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ベルリン・オリンピック1936 -ナチの競技- [スポーツ好きなんで]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デイヴィッド・クレイ ラージ著の「ベルリン・オリンピック1936」を読破しました。

「ヒトラーの戦い〈1〉」を読んだ際に、とても印象に残った話のひとつ、
1936年に開催されたベルリン・オリンピックの全貌を綴った一冊です。
本書は2008年に発刊されたワリと新しいもので、ハードカバーで540ページという
かなりの大作です。
第三帝国は当然この「独破戦線」のテーマですが、
スポーツ本も大好きなヴィトゲンシュタインとしては一冊で両方の趣味を満足させられそうな、
「一粒で二度美味しい」ことを期待して購入しました。

ベルリン・オリンピック 1936.jpg

「序章」では、このベルリン大会から始まったギリシャ・オリンピアの廃墟で蘇った「聖火」・・、
その点火式と聖火リレーの様子を再現します。
それは現在でもTVのニュースで見るようなギリシャの乙女たちによる荘厳な雰囲気ですが、
ブラスバンドのドイツ国歌に続き、「ナチ党の軍隊、突撃隊(SA)の血に飢えた行進曲
ホルスト・ヴェッセルの歌」も演奏された」という表現で始まります。

lights the Olyjmpic Flame at the light ceremony of Berlin 1936 Olympic Games.jpg

そして、クルップ社によってステンレススチールの取っ手が作られたその「聖火」は、
3000人以上のランナーによって7か国を回り、ベルリンに辿り着くわけですが、
ブルガリアにユーゴ、チェコ、ハンガリー、そしてオーストリアと、その数年後には
ナチス・ドイツによって占領、または同盟国となって行く国々だとして皮肉っています。
更にヒトラー自身が古代ギリシャ人とドイツ人の人種的繋がりがあると主張をしていたことによって
このオリンピックは古代オリンピックを模擬したものとなったということのようです。

olympics 1936.jpg

続く第1章はクーベルタン男爵によって提唱された近代オリンピックの歴史・・、
1896年の第1回アテネ大会から、1936年に至るまでの波乱万丈の
オリンピック創成期の経緯が詳しく書かれています。
例えば1900年のパリ大会は万国博覧会に付随するスポーツ・イベントといった扱いでしかなく、
万博期間中の5か月半にも渡って競技は分散され、その種目のなかには、
「消火競争」、「綱引き」、「鷹狩り」、「魚釣り」というものもあったそうです。
第1次大戦という試練もなんとか乗り越えたオリンピックは、
ドイツを含む戦後の敗戦国の扱いにまたもや苦労を強いられます。

Paris, 16 July 1900. Games of the II Olympiad.jpg

同じパリ大会でも、1924年のオリンピックでは、映画「炎のランナー」の話も出てきました。
これは2回くらいは観てますが、やっぱりテーマ曲が良いですねぇ。


chariots_of_fire.jpg

そして敗戦国ドイツは1936年のベルリン・オリンピックの誘致に成功、
さらには新たに始まっていた冬季オリンピックの開催権も獲得します。
本書では「泳ぐの嫌い」、「乗馬も嫌い」で知られるヒトラーのオリンピック感も検証していて、
「右腕を長時間挙げる・・という技で、自分は金メダルを貰う資格がある」との
ヒトラーの冗談も紹介・・。
また、「青年時代のスキーをしたことがある」件については、それは怪しい・・と。

Triumph of the Will (1935).jpg

いよいよ1936年・・、2月には自分が全く知らなかったバイエルンでの第4回冬季オリンピックが
ガルミッシュとパルテンキルヒェンという双子の村で開催されます。
まだオリンピック関係者にも蔑ろにされ、「誤り」と見られていた冬季オリンピックですが、
ドイツにとっては首都ベルリンでの夏の本番に向けた大事なリハーサルでもあります。

Olympische Winterspiele Skispringen.jpg

バイエルンの「帝国地方長官」フランツ・リッター・フォン・エップも苦労しながら
村々にもふんだんにある「反ユダヤ」掲示物を撤去し、
地元のSS隊員も「ユダヤ人に見える」外国人を罵ったり、襲ったりすることを禁止されます。
このような「努力」によって、直前までボイコット検討していたスポーツ大国「USA」も出場・・。
これはもちろん、すでに広く知られていたナチス・ドイツのユダヤ人、有色人種に対する政策に
抗議するものですが、その「USA」でも、南部では黒人に対する人種差別はハンパではありません。

Franz Ritter von Epp with local women of Sudetenland..jpg

ゼップ・ディートリッヒラッテンフーバーによって警護されたヒトラーも開会式に登場。
そこでは1924年に導入された「オリンピック式挨拶」で入場する選手団も多く、
その「挨拶」とは「手のひらを下にして、右腕を水平に前へ突き出す」というものだそうです。
ちょっと角度を変えれば「ヒトラーが金メダルを獲れる」という例のヤツになりますね。

Olympische Winterspiele 1936.jpg

とりあえず、ガルミッシュ=パルテンキルヒェン冬季オリンピックを成功に終わらせたヒトラーですが、
3月には「ラインラント進駐」を実行し、7月にも内戦の起こったスペインに
コンドル軍団」を派遣するという、決して「良い子」でいたわけではありません。
そのため、またしてもフランスやソ連などがベルリン大会をボイコットする、しない・・という問題に・・。

1933年から始まったベルリン・オリンピック会場建設の過程はなかなか楽しめました。
当初のガラスを使った「モダン」な作りのスタジアムに激怒したヒトラーによって、
お気に入りの建築家シュペーアがスケッチをした、石灰岩をふんだんに使った重厚なものへと変更。
内相フリックはスタジアム名に「独逸陸上競技場(ディー・ドイチェ・カンプフバーン)」を提案しますが、
ヒトラーの命令によって「オリンピア・シュターディオン」に決定します。

1936_Olympics_Bell_-_Berlin.jpg

「外国人訪問者にヒトラー・ドイツの優しく真心の籠った姿を見せる」ための一大プロバガンダ作戦が
ゲッベルスの指導もとに実施され、反ユダヤだけでなく、収容所囚人の道路工事も禁止・・。
公認されていたより5センチ上げても良くなったスカートの裾、
ナチ政府がベルリンから追放していた娼婦7000名が呼び戻され、
ナイトクラブや同性愛クラブまでも復活!!

Nazi Propaganda Poster Berlin Olympics 1936.jpg

外国の選手たちを街中で見張るのはバイリンガルの「学生ヘルパー」に変装したゲシュタポ。。。
そして選手たちは国籍に関係なくオリンピック村に感心し、特に食事は
各国の好みと文化を取り揃え、日本人向けに刺身と醤油も用意されていたそうです。

Berlin, Olympiade, SS lagert vor Olympiastadion.jpg

このベルリンの中心からかなり離れた「選手村」もゲシュタポによって厳重に監視され、
「公認された者」のみが入ることを許されます。
その「公認」にはドイツ少女団(BDM)の最も愛らしい厳選された乙女が含まれていて、
彼女らは自分の選んだ「白人」選手に性的もてなしを行ったということです。
その代償は相手のオリンピック・バッジで、もしも妊娠した場合は、そのバッジを提出することで
国が一切の費用を払うというシステムだそうで、まぁ、オリンピック版「レーベンスボルン」ですね。。。

Bund Deutscher Mädel_4.jpg

途中、マックス・シュメリングとジョー・ルイスによるボクシングのヘビー級にまつわる話や
「翼よ! あれが巴里の灯だ」のチャールズ・リンドバーグがベルリンを訪問し、
ゲーリングウーデットらと語り合った話などが紹介され、
遂にヒトラーによって「第11回近代オリンピアードを祝う」宣言が行われます。

Field Marshall Hermann Goering_Charles Lindbergh.jpg

初日から始まった陸上競技。当然、大活躍のジェシー・オーエンスを中心に進みます。
当初は優勝者を貴賓席に呼び寄せて祝福していたヒトラーが
黒人選手が優勝しそうになると退席してしまい、
その後、オーエンスとも握手しなかったという話も詳しく書かれていますが、
これは「ヒトラーの戦い〈1〉」と同様、IOC会長の「メダル受賞者を公に祝福するのなら、
例外なく"すべて"の受賞者を・・」という意見に従ったもののようです。
結局、すべての会場での観戦は不可能なことから、以降は祝福をしなかったヒトラーですが、
本書の著者は、多くの黒人がメダルを獲得するのをヒトラーは恐れたのだと解釈しています。

hitler 1936 Berlin Olympics.jpg

後半は各種目のさまざまなエピソードが書かれて、純粋なスポーツものとしても楽しめました。
ヴィトゲンシュタインの好きな自転車ロードレースは、初めて個人タイムトライアルではなく、
集団での100㌔ロードが採用され、ゴール前、ペルーの選手が転倒したことで
有力な20名を巻き込む集団落車が発生・・。
また、ペルーはサッカーでもムチャクチャやっています。

Peru's Olympic football team in action, Berlin Olympics, 1936.jpg

初登場の競技バスケットボールも、「背の高さ」の上限が決められて「USA」の3選手が「失格」。。
野外にある土のコートで行われた決勝戦、絶え間なく降る雨の中、泥まみれの壮絶な試合です。
デモンストレーションで行われたベースボールも、まぁ、大変です。
観客の誰もルールは知らず、内野フライで盛んに喝采し、ヒットで黙り込む・・。

馬術競技ではドイツ国防軍の騎兵チームが史上例のない全種目「完全優勝」を果たします。
特に21マイルのクロスカントリー障害物レースは、出場56人中、完走できたのは半分だけ、
途中で3頭の馬が死亡・・という恐ろしいレースですね・・。
なお、金メダリストのなかには、7月20日事件の犠牲者、ハインツ・ブラントの名もあります。

1936 Berlin Olympics.jpg

このようにして1936年のベルリン・オリンピックは成功のうちに閉会式を迎え、
「4年後に東京に集まろう」と締め括られます。

全体的には楽しめた本書ですが、著者が最初から「反ナチ」的な雰囲気を露骨に出していて、
ドイツの高官の演説などには「長ったらしい演説・・」とか、
バイエルンのお祭りであるオクトーバーフェストを「バカ騒ぎが好きな・・・」とか、
特別書く必要のない余計な表現がちょくちょく出てきて、イラっとしたりも。。。
まぁ、これは最近の「北京オリンピック」のあり方に疑問を持った著者が、
このような体制化の国家によるオリンピックの姿を暴き出そうというのが狙いですから、
こうなってしまうのもしょうがないところですか。後半は良かったですけどね。

Berlin, Olympiade, Siegerehrung Fünfkampf.jpg

また、「シャンパン商人」として知られる外相リッベントロップが扱っていたシャンパンが
「ポメリー」であったことがわかったり、ウィリアム・シャイラーがちょくちょく出てきて
「第三帝国の興亡」を改めて読みたくなったりも・・。
それと最後の章はレニ・リーフェンシュタールと彼女の映画「オリンピア」製作の過程が
ガッチリと書かれていて、これも大変興味深いものでした。











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IZM

数年前にレ二・リーフェンシュタールがなくなった際の彼女に関する新聞記事が面白かったのと、その「オリンピア」のパロデイをラムシュタインというドイツのバンドが音楽PVでやって、TVで放送禁止になったりとかで、このオリンピックネタはワタシもとても気になっておりました!Ww
面白そうな本ですね。
反ナチな文章を入れておかないと、読者にナチ信奉者かと思われてしまうのでそれを避けるため。。。ってことは、ない・・・かな?

by IZM (2011-05-06 21:55) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も。
レ二・リーフェンシュタールは本国でも有名なんですねぇ。
今まで何冊か、彼女の出てくる本を読みましたが、本書では40ページを割いていて、完成した「オリンピア」をニューヨークへ売り込みに行ったりとか、その後もなかなか大変な人生だったようですね。
今度「レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実」でも読んでみようかな・・。

それから本書の著者はモンタナ州立大で現代ドイツ史の教授という方で、過去にもヒトラーとスターリンの「血の粛清」というのも書いているようです。
まあ原題も「Nazi Games」ですからねぇ。。。

by ヴィトゲンシュタイン (2011-05-07 08:04) 

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