第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈5〉 [ヒトラーの戦い]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈5〉」を読破しました。
遂に発動された1942年の夏季攻勢「青」作戦。
ドイツ南方軍集団がヴォルガ川のスターリングラードと、カフカスからバクー油田を目指すこの作戦。
A軍集団とB軍集団に分かれて順調に進撃を進めますが、
その反対側・・フランス沿岸に西側連合軍による「ディエップ奇襲」作戦も起こります。
カフカス山脈の最高峰であるエルブルス山の山頂にドイツ軍旗を掲げたと発表した
A軍集団のリスト元帥。
「馬鹿げた山登りの趣味を満足させろと命令した覚えはない!」と怒り狂うヒトラーに
「ソ連の最高峰の征服は、我が軍のソ連制覇を象徴するものでは・・」と擁護するヨードルですが、
「そこに石油はないではないか!」と逆に火に油を注ぐ格好です。
しかも険しい山越えに車両も通れないA軍集団から撤退要請が届くと、
怒りに震えるヒトラーはリスト元帥の解任だけでなく、OKW長官のカイテル、統帥局長ヨードル、
そして陸軍参謀総長のハルダーまで解任すると宣言します。
カイテルの代わりにはケッセルリンクを、ヨードルの代わりにはスターリングラード攻略後に
第6軍のパウルスを考えていたというヒトラーですが、結局、実現したのは
ハルダーに代わるツァイツラーの人事だけです。
リストの後任にはセヴァストポリを攻略したばかりのマンシュタインを・・とカイテルは進言しますが、
ヒトラーは首を振り、自らA軍集団司令官も兼務。
リヒトホーフェン率いる第4航空軍がスターリングラード市内に爆撃を繰り返すものの、
パウルスの第6軍はなかなか前進しません。
やがては包囲し、建物一軒一軒を奪取する白兵戦を繰り広げながらも
徐々にソ連軍を追い詰める第6軍ですが、
11月、リヒトホーフェンは盟友ルーマニア軍に対する攻撃準備を進めるソ連軍の姿を察知します。
しかしヒトラーは進言された先制攻撃案を聞き流してしまいます。
そしてソ連の「天王星作戦」の前に逆に包囲されてしまった第6軍。
このスターリングラード攻防戦はソ連側の話も多く、なかなか充実しています。
ここで登場するのは「ヒトラー以上のエゴイスト」という陸軍内の評判を持つ、マンシュタインです。
本書は結構マンシュタインに辛辣で、「彼はあまりにも野心と自信が強すぎる」という
ブラウヒッチュの話も紹介しています。
以前から詳細なものを読みたいと思っていた「包囲された第6軍首脳」についても
第14装甲軍団長のフーベなどの各軍団長たちや第51軍団長のザイトリッツ=クルツバッハが
独断で撤退した話など、いろいろ興味深い話が続きます。
第24装甲軍団長のアイベル中将が後退するイタリア軍から手榴弾を投げつけられ、
片足を失った・・という話は特に印象的でした。
マンシュタインの救出作戦「冬の嵐」と第6軍が脱出を図る「雷鳴」作戦。
そしてその一方でソ連軍の「土星作戦」が計画され、独ソ双方の攻守が入り乱れます。
特にマンシュタインとパウルスの疑心暗鬼とも言えそうな、責任のなすり合いと不信感、さらに
空軍の補給が足りないことで、その責任を押し付けようとする両者・・。
心臓萎縮による突然死も多くなり、師団長でさえ、雪原を小銃を発砲しながら戦死。。
自殺や投降する師団長も出るなど、「第6軍の心臓」そのままの状況です。
そんな彼らが家族に書いた手紙が最後の空軍機で運び出されますが、届けられた国民の
反戦気分が高まることを恐れたゲッベルスによって、すべて破棄されてしまいます。
1943年1月、いよいよとなったパウルスは傷病兵への食糧配給を停止。
重傷者は凍死させるため、より風雪が襲う戸口に近いところへ移され、
また、死亡による体温低下を敏感に察知した「シラミ」は、とたんに死者から離れ、
まるで「灰色のじゅうたん」が押し寄せるかの如く、生者に移動した・・。
このような傷病兵には降伏後も悲惨な運命が待ち受けており、
ソ連兵によって地下室にガソリンが注ぎ込まれ、室内の数百人が燃え上がります。。。
4月、ベルリン放送が世界に向けて「カティンの森」事件を放送します。
ドロドロになったポーランド将校数千人の遺体を発掘するのは、もちろんロシア人労働者です。
ポーランドと国際赤十字から代表団が呼ばれ、この虐殺がソ連によるものとして
反ソ宣伝を行いますが、同じ連合軍であるポーランド亡命政府も苦しい立場に立たされます。
この遺体発掘の経緯など、実は初めて読みました。
ドイツ軍の捕虜となっていたウラソフ将軍を担ぎ出して、ソ連軍から脱走兵を誘発させ、
ロシア人部隊を作ろうとする「ウラソフ工作」も詳しく書かれています。
この工作を危惧したソ連側は、ウラソフ暗殺を目論み、内務人民委員部(NKVD)の刑務所で
禁固刑を受けていたカプスチン少佐をウラソフ陣営へスパイとして送り込みますが、
この少佐はペラペラとドイツ軍に、自らこの使命を報告してしまいます。
これは「使命達成が出来ずとも、帰ってきた際には英雄として迎え、大佐に昇進させる」という
NKVDの約束が全く信用できない・・というのが理由です。
1943年の夏と言えば「クルスク大戦車戦」です。
この「ツィタデレ作戦」の実施を悩みに悩むヒトラー・・。一旦は「中止」を命令するものの、
ついに参謀総長ツァイツラーに「決断した」と宣言します。
本書ではその「決断」をさせたのが参謀次長ブルーメントリットによる工作だとしており、
OKHが作戦を管轄する東部、OKWの西部という図式が出来上がったいま、
危惧される地中海方面に戦力を動かすと、ドイツ陸軍の指導権をOKWに掌握されかねない・・
といったことによるものです。
そして始まった「ツィタデレ作戦」。
北部のモーデル率いる第9軍は地雷原の前に思うように進捗しません。
そこで投入したのが新兵器「ゴリアテ」とその大型版ともいえそうな「ボルクヴァルトIV」です。
この「ボルクヴァルトIV」はまったく知りませんでしたが、450㎏の爆薬を積んだ装甲車で、
半径40~50mの地雷をすべて誘爆させられるものですが、
地雷原まで操縦したあと、無線誘導で深入りさせて爆発させるこの兵器、
しばしば運転手が逃げ遅れることもあって、8両のうち4両の運転手が運命を共にしたということです。
南部ではホトの第4装甲軍がハウサー率いる第2SS装甲軍団にハッパを掛けつつ、
「プロホロフカの大戦車戦」を繰り広げますが、シチリア島に英米軍が上陸・・。
海軍総司令官デーニッツは集まっている艦艇300隻を叩きのめすチャンスとばかりに、
イタリア海軍総司令官リカルディに全艦隊の出撃を要請し、威勢の良い返事をもらいます。
しかしイタリア艦隊はいつまでたっても母港に停泊したまま・・。
最後はそのイタリア首相、ムッソリーニに対するクーデターです。
参謀総長アンブロージオを中心に国王や、あのカステッラーノまで登場する
ムッソリーニ逮捕/監禁事件が非常に詳細に書かれています。
新首相バドリオ元帥が誕生すると、ローマ市民も喜びに沸き返ります。
「これで戦争も終わりだ」と喜びすぎた兵士はコニャックを2本を一気飲みして、「即死」・・。
しかし、そのころ、総統護衛主任のオットー・ギュンシェがムッソリーニ救出作戦指揮官候補6人を
ヒトラーに紹介し、選ばれたのは後に「ヨーロッパで最も危険な男」となるスコルツェニーです。
早速、ローマへと旅立ったスコルツェニーは、この地でのゲシュタポ隊長、
カプラーに協力を求めるのでした。
この巻で最も印象的だったのは「スターリングラードのシラミ大移動」の部分です。
まぁ、シラミの大群はおろか、シラミ一匹すら見たことがないヴィトゲンシュタインとしては、
子供の頃、放映される度に家族揃って観せられた、チャールトン"ベンハー"ヘストンの
「黒い絨氈」を思い出しました。。。
この「絨毯」は、人喰い蟻マラブンタの大群ですが、子供には実に嫌な映画でしたねぇ。
児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈5〉」を読破しました。
遂に発動された1942年の夏季攻勢「青」作戦。
ドイツ南方軍集団がヴォルガ川のスターリングラードと、カフカスからバクー油田を目指すこの作戦。
A軍集団とB軍集団に分かれて順調に進撃を進めますが、
その反対側・・フランス沿岸に西側連合軍による「ディエップ奇襲」作戦も起こります。
カフカス山脈の最高峰であるエルブルス山の山頂にドイツ軍旗を掲げたと発表した
A軍集団のリスト元帥。
「馬鹿げた山登りの趣味を満足させろと命令した覚えはない!」と怒り狂うヒトラーに
「ソ連の最高峰の征服は、我が軍のソ連制覇を象徴するものでは・・」と擁護するヨードルですが、
「そこに石油はないではないか!」と逆に火に油を注ぐ格好です。
しかも険しい山越えに車両も通れないA軍集団から撤退要請が届くと、
怒りに震えるヒトラーはリスト元帥の解任だけでなく、OKW長官のカイテル、統帥局長ヨードル、
そして陸軍参謀総長のハルダーまで解任すると宣言します。
カイテルの代わりにはケッセルリンクを、ヨードルの代わりにはスターリングラード攻略後に
第6軍のパウルスを考えていたというヒトラーですが、結局、実現したのは
ハルダーに代わるツァイツラーの人事だけです。
リストの後任にはセヴァストポリを攻略したばかりのマンシュタインを・・とカイテルは進言しますが、
ヒトラーは首を振り、自らA軍集団司令官も兼務。
リヒトホーフェン率いる第4航空軍がスターリングラード市内に爆撃を繰り返すものの、
パウルスの第6軍はなかなか前進しません。
やがては包囲し、建物一軒一軒を奪取する白兵戦を繰り広げながらも
徐々にソ連軍を追い詰める第6軍ですが、
11月、リヒトホーフェンは盟友ルーマニア軍に対する攻撃準備を進めるソ連軍の姿を察知します。
しかしヒトラーは進言された先制攻撃案を聞き流してしまいます。
そしてソ連の「天王星作戦」の前に逆に包囲されてしまった第6軍。
このスターリングラード攻防戦はソ連側の話も多く、なかなか充実しています。
ここで登場するのは「ヒトラー以上のエゴイスト」という陸軍内の評判を持つ、マンシュタインです。
本書は結構マンシュタインに辛辣で、「彼はあまりにも野心と自信が強すぎる」という
ブラウヒッチュの話も紹介しています。
以前から詳細なものを読みたいと思っていた「包囲された第6軍首脳」についても
第14装甲軍団長のフーベなどの各軍団長たちや第51軍団長のザイトリッツ=クルツバッハが
独断で撤退した話など、いろいろ興味深い話が続きます。
第24装甲軍団長のアイベル中将が後退するイタリア軍から手榴弾を投げつけられ、
片足を失った・・という話は特に印象的でした。
マンシュタインの救出作戦「冬の嵐」と第6軍が脱出を図る「雷鳴」作戦。
そしてその一方でソ連軍の「土星作戦」が計画され、独ソ双方の攻守が入り乱れます。
特にマンシュタインとパウルスの疑心暗鬼とも言えそうな、責任のなすり合いと不信感、さらに
空軍の補給が足りないことで、その責任を押し付けようとする両者・・。
心臓萎縮による突然死も多くなり、師団長でさえ、雪原を小銃を発砲しながら戦死。。
自殺や投降する師団長も出るなど、「第6軍の心臓」そのままの状況です。
そんな彼らが家族に書いた手紙が最後の空軍機で運び出されますが、届けられた国民の
反戦気分が高まることを恐れたゲッベルスによって、すべて破棄されてしまいます。
1943年1月、いよいよとなったパウルスは傷病兵への食糧配給を停止。
重傷者は凍死させるため、より風雪が襲う戸口に近いところへ移され、
また、死亡による体温低下を敏感に察知した「シラミ」は、とたんに死者から離れ、
まるで「灰色のじゅうたん」が押し寄せるかの如く、生者に移動した・・。
このような傷病兵には降伏後も悲惨な運命が待ち受けており、
ソ連兵によって地下室にガソリンが注ぎ込まれ、室内の数百人が燃え上がります。。。
4月、ベルリン放送が世界に向けて「カティンの森」事件を放送します。
ドロドロになったポーランド将校数千人の遺体を発掘するのは、もちろんロシア人労働者です。
ポーランドと国際赤十字から代表団が呼ばれ、この虐殺がソ連によるものとして
反ソ宣伝を行いますが、同じ連合軍であるポーランド亡命政府も苦しい立場に立たされます。
この遺体発掘の経緯など、実は初めて読みました。
ドイツ軍の捕虜となっていたウラソフ将軍を担ぎ出して、ソ連軍から脱走兵を誘発させ、
ロシア人部隊を作ろうとする「ウラソフ工作」も詳しく書かれています。
この工作を危惧したソ連側は、ウラソフ暗殺を目論み、内務人民委員部(NKVD)の刑務所で
禁固刑を受けていたカプスチン少佐をウラソフ陣営へスパイとして送り込みますが、
この少佐はペラペラとドイツ軍に、自らこの使命を報告してしまいます。
これは「使命達成が出来ずとも、帰ってきた際には英雄として迎え、大佐に昇進させる」という
NKVDの約束が全く信用できない・・というのが理由です。
1943年の夏と言えば「クルスク大戦車戦」です。
この「ツィタデレ作戦」の実施を悩みに悩むヒトラー・・。一旦は「中止」を命令するものの、
ついに参謀総長ツァイツラーに「決断した」と宣言します。
本書ではその「決断」をさせたのが参謀次長ブルーメントリットによる工作だとしており、
OKHが作戦を管轄する東部、OKWの西部という図式が出来上がったいま、
危惧される地中海方面に戦力を動かすと、ドイツ陸軍の指導権をOKWに掌握されかねない・・
といったことによるものです。
そして始まった「ツィタデレ作戦」。
北部のモーデル率いる第9軍は地雷原の前に思うように進捗しません。
そこで投入したのが新兵器「ゴリアテ」とその大型版ともいえそうな「ボルクヴァルトIV」です。
この「ボルクヴァルトIV」はまったく知りませんでしたが、450㎏の爆薬を積んだ装甲車で、
半径40~50mの地雷をすべて誘爆させられるものですが、
地雷原まで操縦したあと、無線誘導で深入りさせて爆発させるこの兵器、
しばしば運転手が逃げ遅れることもあって、8両のうち4両の運転手が運命を共にしたということです。
南部ではホトの第4装甲軍がハウサー率いる第2SS装甲軍団にハッパを掛けつつ、
「プロホロフカの大戦車戦」を繰り広げますが、シチリア島に英米軍が上陸・・。
海軍総司令官デーニッツは集まっている艦艇300隻を叩きのめすチャンスとばかりに、
イタリア海軍総司令官リカルディに全艦隊の出撃を要請し、威勢の良い返事をもらいます。
しかしイタリア艦隊はいつまでたっても母港に停泊したまま・・。
最後はそのイタリア首相、ムッソリーニに対するクーデターです。
参謀総長アンブロージオを中心に国王や、あのカステッラーノまで登場する
ムッソリーニ逮捕/監禁事件が非常に詳細に書かれています。
新首相バドリオ元帥が誕生すると、ローマ市民も喜びに沸き返ります。
「これで戦争も終わりだ」と喜びすぎた兵士はコニャックを2本を一気飲みして、「即死」・・。
しかし、そのころ、総統護衛主任のオットー・ギュンシェがムッソリーニ救出作戦指揮官候補6人を
ヒトラーに紹介し、選ばれたのは後に「ヨーロッパで最も危険な男」となるスコルツェニーです。
早速、ローマへと旅立ったスコルツェニーは、この地でのゲシュタポ隊長、
カプラーに協力を求めるのでした。
この巻で最も印象的だったのは「スターリングラードのシラミ大移動」の部分です。
まぁ、シラミの大群はおろか、シラミ一匹すら見たことがないヴィトゲンシュタインとしては、
子供の頃、放映される度に家族揃って観せられた、チャールトン"ベンハー"ヘストンの
「黒い絨氈」を思い出しました。。。
この「絨毯」は、人喰い蟻マラブンタの大群ですが、子供には実に嫌な映画でしたねぇ。
精力的に読まれていらっしゃいますねえ。
>「これで戦争も終わりだ」と喜びすぎた兵士はコニャックを2本を一気飲みして、「即死」・・。
ある意味幸せな死に方なのか。
シラミの移動、以前読んだ硫黄島の兵士の方の書いた本にも、「死体から、次に死にそうなやつのところに、音を立てて移動していく」のような記載がありましたが、そんな感じなんでしょうか。スターリングラードの、と付くくらいだからもっと大規模?それとも何かの比喩なのでしょうか。。。。
このシリーズ、読み応えありそうですが、読むほうも大変なんじゃないかと思ってしまいます。
3日程前、地元新聞に、没後66年経って戦死通知がご家族に届いた、あるドイツ兵の方の記事が載っていて(しかも新聞の丸ごと1ページをさいて掲載)びっくりしましたねえ。その方はロシアの戦線に送られていたそうで、家族はとうの昔に生存はあきらめていたようでしたが。。。 いつかブログ記事として紹介したいですけども。あれからずーと、戦後は続いているのですねえ。当たり前ですが。
よい週末をお過ごしください。
by IZM (2011-02-25 19:37)
IZMさん、こんばんわ。
いつも現代ドイツの生々しい情報を提供して下さってありがとうございます。
「シラミ大移動」・・、なんかで読んだ記憶がある・・と思っていましたが、
IZMさんのブログたったのかなぁ?
このヒトラーの戦争10巻、買ったのが去年のGWです。さすがに時間と精神的余裕がないと、挫折するかも・・・・と、タイミングを考えていたので、いまのところは良い感じです。
今日は仕事休みだったので、気合入れがてら床屋行って、伸びた髪の毛をバッサリ。
東京は「春一番」がふいて、20℃超えですよ。
ちょうどいま、録画していた「矢沢永吉 RUN&RUN」というドキュメンタリー
映画観てたトコなんですが、コレはロック少年だった(小学3年のとき黒にゴールドの「E.YAZAWA」Tシャツ着てが学校行ってた)自分が銀座の映画館でロードショー観に行ったヤツなんです。
切符売り場のおばちゃんが小学生の子供料金を認めてくれなくて、押し問答したことをいまだに覚えています。
ぜんぜん関係ない話でスイマセン・・。もう、だいぶ酔っ払ってるし・・。
p.s.小学生用の「E.YAZAWA」Tシャツはさすがに当時も売っていませんでした。お隣の洋服屋さんで詰めてもらったんですが、本来、胸に来る「E.YAZAWA」ロゴが、お腹にきてしまいました。。。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-02-25 20:46)