかなぁ・・。

by ヴィトゲンシュタイン (2012-05-09 12:45) 

IZM

母と子の...という書き出しだと、なんだか違うもの想像しちゃいますけれども。。。
>お腹を空かせた彼女たちがいつも話題にするのは料理の作り方です。
昔、アメリカのお婆ちゃんのケーキ特集の番組を日本で見ましたが、
「戦争中は材料が無かったから、いつも頭の中でケーキを焼いていたわ」と言っていたのが印象的でしたが、やはり国は違えど女性的な部分って言うのは変わらないんだなあと思いますね。
あと、子どもたちの遊びが想像すると怖いですけど周りの大人があれでは。。。。 

by IZM (2012-05-15 02:34) 

ヴィトゲンシュタイン

IZMさん。ど~も。
料理の作り方・・の話はやっぱりそうですよねぇ。
本書にはもっとたくさんのエピソードがあるんですが、コレは特に印象的でした。
男がこのような女性の本を読むと、ちょっとした発見があるもんです。

ちょっと大きい子供となると、自由で幸せな世界を知っているだけに、大人同様辛い思いもするんですが、この収容所で物心のついた小さい子供たちは、このように当たり前の日常を真似して遊ぶだけではなく、本を読んで聞かせても、自分たちと「悪い看守」だけが住む収容所という世界だけしか知りませんから、子供向けのお話なのに、なかなか理解できなかったりして、読んでて切なくなりました。

by ヴィトゲンシュタイン (2012-05-15 12:10) 

ピネル

はじめまして。先日、ラーフェンスブリュック強制収容所を訪問しました。わざわざ非力な者が選ばれて引かされたというローラーも、ずいぶん形が崩れてはいましたが保存されていました。それに、『母と子のナチ強制収容所』のシャルロッテ・ミューラーさんの写真とパネルもありました。印象的だったのは、各地から女性が集められた強制収容所だということでの、各国別の展示です。抽象的で観る者にいろいろと考えさせる国、ナチの蛮行に抗しみんなで助け合った事実を詳細に記録している国、亡くなった同胞を悼むことばが刻まれている国etc.ホームページではベルリンから1時間に1本の鉄道があり駅から徒歩25分ほどとあったけど、この路線は廃止されたのか電車では行けませんでした。私はベルリンから近郊列車とバスを乗り継ぎ、あとは徒歩40分かかりました!二日続けて行ったけど、後半はドイツ語の説明文しか無く細かいところはよくわからなかった。。。そのうちもう一度行ってみたいです。そのときは、すぐ近くにあるユースホステルに宿泊しようと思います。
ちなみに、『母と子のナチ強制収容所』を読んでいったおかげで、パネルの説明文が理解しやすかったです。収容所とともに隣接の研究所?の展示もご覧になることをおすすめします。たぶん、申し込めばセミナーを開いてくれるのではないでしょうか。
by ピネル (2013-03-21 02:41) 

ヴィトゲンシュタイン

ピネルさん。ど~も、はじめまして。
アウシュヴィッツに行かれた方は知っていますが、ラーフェンスブリュックもそれほどシッカリと展示されているんですね。
細かいご報告ありがとうございました。どちらかで旅行記みたく写真でもUPされてたら嬉しいですね。
このコメント読まれた方でも行きたいと思うんじゃないでしょうか。

by ヴィトゲンシュタイン (2013-03-21 12:21) 

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