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第二次世界大戦〈上〉 リデル・ハート [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リデル・ハート著の「第二次世界大戦〈上〉」を遂に読破しました。

本書を知ったのはもう何年前になるでしょうか・・。
この「独破戦線」をはじめる何年か前、第二次大戦と第三帝国モノを読み始めたときから、
古書店で良く見かけていたフジ出版の函入りの分厚い旧版が気になっていました。
以来、その1978年の旧版と1999年に分冊で再刊された本書のどちらを買おうかと
悩み抜いた末、この再刊の方の綺麗な古書を上下巻あわせて4300円で購入。
しかし、それからは未読本棚の主役として飾りっぱなしにしていました。
いま確認してみたら、購入したのはおととしの誕生日・・。自分へのプレゼントだったのかな・・?
なんとなく、憧れだった本書を1ヶ月ほど前からそろそろ・・と考えていましたが、
それなりに勉強してきましたし、いい加減、読んでもバチは当たらないでしょう。

第二次世界大戦上.jpg

著者リデル・ハートをいまさら紹介することもないかと思いますが、簡単に・・。
1895年生まれで、第一次大戦勃発により、19歳で英陸軍に志願。
大尉で退役後は、軍事評論家として活躍し、その戦術理論にはグデーリアンなど
ドイツの新進気鋭の軍人たちも影響を受けたと云われています。
第二次大戦後は捕虜となった彼らとも面会し、「ナチス・ドイツ軍の内幕(ヒットラーと国防軍)」など、
以前ココでも紹介した著作も・・。

1970年に本書の第一稿を仕上げて亡くなったリデル・ハートを支えた奥さんが
彼の代わりに序文を書いています。
ドキュメント ロンメル戦記」が故ロンメル元帥の奥さんの方から依頼された件など、
興味深い話でテンションも上がってきます。

Sir Basil Henry Liddell-Hart.jpg

第1章はいきなり1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻に伴う、英仏の宣戦布告からです。
2ページ目には「大戦の勃発と拡大の原因をすべてヒトラーの侵略に帰するのは
あまりにも単純であり、浅薄である。
そもそもヒトラーは2度目の大戦を引き起こすことなど願ってもいなかった」
この出だしを読んだだけで、本書がどのような展開になるのか・・若干、想像できました。
そして「いったい何故ヒトラーはあれほど避けたがっていた大戦争に巻き込まれたのか。
答えは、ヒトラーの侵略性のみではなく、長期に渡るその"従順さ"で彼を増長させていた
西側列強が、1939年春、突然彼を"裏切った"ということに見出せる」

Hitler receives the salute of the columns, Nuremberg 1938.jpg

第3章の「ポーランド侵攻」の戦記部分は、2ページぶち抜きの戦況図付きですが、
10ページ程度と割とあっさり・・。
これは騎兵を主体としたポーランド側の軍事思想が
「80年遅れていたと言っても過言ではない」と、一刀両断にしてますので、
著者にとってはこの戦役を細かく分析する必要が無いようにも思います。

germany-invades-poland-1939-polish-cavalry-01.jpg

宣戦布告はしたものの、ドイツに対して一向に攻撃してこない英仏・・。
連合国首脳たちは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドからドイツの背後を叩き、
ベルギーからルール地方も叩きつつ、ギリシャとバルカン諸国から東側に攻撃を加えるといった
「まことに驚くべき"白日夢の寄せ集め"の大計画を冬の間中、練っていたのである」
一方のドイツ軍は、ご存じのとおり、マンシュタイン・プランから
グデーリアンの装甲部隊まで準備は着々・・。

panzer1.jpg

西方「電撃戦」の前に、ソ連によるフィンランド侵攻が・・。
ここでは最初の攻撃で敗れたソ連について、「一大攻勢の充分な準備をせず、
不人気な政府に対するフィンランド国民の蜂起が起これば事足りると考えていた」としています。
確かに、前線の兵には「我々は解放軍だ」と教え込んでいたという話もありましたからねぇ。

Finländska soldater.jpg

ノルウェーでの独英との戦いの様子は、海戦も含め、かなりしっかりと書かれています。
それでも細かい戦記よりも、著者独特の表現が良いですね・・。例えば
「しかしドイツ軍のほうが終盤の追い込みが素早く、強力だった。
ほとんど写真判定と言っていい、"鼻の差"の勝利だった」
そして最後にはディートル将軍の「巧妙な用兵」にも触れて、
「肝心の場では兵力の劣勢を補ってあまりある迅速性と勇敢さを発揮したのである」

Ferdinand Schörner , Colonel General Eduard Dietl and General Georg Ritter von Hengl.jpg

国土のほとんどがドイツ軍に蹂躙されたベルギーではレオポルド国王が休戦を決意しますが、
ダンケルクからの脱出を図って退却中の英首相チャーチルから
「なんとか持ちこたえて欲しい」と訴えられます。
これは即ち「我々のために犠牲になって欲しいという頼み」に他なりません。
そして若き国王は飛行機での脱出という忠告も聞き入れず「軍と国民とともに留まる」という
名誉ある選択を選ぶのでした。

LeopoldIII.jpg

フランスでの「現代史に例を見ないドイツ軍大勝利」については40ページほどを割いていますが、
その要因は”一にも二にも”「グデーリアンと装甲部隊」にあるようです。
「グデーリアンの早すぎる突進という"違法行為"がなければ、この侵攻作戦は
おそらく失敗に終わっただろう。そして世界史の流れも今とは違った方向を・・」

panzer Guderian.jpg

続く「バトル・オブ・ブリテン」も40ページほど。
イタリアがエジプトの英軍と戦い出すと、ロンメルがトリポリへと飛び立ちます。
ドイツ軍の輸送船からは偵察大隊などわずか2個大隊が到着しただけ・・。
そこでフォルクスワーゲンに急造の張りぼてをかぶせたニセ戦車で兵力の水増しを図ります。。
英第8軍が「張りぼて戦車」をたくさん作ったというのは知っていましたが、
先にロンメルがやってたんですねぇ。
本書ではこの国民車ならぬ"国民戦車"の写真も掲載されていました。

afrika-korps-dummy-tank.jpg

イタリア軍の戦いということでは「エチオピアの戦い」も出てきますが、
コレは初めて読んだ気がします。「ムッソリーニの戦い」に出てたかな??
その次は「今次大戦における勇猛果敢な"離れ業"として際立った光を放っている」
ドイツ降下猟兵による「クレタ島占領作戦」です。

37-mm-antitank-pak-dropped-by-triple-parachute.JPG

そして「主として状況の産物であった西部制圧」から、
「ヒトラーの脳裏から常に離れることのなかったソ連撃滅の願望」へと移って行きます。
第13章「ソ連侵攻」の出だしでは、「独ソ戦における戦闘の成否は戦略や戦術よりも、
国土の広さ、兵站の問題、部隊の機械化の程度いかんにかかっていたと言える」

始まった「バルバロッサ作戦」も各軍集団の戦闘の様子が分析され、
南方軍集団司令官ルントシュテットの頼みとするところは、
「奇襲、スピード、空間、および敵司令官の無能ぶりだけだった」として、
その敵対するロシア革命当時に偉功を立てた老将軍ブジョンヌイについて
「途方もなく大きな口髭を生やした、ちっぽけな脳ミソの持ち主」という
部下の極めて適切な評言を借用・・。

Russland.jpg

グデーリアンは成すべきことを明確に認識し、全速力でモスクワへ突進すべき・・
と考えていたのに対し、ヒトラーとドイツ軍統帥部は、貴重な8月の一ヶ月間を
次に打つべき手の議論に空費します。その結果は
「ヒトラーのソ連侵攻失敗の根本的原因は、スターリンが広大な領土の深みから
どれだけの予備軍を生み出すことが出来るのか、その予測を誤った点にあった」

1941_soviet-russian-army.jpg

北アフリカ戦線については、東部戦線より、具体的に書かれている気がしました。
「バトルアクス作戦」から「クルセイダー作戦」と、双方の将軍から戦車の台数、
ドイツの88㎜砲だけではなく、50㎜砲の存在の重要性も挙げていますが、
これは、著者が英国人であり、特に興味深かった、或いは英独双方の資料収集と
インタビューが可能だったことが理由なのかも知れません。
また度々、ロンメルが何を考えていたかを「ドキュメント ロンメル戦記」から抜粋しています。
東部戦線はその戦線の大きさから、いちいち細かい作戦にまで言及していたら
キリがないことなども要因なのかも知れませんね。

rommel_11.jpg

日本軍がメインとなった「太平洋戦争」の部分も知らないことばかりで逆に楽しめました。
中国大陸に進出していた日本が、なぜ「真珠湾攻撃」を実行するに至ったか・・から、
「マレーの虎」こと山下奉文中将も登場。
「ガダルカナル島の戦い」も詳しいことは初めて知りました。
何年も前に「最悪の戦場に奇蹟はなかった―ガダルカナル、インパール戦記」
という本を買ったんですけど、完全に放置プレーですから。。

マレーの虎 山下奉文.jpg

そして海戦では「マレー沖海戦」で「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈。
この戦艦はビスマルクと一戦交えたことで知っていましたが、こんな運命だったんですねぇ。
さらに「ミッドウェー海戦」。
「世界のミフネ」が山本 五十六を演じた映画「ミッドウェイ」をなんとなく観た程度の
知識しかないヴィトゲンシュタインも、本書は楽しめました。
だいたい「大和」が参加していたことも知らなかったくらいですから、
「そんな非国民が語るな」と怒られそうですが、
この海戦において大鑑巨砲の時代は終わって、空母の時代となったことを
本書を読んだ印象として持ちました。果たして正しいのか・・?

他にも「比叡」や「霧島」が撃沈されたり、コレくらい有名な戦艦の名前くらいは知っていますが、
その最期について読んだのは初めてですし、大型艦以外の駆逐艦なども
なかなか格好良い名前がついているなぁ・・とつくづく思いました。

霧島_赤城.jpg

また、太平洋戦争ということで米軍のマッカーサーとニミッツ提督との確執も興味深かったですし、
戦力の少ない英連邦軍がヨーロッパや北アフリカだけでなく、
東南アジアにも戦力を割かざるを得ない状況などは、チャーチルの回顧録も含めて
いままで読んできた本では、なかなか理解仕切れなかった部分でもありました。

Roosevelt, MacArthur,Nimitz.jpg

1942年、東部戦線では「ブラウ作戦」が発動され、カフカスの油田奪取を目論むヒトラー。
やがて吸い寄せられるように副次的な戦場であるスターリングラードで第6軍が壊滅。
北アフリカでもロンメルの絶頂期から、次第に暗雲が立ち込めてきます。
しかし非常に面白かったのが、連合軍の北アフリカ上陸の「トーチ作戦」です。
以前チャーチルの「第二次世界大戦〈3〉」でも、フランス側のドロドロぶりが印象的で
「これはちょっと何かの本で勉強したいですねぇ。」なんて書いていましたが、
本書でやっと詳しく知ることができました。

EISENHOWER , DARLAN, General Clark.jpg

米軍側はアイゼンハワーにマーク・クラーク。
フランス側は連合国寄りのドゴール、ジローの両将軍に、
ヴィシー政府のペタン元帥、ダルラン提督、さらにその他、北アフリカの現地の司令官たち・・。
彼らが個人の思惑と、米国、ドイツ双方の顔色を伺いながら作戦が進みます。
1回読んだだけでは複雑すぎて、ちょっと理解できませんでしたが・・。

元々「ジムナスト(体育家)作戦」と命名されていたこのトーチ作戦ですが、
その後、一旦「スーパー・ジムナスト」に改名していたようです。
「超体育家」って感じなんでしょうか?まったく意味不明ですね・・。
チュニスではネーリングが少数の部隊と"秘密兵器"ティーガー戦車で連合軍を苦しめ、
フォン・アルニムも派遣され、戦力を増強して、北アフリカに踏みとどまります。

Tunesien_Panzer_VI_Tiger_I.jpg

最後は「大西洋戦争」です。
気がつけば、ここまでドイツ海軍による「通商破壊戦」には触れられず・・でしたが、
1939年、U-47のプリーン艦長によるスカパフローでの戦艦ロイヤル・オーク撃沈から、
グラーフ・シュペーアドミラル・シェアといったポケット戦艦、
巨大な戦艦ビスマルクにティルピッツの最期、
そしてデーニッツのUボートによる狼群作戦とアメリカ東海岸での「パウケンシュラーク作戦」、
シュノーケルの発明に新時代のエレクトロ・ボート「XXI型」の登場・・といった
1945年の終戦までの主だったドイツ海軍の興亡がそれぞれ概要程度ですが、
しっかりと書かれています。
Uボート好きにとってはちょっと物足らなくもありますが、まぁ、しょうがないでしょう。
コレを詳しく書いていたら、300ページ増量となってしまいますからね。。

Bismarck_nazi-supership.jpg

628ページの上巻はココまでです。
1970年に、この第一稿を仕上げたリデル・ハートが他界したことで、
多少の間違いやその後に新事実が出てきたり・・ということもあるようですが、
それらに対しては各ページの下段に注釈がありますし、
各国の将軍連やティーガーなどの戦車の写真も掲載されています。
戦記部分も読み応えがありますが、なによりも本書の一番の特徴は
章ごとに簡潔に整理するリデル・ハート独自の戦略的、または戦術的解釈の部分でしょう。







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