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がんこなハマーシュタイン -ヒトラーに屈しなかった将軍- [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー著の「がんこなハマーシュタイン」を読破しました。

2009年に発刊された450ページの本書は、マンシュタインやらグデーリアンやら
ドイツの将軍たちの本を読み漁っていたときから気になっていたものでしたが、
このハマーシュタイン(クルト・フォン・ハンマーシュタイン)は第二次大戦時には退役していたことや
「がんこな・・」とちょっとトボケた感じのタイトルが読破することを敬遠させていました。
しかし今回は、すでにこのblogでも「国防軍とヒトラー」や「ヒトラーの戦い」で登場したこともあり、
ヒトラーが政権を握った1933年に「陸軍最高司令官」という立場だった
この「がんこなハマーシュタイン」個人に興味を持って読んでみました。

がんこなハマーシュタイン.jpg

ハマーシュタイン男爵一族は1000年の歴史を持ち、営林官の父は
1878年生まれの息子クルトを陸軍士官学校へ入学させます。
そして、ここで後の首相、クルト・フォン・シュライヒャーと出会い、20歳になると揃って
近衛第3歩兵連隊へと配属される・・という生い立ちが簡単に書かれ、
カールスルーエの野戦砲兵隊参謀長、フォン・リュトヴィッツ男爵の娘、マリアと恋に落ちますが、
この裕福で厳格なマリアの父は「貧乏な家の将校を家族にするのは御免・・」という態度。。
いろいろありながらも1907年にめでたく結婚。3人の娘に恵まれます。

ちなみに「ハマーシュタイン」なのか、「ハンマーシュタイン」なのかですが、
wikiでは「ハンマーシュタイン」を採用していますが、「Hammerstein」ですから、
以前に紹介したヒムラー(Himmler = ヒンムラー)と同じ感じでしょうね。。

von Lüttwitz.jpg

第1次大戦で敗北した直後の動乱の時代は、本書独特の「死者との対話」という形式で解説します。
著者エンツェンスベルガーとハマーシュタインとの対話では、
1920年のカップ一揆でならず者集団エアハルト海軍旅団を率いて暴動を鎮圧したのが、
義父のリュトヴィッツだっという話や、同じ死者のシュライヒャーも登場し、
親友ハマーシュタインと彼が参謀本部と首相に上り詰める経緯が紹介されます。
このような話は真面目に書くと大変、難しいものですが、この対話形式は楽しく理解できますね。

kurt_von_schleicher.jpg

こうして1929年には当時の陸軍参謀総長である兵務局長となり、
翌年には陸軍最高司令官へ昇進したハマーシュタイン。
子供も7人に増えて、ノーマルな仕事をことごとく避ける
天才的な「怠け者」としてベンドラー街の国防省内で家族と共に生活。。
本書では自他ともに認める「怠け者」のハマーシュタインを様々な人が評価します。
例えば、近衛第3歩兵連隊の後輩であるフォン・マンシュタイン
「私が出会ったなかで、最も利口な人間のひとりだろう。"指示はバカな人間のためにある"は
いかにもハマーシュタインらしい。戦時なら、ずば抜けた指揮官だっただろう」

Kurt_von_Hammerstein.jpg

1924年から1932年にかけてはソ連との軍事協力。
トハチェフスキー元帥が何度もドイツを訪問し、逆にドイツからはブロムベルクにアダム、
ブラウヒッチュパウルス、マンシュタイン、カイテルグデーリアンという錚々たるメンバーが
ロシアを訪れ、そして赤軍にとって最も重要な人物がハマーシュタインなのでした。
国防相ヴォロシーロフとも仲良く会談し、「赤軍はいい軍隊だ」と東の路線を公けにすることで、
外務省などからは激しく攻撃されますが、彼は
「防衛の時にはよく戦うだろう。ロシア人たちは侵略戦争ができないことがわかっている。
道路も鉄道も酷い状況で、自国の国境でしか戦うことができない」
と、その評価は10年後に確認されることになります。

Hindenburg_Tuchatschewski.jpg

いよいよ、ヒトラーとナチ党の出番です。
実は最初のページでハマーシュタインとヒトラーの出会いについて書かれていて、
1928年頃、「参謀本部で自分がどう思われているか」確認するために
ハマーシュタイン邸を訪れたヒトラーは、冷淡な態度の彼に気に入られようとして、
その後、ナチの雑誌を無料予約購読で送ってきたそうです。

Kurt von Hammerstein-Equord.jpg

こうして「国防軍とヒトラー」に書かれていたのと同様、シャライヒャーとともに
ナチ政権参加の方が内戦の危機よりも「害が小さい」と判断し、
「飼い馴らすことが出来る」と信じてしまうのでした。。
結局、ヒトラーとは上手く行かないことを悟ったハマーシュタインは1933年の暮れに辞任。
半年後には「長いナイフの夜」によって、友人シャライヒャーが殺され、
ハマーシュタインすらいつ逮捕されてもおかしくない状況です。
それでも同い年の国防相、ブロムベルクの強い命令を振り切って、
将軍としてただ一人、シュライヒャーの埋葬に出かけます。

hammerstein-hitler.jpg

やがては後任のフリッチュやブロムベルクといった仲のよろしくなかった国防軍のトップも
ヒトラーによって排除され、1939年のポーランド侵攻が・・。
その直前、本書でも「説明しにくい」というハマーシュタイン突然の現役復帰。
西部防衛の最高司令官に任命されますが、ポーランド戦終了と同時に再び、退役。。
これはワリと知られた、視察に訪れたヒトラーを勾留して、失脚させようという
策謀に繋がって行くわけですが、コレを説明するのは、あのシュラーブレンドルフです。

Leeb, Fritsch,Himmler, Blomberg, Körner,Raeder, Rundstedt.jpg

陰の「反ヒトラー派」と言われたハマーシュタインは1943年4月、自宅で死んでしまいます。
ですが、本書はハマーシュタイン一家の物語であって、子供たちの物語も並行して進みます。
そしてこの子供たちも大変なもので、長女と次女はなんとバリバリの共産主義者・・。
ソ連のスパイである彼氏のために、陸軍最高司令官の父の金庫を開けるのを手伝ったり、
ゲシュタポの尋問を受けたり・・。

maria-therese-hammerstein.jpg

一方、年の離れた息子二人は、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂に関与します。
ベンドラー街の本部では、SSの武装解除をする任務が・・。
しかしクーデターが発覚すると、腕を撃たれたシュタウフェンベルクの姿を目撃しつつ、
どっちの味方かわからない中佐から、
「総統に対するクーデターだ。お前は私の指揮下に入れ」と言われる幸運。
兄にも逮捕の危機が迫りますが、SSと見間違えられることもある
グロースドイッチュランド戦車服に身を包み、軍用列車で逃亡に成功。

Großdeutschland Panzerjacke.jpg

この事件の関係者に対するゲシュタポの執拗な追跡は、
新たに制定された「家族連帯責任」によって、母のマリアと娘たちと末っ子の弟、全員を逮捕し、
ブッヘンヴァルト強制収容所送りに・・。
そこにはシュタウフェンベルクの家族の他にも、元参謀総長のハルダー
ファルケンハウゼンシャハトといった将軍や政府高官。
ヒムラーが西側との和平交渉の人質としていたイタリアのバドリオ元帥の息子に、
スコルツェニーが拉致したハンガリーのホルティ提督の息子まで。。
4月、米軍の進撃が強制収容所まで近づくと、ヤケクソになった移送責任者のSS少尉は
彼らに質問します。「どこへ輸送したらよいか?」

なんとも不思議な味わいのある1冊でした。
得てして難しく、理屈っぽくなりがちな思想や、その背景については、
補足的に「死者との対話」という表現で読ませますし、また、逆に
公文書などの資料も写真付きで、キッチリと裏取りしてみたり・・。
この辺りの構成の妙は、著者の作家のスキルとして伝わってきます。

hammerstein.jpg

当初の予想である「がんこなハマーシュタイン」個人にだけターゲットを絞ったものではなく、
ハマーシュタイン一家の歴史というもので、そういった意味では
父の国 ドイツ・プロイセン」をなんとなく髣髴とさせるものでもありました。
特に後半は4人の娘と3人の息子たちが、各々どのような立場で敗戦を迎え、
戦後の東西に分かれたドイツとベルリンで、どのような人生を送ったのか・・まで。。
ハマーシュタイン自身に、何とも言えない魅力があるのもそうですが、
決して一般的ではない、ハマーシュタイン一家に混在した政治思想と彼らの行動・・。
ですが、これが当時の極端なドイツ人の思想の縮図のようにも感じました。



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