第二次世界大戦〈3〉 W.チャーチル [英国]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
W.S.チャーチル著の「第二次世界大戦〈3〉」を読破しました。
前巻は英国本土の航空戦とUボートとの死闘、そして地中海に
北アフリカでの戦いという、その副題のとおり、独伊の枢軸国に対して
「単独で」戦うチャーチルと英連邦軍でしたが、
1941年の夏から始まるこの第3巻は、「大同盟」の副題が象徴するように、
米ソを巻き込んだ連合軍としての戦いの様子です。
チャーチルが情報を流していたにも関わらず、これを無視した結果、ドイツ軍の
「バルバロッサ作戦」をモロに受けて、各戦線で崩壊寸前となったスターリンのソ連。。
9月15日、チャーチルはスターリンから1通の電報を受け取ります。
「英国は危険を冒すことなく、30個師団をイラン経由でソ連の南部地域に輸送することが
出来ると思われます。こうすれば、英ソ両軍の軍事協力をソ連領内に確立できます」。
これにはチャーチルも「大国の最高責任者がこのような非現実的で愚かなことを主張するとは・・」
という感想です。
このような間にも米国大統領ルーズヴェルトと「プリンス・オブ・ウェールズ」の艦上で会談し、
枢軸国に対する共同宣言を行い、孤立から、巨大な味方を得ることになるのでした。
そして、日本による真珠湾攻撃が「米国が死に至るまで戦争に入った」として、
この時点で早くもチャーチルは勝利を予感します。
ここからは一進一退を繰り返す、北アフリカのロンメル軍団に対する戦いと、
日本軍の東南アジア侵攻に対する戦いが交互に登場する展開ですが、
ヴィトゲンシュタインが非常に疎い、この英日戦はなかなか勉強になりました。
日本がまず攻め込むのは香港。そして英国はシンガポールの防衛も放棄します。
海での戦いもこの時期の様々なエピソードが語られ、例えば、
シャルンホルストとグナイゼナウによるドーヴァー海峡を白昼堂々突破された顛末や、
戦艦ティルピッツの大西洋沿岸でのドック入りを防ぐためのサン・ナゼール急襲。
米国東海岸でUボートが暴れまわる「パウケンシュラーク」作戦。
1942年6月、ワシントンを訪れていたチャーチルの手元に電報が渡されます。
そこに記されていたのは「トブルク降伏。捕虜25000.」。
「あまりに驚くべきもので、私には信じられなかった」と語るチャーチルは、
すでにシンガポールで85000名もの捕虜を出し、今もまた・・。
そしてルーズヴェルトに懇願します。「出来るだけ多くのシャーマン戦車をください」。
この敗北はロンドンでもメディアを賑わせています。
「トブルク陥落は内閣更迭へ発展か」、「チャーチル不信任されん」などなど・・。
このようにオーキンレック将軍の英第8軍がロンメル軍団にエジプト方面に押し込まれつつあるなか、
英米による第2戦線に向けた4つの反撃作戦も計画され始めます。
①暗号名「体育家」 北西アフリカ上陸作戦で後に「トーチ(松明)作戦」に改名。
②暗号名「ジュピター」 北ノルウェー作戦。
③暗号名「狩り立て」 ドイツ占領下ヨーロッパ侵入で後に「オーバーロード(大君主)作戦」に改名。
④暗号名「大槌」 1942年ブレスト、またはシェルブール攻撃。
結局は②と④は脱落し、残った①と③が連合軍にとって決定的な作戦となっていきます。
砂漠軍の信頼を失ったオーキンレック将軍の解任と、その後継者問題に悩むチャーチルの話は
かなり詳しく書かれています。プライドの高い彼ら軍人に対する人事は、
大変気を使ったもので、ヒトラー流に即、更迭、軍事裁判・・などということは当然ありません。
当初は参謀総長ブルックを検討したというチャーチルですが、結局は後任の中東司令官として
アレキサンダー将軍を、そしてモントゴメリー将軍をアレキサンダーの「トーチ作戦」後任とし、
ゴット将軍をアレキサンダーの元で第8軍を指揮・・・と玉突き人事が行われますが、
その直後、ゴット将軍が戦死。これによって最終的にはモントゴメリーが第8軍にと
なるわけですが、オーキンレックにも中東総司令官の地位が与えられたそうですが、
彼自身がこれを威厳をもって拒絶したようです。
ここまでの英将軍連についての印象としては、ブルックは当然ながら、チャーチルは
アレキサンダーをとても信頼している感じです。
いよいよチャーチルは同盟国のもう一人の首領、スターリンと会見するためにモスクワへ旅立ちます。
この陰気で邪悪なボルシェヴィキの国への使命に思いを巡らせ、
かつて、この国の誕生にあたって、これを絞め殺すことに懸命に努力をし、
ヒトラーが出現するまでは、文明化した自由の不倶戴天の敵と見なしていた国・・。
この数日間の初会談の模様も非常に細かく書かれています。
「トーチ作戦」を説明すると、スターリンはその作戦の背後にある戦術的利益・・
フランス国内での対立とスペインへのけん制、そしてイタリアを戦争の矢面に立たせることを
すぐさま理解し、また、自慢の新兵器カチューシャ・ロケット砲に関する情報を全部与えるから、
その代り、何か提供してくれないか。。
北アフリカでは新任のモントゴメリーがエル・アラメインでロンメルを撃破し、
大勝利を収めます。このような細かい戦記の部分は、以前にココでも紹介した、
デズモンド・ヤングの「ロンメル将軍」を参考にして引用しています。
そして、この戦いが戦史に残るものとして、このように語ります。
「アラメイン以前に我々に勝利はなく、アラメイン以後、我々に敗北はなかった」。
クライマックスは発動された「トーチ作戦」の様子。
細かい戦闘の推移よりも、ここではドゴールの自由フランス軍にアンリ・ジロー将軍、
ペタンのヴィシー政府と大の英国嫌いダルラン提督までが絡んでくる
2つ、3つに分かれたフランスのドロドロ感がとても印象的でした。
これはちょっと何かの本で勉強したいですねぇ。
ダルランは暗殺されたものの、ドゴールとジローもいがみ合い、
なんとかカサブランカ会談で握手させますが、チャーチルはドゴールについて、
彼の傲慢な態度には腹がっ立った・・と、その悪感情を本書でさらけ出しています。
曰く「彼は亡命者であり、死の宣告を受けた祖国からの放浪者であり、
どこにも拠り所がなく、英米政府からの善意に完全に依存する立場にあったのだ」。
最後のページには、全く知らなかったエピソードが紹介されていました。
中立国ポルトガルの飛行場から飛び立った飛行機がドイツ空軍機に撃墜され、
「風と共に去りぬ」にも出演していた有名な英俳優レスリー・ハワードが死亡した・・というものです。
この乗客の中に太って葉巻を咥えた人物がいたということで、チャーチルは
「大英帝国の首相が護衛も付けず、白昼堂々、旅客機で帰国するなどあり得ない」と
ドイツの残虐さと防諜の間抜けさ加減を批判しています。
その代り、ハイドリヒ暗殺の話は一切出てきません。ちょっと楽しみにしていたんですけどね。
W.S.チャーチル著の「第二次世界大戦〈3〉」を読破しました。
前巻は英国本土の航空戦とUボートとの死闘、そして地中海に
北アフリカでの戦いという、その副題のとおり、独伊の枢軸国に対して
「単独で」戦うチャーチルと英連邦軍でしたが、
1941年の夏から始まるこの第3巻は、「大同盟」の副題が象徴するように、
米ソを巻き込んだ連合軍としての戦いの様子です。
チャーチルが情報を流していたにも関わらず、これを無視した結果、ドイツ軍の
「バルバロッサ作戦」をモロに受けて、各戦線で崩壊寸前となったスターリンのソ連。。
9月15日、チャーチルはスターリンから1通の電報を受け取ります。
「英国は危険を冒すことなく、30個師団をイラン経由でソ連の南部地域に輸送することが
出来ると思われます。こうすれば、英ソ両軍の軍事協力をソ連領内に確立できます」。
これにはチャーチルも「大国の最高責任者がこのような非現実的で愚かなことを主張するとは・・」
という感想です。
このような間にも米国大統領ルーズヴェルトと「プリンス・オブ・ウェールズ」の艦上で会談し、
枢軸国に対する共同宣言を行い、孤立から、巨大な味方を得ることになるのでした。
そして、日本による真珠湾攻撃が「米国が死に至るまで戦争に入った」として、
この時点で早くもチャーチルは勝利を予感します。
ここからは一進一退を繰り返す、北アフリカのロンメル軍団に対する戦いと、
日本軍の東南アジア侵攻に対する戦いが交互に登場する展開ですが、
ヴィトゲンシュタインが非常に疎い、この英日戦はなかなか勉強になりました。
日本がまず攻め込むのは香港。そして英国はシンガポールの防衛も放棄します。
海での戦いもこの時期の様々なエピソードが語られ、例えば、
シャルンホルストとグナイゼナウによるドーヴァー海峡を白昼堂々突破された顛末や、
戦艦ティルピッツの大西洋沿岸でのドック入りを防ぐためのサン・ナゼール急襲。
米国東海岸でUボートが暴れまわる「パウケンシュラーク」作戦。
1942年6月、ワシントンを訪れていたチャーチルの手元に電報が渡されます。
そこに記されていたのは「トブルク降伏。捕虜25000.」。
「あまりに驚くべきもので、私には信じられなかった」と語るチャーチルは、
すでにシンガポールで85000名もの捕虜を出し、今もまた・・。
そしてルーズヴェルトに懇願します。「出来るだけ多くのシャーマン戦車をください」。
この敗北はロンドンでもメディアを賑わせています。
「トブルク陥落は内閣更迭へ発展か」、「チャーチル不信任されん」などなど・・。
このようにオーキンレック将軍の英第8軍がロンメル軍団にエジプト方面に押し込まれつつあるなか、
英米による第2戦線に向けた4つの反撃作戦も計画され始めます。
①暗号名「体育家」 北西アフリカ上陸作戦で後に「トーチ(松明)作戦」に改名。
②暗号名「ジュピター」 北ノルウェー作戦。
③暗号名「狩り立て」 ドイツ占領下ヨーロッパ侵入で後に「オーバーロード(大君主)作戦」に改名。
④暗号名「大槌」 1942年ブレスト、またはシェルブール攻撃。
結局は②と④は脱落し、残った①と③が連合軍にとって決定的な作戦となっていきます。
砂漠軍の信頼を失ったオーキンレック将軍の解任と、その後継者問題に悩むチャーチルの話は
かなり詳しく書かれています。プライドの高い彼ら軍人に対する人事は、
大変気を使ったもので、ヒトラー流に即、更迭、軍事裁判・・などということは当然ありません。
当初は参謀総長ブルックを検討したというチャーチルですが、結局は後任の中東司令官として
アレキサンダー将軍を、そしてモントゴメリー将軍をアレキサンダーの「トーチ作戦」後任とし、
ゴット将軍をアレキサンダーの元で第8軍を指揮・・・と玉突き人事が行われますが、
その直後、ゴット将軍が戦死。これによって最終的にはモントゴメリーが第8軍にと
なるわけですが、オーキンレックにも中東総司令官の地位が与えられたそうですが、
彼自身がこれを威厳をもって拒絶したようです。
ここまでの英将軍連についての印象としては、ブルックは当然ながら、チャーチルは
アレキサンダーをとても信頼している感じです。
いよいよチャーチルは同盟国のもう一人の首領、スターリンと会見するためにモスクワへ旅立ちます。
この陰気で邪悪なボルシェヴィキの国への使命に思いを巡らせ、
かつて、この国の誕生にあたって、これを絞め殺すことに懸命に努力をし、
ヒトラーが出現するまでは、文明化した自由の不倶戴天の敵と見なしていた国・・。
この数日間の初会談の模様も非常に細かく書かれています。
「トーチ作戦」を説明すると、スターリンはその作戦の背後にある戦術的利益・・
フランス国内での対立とスペインへのけん制、そしてイタリアを戦争の矢面に立たせることを
すぐさま理解し、また、自慢の新兵器カチューシャ・ロケット砲に関する情報を全部与えるから、
その代り、何か提供してくれないか。。
北アフリカでは新任のモントゴメリーがエル・アラメインでロンメルを撃破し、
大勝利を収めます。このような細かい戦記の部分は、以前にココでも紹介した、
デズモンド・ヤングの「ロンメル将軍」を参考にして引用しています。
そして、この戦いが戦史に残るものとして、このように語ります。
「アラメイン以前に我々に勝利はなく、アラメイン以後、我々に敗北はなかった」。
クライマックスは発動された「トーチ作戦」の様子。
細かい戦闘の推移よりも、ここではドゴールの自由フランス軍にアンリ・ジロー将軍、
ペタンのヴィシー政府と大の英国嫌いダルラン提督までが絡んでくる
2つ、3つに分かれたフランスのドロドロ感がとても印象的でした。
これはちょっと何かの本で勉強したいですねぇ。
ダルランは暗殺されたものの、ドゴールとジローもいがみ合い、
なんとかカサブランカ会談で握手させますが、チャーチルはドゴールについて、
彼の傲慢な態度には腹がっ立った・・と、その悪感情を本書でさらけ出しています。
曰く「彼は亡命者であり、死の宣告を受けた祖国からの放浪者であり、
どこにも拠り所がなく、英米政府からの善意に完全に依存する立場にあったのだ」。
最後のページには、全く知らなかったエピソードが紹介されていました。
中立国ポルトガルの飛行場から飛び立った飛行機がドイツ空軍機に撃墜され、
「風と共に去りぬ」にも出演していた有名な英俳優レスリー・ハワードが死亡した・・というものです。
この乗客の中に太って葉巻を咥えた人物がいたということで、チャーチルは
「大英帝国の首相が護衛も付けず、白昼堂々、旅客機で帰国するなどあり得ない」と
ドイツの残虐さと防諜の間抜けさ加減を批判しています。
その代り、ハイドリヒ暗殺の話は一切出てきません。ちょっと楽しみにしていたんですけどね。
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