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砂漠の戦争 [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アラン・ムーアヘッド著の「砂漠の戦争」を読破しました。

5月に紹介した「神々の黄昏」の著者、ムーアヘッドの有名な北アフリカ戦線モノである本書は
もともと3部作であったものが1965年にまとめて出版され、翻訳版は1977年ですが、
子供の頃から本屋さんのハヤカワ文庫のコーナーには必ず置いてあったものです。
最終戦を描いた「神々の黄昏」がとても良かったので、その後、すぐに購入していました。
ロンメルを中心としたドイツ・アフリカ軍団の戦いは、結構読んでいますが、
著者はオーストラリア人の従軍記者であり、英軍から見た北アフリカの戦いというのは
モントゴメリー回想録」を除いて初めてなので、新鮮で楽しめそうな予感がします。

砂漠の戦争.jpg

1940年5月にエジプト入りしたロンドンの「デイリー・エクスプレス」紙の海外特派員、
それがオーストラリア生まれの35歳の著者ムーアヘッドです。
カイロでは英国人士官たちがクリケット見物に興じ、戦争の気配すらありません。
しかし1ヶ月後には、フランスの降伏と、イタリアの参戦のニュースがもたらされます。
早速、エジプト=リビア国境へ向かうと、ウェーヴェルの英軍は胸が痛くなるほどの劣勢で
グラツィアーニ率いるイタリア軍と相対している状況・・。

British intelligence agents monitor the movements of the enemy on the Western Desert near the Egyptian-Libyan border in Egypt.jpg

出来る限り、威信を傷つけずに撤退する英軍。
ムッソリーニは11月にギリシャにも侵攻し、ただでさえ戦力の少ない英軍はピンチが続きます。
それでもイタリア軍の根本的な問題・・、英軍が攻勢に出るなどということは考えられず、
何でも拡張したがるという国民性によって、1発2発の銃声が何の根拠もなく
自分は敵兵を殺して追い払ったと報告されると
中隊本部から大隊、旅団、師団へと報告されるうちに次々と一大作戦に拡張され、
イタリア軍総司令部では話半分に聞いても、真相と作り事の区別がつかない事態に陥ります。

rodolfo_graziani.jpg

始まった英軍の攻勢の前に撤退に撤退を続けるイタリア軍。ムーアヘッドは部隊に同行し、
イタリアのトマトピューレで味付けしたスパゲッティやシチューとパルメザンチーズという
鹵獲した豪華な食事を味わいながら、イタリア軍をエジプトから追い払います。
新たにやって来たオーストラリア軍はやる気満々で、
ローマ放送は「英軍はオーストラリアの野蛮人を砂漠に放った」と報じ、
捕虜となったイタリア兵は、「弾丸が通らない」と噂される、彼らの革ジャンに触れてみます。。

Italian_tanks.jpg

遂にトブルクを占領し、一路ベンガジまで・・。
25万のイタリア軍を壊滅させたウェーヴェルはトリポリまでを目論むものの、
補給やギリシャのドイツ軍の問題もあって断念するわけですが、
このイタリア軍が如何にしてエジプトに侵攻し、後に英軍によって駆逐され、
ロンメル出動・・となったかをここまでの100ページほどで始めて詳しく知りました。
ロンメル主役の戦記では、イタリア軍敗走・・っていうところから始まりますからね。

それにしても本書に出てくる地名・・「リビア」や「トリポリ」、「トブルク」っていうのは、
今年、何回もニュースで聞いただけに、読んでいて不思議な気持ちになりました。

The Desert Fox.jpg

リビアに上陸した「ナチの将軍、エルヴィン・ロンメル」は3月には早々に反撃を仕掛け、
ウェーヴェルの戦略を逆に実行し、ベンガジを襲って、英軍を撃退します。
しかし勝利の上げ潮に乗った枢軸軍は、まともにトブルクに突っ込んで行き、逆に撃退・・。
イタリア軍がこれほど弱く、ドイツ軍がこれほど強かったとは・・と語る本書ではここら辺りは
概要程度となっていますが、これはムーアヘッドが前線にいなかったことのようです。
その分、執念で留まるトブルク守備隊の様子などが語られます。

africa_DAK.jpg

どうにか中東を守り通した英連邦軍。本国軍をはじめ、オーストラリア軍に
ニュージーランド軍といった精鋭以外にも、南アフリカ軍、インド軍、亡命ポーランド軍、
チェコ軍、自由フランス軍、パレスチナ軍、キプロス軍、スーダン軍、ベルギー軍、エチオピア軍、
東西両アフリカ軍からなる混成50万の軍となり、米国からも武器まで送られてきます。
そして司令官も交代し、ウェーヴェルからオーキンレックに・・。

Armored vehicle Bren Carrier was in service with the Australian mounted troops in North Africa.jpg

この「砂漠の狐 ロンメル」に対し、一般的に評価の低いオーキンレックをムーアヘッドは評しますが、
最終的に砂漠の戦いで20名近い司令官・・・オコナー、ゴット、キャンベルという
優れた司令官たち以外にも本国に送り返されたり転出した将軍たちも呼び戻すわけにはいかず、
砂漠で指揮を取る司令官がいなくなったことの「不運」を第一に挙げています。

Auckinleck _ Wavell.jpg

11月、ムーアヘッドら従軍記者を集めて、「明後日、攻撃を開始する」と宣言するのは、
英第8軍を率いるカニンガムです。
ハニー戦車(M3 スチュアート)が、もはや砂漠では行われなくなった突撃を敢行し、
ドイツ軍のⅢ号戦車やⅣ号戦車の間を通り過ぎてしまい、再び向きを変えて突っ込みます。

6時にもなると夕闇が訪れ、何も見えなくなった両軍は引きあげますが、
ドイツ軍の回収班は素早く仕事を進め、修理可能な戦車は英軍のものまで引っ張って行き、
激戦で撃ち捨てられた衣料や食料も残らず、持ち去ります。
そして戦車の残骸の傍らで力なく横たわっている英軍の負傷兵に対しても、
暖かい飲み物を与え、毛布を掛け、寒さで死なないように気も配ります。

Anti-tank guns on wheels had a high mobility and can move quickly through the desert.jpg

やがて夜明けとともに再び、敵の姿を見つけると手袋をはめて戦闘開始。
ドイツ兵と英兵が夜通し隣り合って寝ていたような場所では、
彼らは物陰に駆け込みながら機関銃の応酬で戦端を開きます。
兵士たちは3度も4度も捕虜になったり、逃亡したり、あるいは捕虜から監視兵に変身したり・・。

野戦包帯所では英軍、ドイツ軍、イタリア軍の負傷兵を無差別に受け入れ、
戦線の移動によって管轄が変わるという状況を繰り返します。
この大混乱は、それぞれに鹵獲した戦車や車両、銃砲を使っていることで、
英軍捕虜を満載したドイツ兵の運転する英軍トラックに、近づいたイタリア軍トラックから
ニュージーランド兵が飛び降りてきて、英軍捕虜を解放した・・という例でも紹介します。

The guard protects the wounded German officer, found in the desert in Egypt in the early days of the British attack.jpg

この北アフリカ戦記ではおなじみの、英軍が発動した「バトルアクス作戦」やら、
「クルセーダー作戦」などという作戦名は本書では一切出てきません。
本書はそのような歴史的な観点から見た戦記ではなく、
現場で見聞きした生々しい個々の戦いがメインであり、
ムーアヘッドも砂漠を命からがら逃げまどったり、仲間の記者たちが死んだり、捕虜になったり・・。
「クルセーダー作戦」が落ち着いた時点でも
「どちらが勝ったのか、まだ誰も断言できない」と記しています。

Australian troops marching behind the tanks during a rehearsal of the offensive in the sands of North Africa.jpg

翌年の5月には「ガザラの戦い」が始まります。
英軍の防御陣を地図と共になかなか詳しく解説し、ドイツ・アフリカ軍団の攻撃の前に
秘密兵器の75mm砲を備えたグラント戦車が偽装をかなぐり捨てて、
ドイツ戦車部隊をたじろがせますが、応援に駆け付けたドイツの誇る万能兵器、
88㎜高射砲の前に戦局はまたしても行ったり来たり・・。

grant.jpg

ロンメルは遂にガザラの全戦線で勝利を謳歌し、再度、トブルク攻略を目指します。
ドイツ軍戦車と対等に戦えるグラント戦車も数が少なく、ヴァレンタイン戦車やハニー戦車では
射程距離などから、ドイツ軍のⅢ号戦車やⅣ号戦車とは勝負にならず、
まるで駆逐艦や巡洋艦が戦艦に立ち向かうようなもの・・と、
この遮るもののない広大な砂漠での戦車戦は、海戦と同じようだと表現しています。
それでも英空軍はスピットファイアこそ少ないものの、ハリケーン戦闘機を中心に、
Bf-109Fシュトゥーカ急降下爆撃機に執拗な戦いを挑んでいます。

Talisman Squadron Royal Air Force UK in Libya, monkey named Bass, plays a fighter pilot «Tomahawk» in the Western Desert.jpg

勢いに乗ってエジプトまで攻めこむロンメル。
カイロでは「アレクサンドリアは持ちこたえられないだろう」との推測も・・。
しかし3週間戦い続けてきたロンメルの軍団は、その入り口で力尽きてしまうのでした。。
そして、アラメイン・ラインと呼ばれる陣地で相対することとなった両軍。
英軍は新たにモントゴメリーが登場し、充分な物量を持ってエル・アラメインの戦いが始まります。

PanzerIIIAfrika.jpg

このあとは押しに押しまくられる枢軸軍はロンメルが帰国し、フォン・アルニムが奮戦しながら
最後にはチュニジアで降伏するまでが書かれていますが、
コレはまぁ、いろいろと書かれてますので割愛します。
本書では英軍、ドイツ軍を総括しますが、それはエル・アラメインの戦いの前です。
まだ英軍が劣勢の段階で反省の意味を込めて書くムーアヘッドの思いが現れていて
なかなか面白いものでした。

German POW.jpg

戦車の性能の違い、砲も88㎜に勝てるものなく、細かいところでは水と燃料の容器・・。
コレは通称「ジェリ缶」のことだと思いますが、彼自身も砂漠の移動で苦労したので
実感として伝わってきますね。

さらに将軍の差はなく、訓練と組織力の差であったとして、トブルク陥落後にある将軍は
「我々はアマチュアなんだ。ドイツ軍はプロだよ」と語った話も紹介し、
空軍の地上部隊との連携、まず急降下爆撃機、それから砲撃、次に歩兵、次が戦車、
最後に急降下爆撃機が追い打ちをかけてくるという戦術も評価し、ひとたび戦闘が始まると
時間のかかる暗号連絡を止めて、部隊にアレコレ命令を下すロンメル自身の声が
ラジオを通じて聞こえてくることも珍しくなかった・・としています。

Rommel06.jpeg

士気の問題でも彼らがドイツ、イタリアの2ヵ国だけであったのに対し、
「我々は少なくとも7つの国籍と5つの言語が使われていて、
生活習慣や国内の政治情勢など、誤解も生じた」と語ります。

The Men of Five Nations.jpg

そういえばイタリア兵については、面白い話がちょいちょい出てきました。
降伏しようとしているイタリア兵とすれ違った英兵。
しかし両手を挙げたイタリア兵よりも、その先にある戦利品で頭が一杯な英兵は彼らを無視し、
銃を投げ捨てて追いかけ、自分たちの意図をなんとかわかってもらおうとするイタリア兵・・。

また、駐屯軍として使われるような弱体の「サブラタ師団」が降伏した後に
またしても降伏してきたイタリア師団。
「我々はブレシア師団のものです。弱い兵隊だと思うでしょう?でもサブラタ師団よりマシですよ」
彼らは地方ごとの部隊ですから、こういうライバル心だけは強かったんでしょうね。

Italian gunners sit near field gun among the thickets of cactus in Tunisia.jpg

さすが従軍記者だけあって、戦場の現場での目線もさることながら、
戦争報道のあり方・・ということにもしっかり触れて、ドイツ軍にやられたことは記事にできず、
さも英軍が勝っているような報道を強いられることに悩んだり、
トブルクが陥落しそうだ・・との放送をしたBBCにも触れて、立て籠もっている兵士の士気低下や、
逆にそれを聞いているドイツ軍が盛り上がるだけだと憤慨します。
赤軍記者グロースマン」もちょっと思い出すようなところもあり、
このような個人的な経験から語った戦記というのは、重みがありますね。



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