帰れなかったドイツ兵 -太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵- [ドイツ海軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
新井 恵美子 著の「帰れなかったドイツ兵」を読破しました。
amazonでは、結構な量の「独破戦線」的な本を購入しているにもかかわらず、
なかなか大事な新刊本が「おすすめリスト」に反映されません。
それだけが理由じゃありませんが、自分は神○町の古書店巡りに繰り出した際には
「書泉グラ○デ」の軍事書籍売り場には必ず立ち寄り、新刊本などをチェックしたり、
チラリと立ち読み(独自の1分ルール!)もしてみたりと地道に努力しています。
本書はそんな時に見つけた一冊で、このブログの常連さんにもコメントいただいたので
仕事帰りに購入してみました。
昭和17年11月30日、横浜港に係留されていたドイツ海軍の3隻、
重油を積んできたタンカー「ウッケルマルク号」と仮装巡洋艦「トオル(トール)号」、
その「トオル号」に拿捕されてきた「ロイテン号」が次々と爆発/炎上し、
ドイツ兵61名を含む、102名もが犠牲になった事件と、その後を描いたものです。
日本の戦記と太平洋戦争をまったく読まない自分としては、昭和17年11月と書かれても
今ひとつピンと来ませんが、西暦に直すと1942年11月・・、
ヨーロッパではドイツ第6軍がスターリングラードで包囲されたころのことですね。
この爆発の原因については今でも不明なようで、本書でも、当時は「スパイによるもの」
という噂があったようですが、個人的には「単なる事故」という印象です。
これは単純に、もし連合軍による破壊活動だったのであれば、
キッチリとあげたこのような戦果は発表していると思うからです。
本書は200頁というあっという間に読み終わってしまうものなので、
あまり詳細なエピソードは書きませんが、
メインとなるのは箱根の旅館「松坂屋」に送られ4年もの間を過ごす130名のドイツ兵たちと
疎開してきた子供たちや19歳の女先生とのホノボノした心温まる交流。
そして旅館の息子「ススム」が遂に出兵となったとき、
整列したドイツ兵が「必ず生きて帰って来いよ!」と口々に声をかけるシーンなどは
簡単に「うぅ・・」となってしまいました。
その他にも日本人の口には合わない黒パンや若干ウン○臭いソーセージ作り、
工業用アルコールであるメチルアルコールを酒代わりにという
「目散るアルコール」や「命散るアルコール」と当時の日本でも呼ばれていた話など。。
やがて時は過ぎ、平成になるとドイツで仕事も既にリタイアした彼らが再び箱根を訪れます。
本書の大きなテーマのひとつに、戦時中の名曲として良く知られる
「リリー・マルレーン」が取り挙げられています。
ドイツ兵たちがことあるごとに見事な歌声で合唱するこの歌に
箱根の人々も共感を覚えます。
これは子供の頃から知っている好きな曲でしたので、非常に興味深く読めました。
なんで知っているかは自分でも良くわかりません。。。
多分、映画で流れている曲が耳に残ったんだと思いますが、
どの映画の、誰のバージョンなのかも未だにわからないままです。
日本では、ドイツ人ながらナチ嫌いでハリウッドで活躍した名女優、
マレーネ・ディートリッヒのバージョンが良く知られているそうですが、
今回、気になっていろいろ聞き比べてみましたが、
自分の子供の頃に聞いたバージョンは、オリジナルのララ・アンデルセンのもののようです。
これもいくつかのバージョンがあるようですが、
行進曲調の「リリー・マルレーン」を紹介しておきます。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
それにしてもマレーネ・ディートリッヒは、古今東西、
世界一"煙草"の似合う女性ですね。
豪華でエレガントな女性らしいヘア・スタイルの写真より、
このような男前っぷりがなんといっても最高です。
また、前半の「トオル号」が盛大に迎えられ、上陸後は
いわゆる当時のJAPANツアー・・、グンプリッヒ艦長らが天皇に拝謁し、
銀座の歌舞伎座で「勧進帳」や「鏡獅子」を鑑賞するという話は、
自分も幼少の頃、歌舞伎座で「鏡獅子」を鑑賞させられるという家系育ちなので
なんともドイツ軍を身近に感じた一冊にもなりました。
新井 恵美子 著の「帰れなかったドイツ兵」を読破しました。
amazonでは、結構な量の「独破戦線」的な本を購入しているにもかかわらず、
なかなか大事な新刊本が「おすすめリスト」に反映されません。
それだけが理由じゃありませんが、自分は神○町の古書店巡りに繰り出した際には
「書泉グラ○デ」の軍事書籍売り場には必ず立ち寄り、新刊本などをチェックしたり、
チラリと立ち読み(独自の1分ルール!)もしてみたりと地道に努力しています。
本書はそんな時に見つけた一冊で、このブログの常連さんにもコメントいただいたので
仕事帰りに購入してみました。
昭和17年11月30日、横浜港に係留されていたドイツ海軍の3隻、
重油を積んできたタンカー「ウッケルマルク号」と仮装巡洋艦「トオル(トール)号」、
その「トオル号」に拿捕されてきた「ロイテン号」が次々と爆発/炎上し、
ドイツ兵61名を含む、102名もが犠牲になった事件と、その後を描いたものです。
日本の戦記と太平洋戦争をまったく読まない自分としては、昭和17年11月と書かれても
今ひとつピンと来ませんが、西暦に直すと1942年11月・・、
ヨーロッパではドイツ第6軍がスターリングラードで包囲されたころのことですね。
この爆発の原因については今でも不明なようで、本書でも、当時は「スパイによるもの」
という噂があったようですが、個人的には「単なる事故」という印象です。
これは単純に、もし連合軍による破壊活動だったのであれば、
キッチリとあげたこのような戦果は発表していると思うからです。
本書は200頁というあっという間に読み終わってしまうものなので、
あまり詳細なエピソードは書きませんが、
メインとなるのは箱根の旅館「松坂屋」に送られ4年もの間を過ごす130名のドイツ兵たちと
疎開してきた子供たちや19歳の女先生とのホノボノした心温まる交流。
そして旅館の息子「ススム」が遂に出兵となったとき、
整列したドイツ兵が「必ず生きて帰って来いよ!」と口々に声をかけるシーンなどは
簡単に「うぅ・・」となってしまいました。
その他にも日本人の口には合わない黒パンや若干ウン○臭いソーセージ作り、
工業用アルコールであるメチルアルコールを酒代わりにという
「目散るアルコール」や「命散るアルコール」と当時の日本でも呼ばれていた話など。。
やがて時は過ぎ、平成になるとドイツで仕事も既にリタイアした彼らが再び箱根を訪れます。
本書の大きなテーマのひとつに、戦時中の名曲として良く知られる
「リリー・マルレーン」が取り挙げられています。
ドイツ兵たちがことあるごとに見事な歌声で合唱するこの歌に
箱根の人々も共感を覚えます。
これは子供の頃から知っている好きな曲でしたので、非常に興味深く読めました。
なんで知っているかは自分でも良くわかりません。。。
多分、映画で流れている曲が耳に残ったんだと思いますが、
どの映画の、誰のバージョンなのかも未だにわからないままです。
日本では、ドイツ人ながらナチ嫌いでハリウッドで活躍した名女優、
マレーネ・ディートリッヒのバージョンが良く知られているそうですが、
今回、気になっていろいろ聞き比べてみましたが、
自分の子供の頃に聞いたバージョンは、オリジナルのララ・アンデルセンのもののようです。
これもいくつかのバージョンがあるようですが、
行進曲調の「リリー・マルレーン」を紹介しておきます。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
それにしてもマレーネ・ディートリッヒは、古今東西、
世界一"煙草"の似合う女性ですね。
豪華でエレガントな女性らしいヘア・スタイルの写真より、
このような男前っぷりがなんといっても最高です。
また、前半の「トオル号」が盛大に迎えられ、上陸後は
いわゆる当時のJAPANツアー・・、グンプリッヒ艦長らが天皇に拝謁し、
銀座の歌舞伎座で「勧進帳」や「鏡獅子」を鑑賞するという話は、
自分も幼少の頃、歌舞伎座で「鏡獅子」を鑑賞させられるという家系育ちなので
なんともドイツ軍を身近に感じた一冊にもなりました。
ここで紹介されたいたので興味を持ったのですが、古本で見つけて買ってみたらすごく良い本でした。
上で述べられている話も素敵ですが、空襲に備えて溜池を作らせたらきっちり測量と設計までやってしまうエピソードや、アルコールが原因で死んだだけなのに「君は戦士だった」とスピーチするくだりがお気に入りです。
映画か連続ドラマにもできそうな内容だなと思いましたね。
by saizwong (2015-03-23 13:47)
おっと、コレは懐かしいですね。
5年前ですけど、よく覚えています。再読しようかな??
>映画か連続ドラマにもできそうな内容だなと
仰る通りですね。
日本とドイツ兵だと第一次大戦時の「バルトの楽園」という映画がありますが(未見です)、でも第二次大戦は果たしてどうなんでしょうかね??
ドイツ海軍といえども、20世紀の悪魔と呼ばれるヒトラーに忠誠を誓った連中であり、そんな彼らがしゃあしゃあと箱根で日本人と仲良くしていたなんてストーリーは、実はボクらが考えているより遥かにインパクトがあって、R18指定になっちゃうのかも・・。
日本がナチスと同盟だったなんて、今の若い子は知らなかったりするようですからねぇ。戦後70年の日本にとっては忘れたい過去といったところでしょうか。。
by ヴィトゲンシュタイン (2015-03-23 18:36)
大変興味深く読ませてもらいました。(ご紹介の本はまだです)
仮装巡洋艦の話はよく他界した父に聞かされました。
何故なら、父は戦時中はドイツ総領事館で通訳官として終戦まで過ごしたそうで、U-ボート、仮装巡洋艦などが日本に来たとき通訳として働いていました。今でも当時のナチ手帳や外務省発行の身分証明書、ヒトラーからのFAXみたいな文章などを保管しています、小生も父の影響で比較的ドイツびいきです。その中で大和特攻作戦時に日本に来航していたドイツ仮装巡洋艦が大和出撃後を追いかけて沖縄特攻に参戦した事を聞かされました、それは父が無線で阻止したようですが、ダメだったようです。父の話ですとシュネービント号と言ってましたがドイツ仮装巡洋艦の記録では見つけられませんでした、もしかすると艦長名だったのかも?
時間をかけて調べてはみますが、
近くご紹介の本を探して見たいものです。保存している写真の人物達が見つけられるかも。
長文になり失礼しました。
by AKIRA ISHII (2016-08-17 21:54)
AKIRA ISHII さん。大変に興味深いお話、ありがとうございます。
さて、「シュネービント号、もしかすると艦長名だったのかも?」。
なんとなく聞き覚えのある様な気がしましたが、Uボート艦長のシュネーヴィント大尉(Fritz Schneewind)にも思えます。
自分の知っていることを本を紹介しながら整理してみます。
1943年3月、ヒトラー、リッベントロップ、大島大使の3者会談で、 突然ヒトラーがデーニッツらとの打ち合わせもなく、U-ボート2隻を寄贈すると言い出し、野村中将はこの第1号である、U-511で帰国することとなり、この大役を務める艦長がシュネーヴィントで、無事に呉に辿り着くと、 「呂-500」という日本の潜水艦になります。
(江尻 進 著「ベルリン特電」 http://ona.blog.so-net.ne.jp/2013-03-15 )
シュネーヴィントはその後、ペナンを基地とし、通商破壊戦を行うと同時に、南方資源の輸送する「モンスーン戦隊」でU-183の艦長となりますが、ジャワ海で米潜水艦によって撃沈され戦死します。時は1945年4月23日。
(吉村 昭 著「深海の使者」 http://ona.blog.so-net.ne.jp/2014-04-25 )
これ以上は完全な推測になりますが、まず「シュネービント号」は仮装巡洋艦ではなく、「U-183」だった可能性があります。そして大和出撃後を追いかけて沖縄特攻に参戦した数日後に撃沈された。
または記録には無いものの、シュネーヴィント自身が、とある仮装巡洋艦
の艦長となり、実際に出撃した・・。
ドイツからしてみれば、降伏直前の出来事であり、遥か遠方の地での軍務記録がドコまで正確なのか?? は疑問になります。
以上、少しでもご参考になれば幸いです。
by ヴィトゲンシュタイン (2016-08-18 01:15)