SSブログ

電撃戦 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レン・デイトン著の「電撃戦」を読破しました。

英国のスパイ小説の巨匠、レン・デイトン、1979年のノンフィクションです。
デイトンを読むのは自分が若かりし頃、スパイ小説を読破していた時以来で
当時は「SS-GB」や「ベルリン・ゲーム」などを読んでいました。

電撃戦.JPG

原題はドイツ語の「ブリッツクリーク」で、日本語でいうところの、
この「電撃戦」という言葉を誰が始めて使ったのか・・も、検証しています。
まぁ、ヒトラー説など諸説あるようですが、リデル・ハートが「ライトニング・ウォー」と
書いたのが最初という話もあるようです。

序文を書くのはヴァルター・ネーリングです。
1920年代のグデーリアン少佐との初めての出会いから、1940年のフランス戦で
そのグデーリアン装甲軍団の参謀長を務めた彼が、簡潔に7ページほど書いていますが、
このまま100ページくらい続けて欲しい・・と思ってしまいました。

Walther Nehring9.jpg

基本的に「電撃戦」とはなんだったのか?、また、「電撃戦」の定義は?という観点から
フランス戦役が語られるのかと思っていましたが、本書は第一次大戦の戦い・・
当時の登場した戦車、戦闘機などを含む新兵器を用いた戦術解説から始まります。

続いて、ヒトラーの台頭から軍事力発展、グデーリアンの装甲部隊創設・・と続いていきますが、
これは原著の副題「ヒトラーの出現からダイケルク陥落まで」ということを
知っておく必要があるでしょう。

Guderian41.jpg

フランス戦そのものも大事ですが、どのようにしてこの電撃戦が生まれるに至ったのか
ということを掘り下げており、それを理解するためにその時代ごとの英国、フランス、ドイツの
戦術ついての考え方を細かく取り挙げています。

このような展開となる本書は序盤、ヒトラーがブロムベルクと国防軍を改造して行く
過程が語られますが、国防省大臣局長フォン・ライヒェナウが大きく紹介されています。
曰く「冷徹周到で、指導力もあり、知的な点でブロムベルクを凌ぎ、
リデル・ハート大尉の数冊の著書のドイツ語訳まで行う機動戦の提唱者」。

Von Reichenau.jpg

1934年、ブロムベルクは陸軍総司令官に旧友ライヒェナウを押しますが、
ナチ寄りの彼の元で働くことを嫌がった2人の軍団司令官、フォン・レープ
ルントシュテットの反対により、妥協の産物としてフリッチュが任命されたということです。

Von Leeb.jpg

ヒトラーのユダヤ人迫害政策について著者のデイトンは、自身の見解を述べています。
「もしユダヤ人迫害がなければ、1930年代後半には核弾頭とそれを運ぶV2ロケットが完成し、
ドイツは世界を征服していたかもしれない・・」。
これは勿論、彼らユダヤ人が「新兵器」開発に大きく寄与しただろう・・という意味です。

やられてしまった側の英仏連合軍に対しても、その充分な要因があり、
特に政治問題と腰の引けた政策を辛辣に批判しています。
1938年のチェコでの危機の際、英国首相チェンバレンがミュンヘンを訪れます。
これを「日曜学校の先生にアル・カポネとの取引を頼むようなもの」として
偉大な政治家として名を残す契機とばかり乗り込んだチェンバレンは
あっさり、ヒトラーの副官に成り下がってしまったとまで書いています。

von Ribbentrop, Neville Chamberlain, Adolf Hitler.jpeg

1939年のポーランド戦、一般的にはこの戦いも「電撃戦」と言われたりもしますが、
(最近、「ポーランド電撃戦」という本も出ましたね)
その作戦立案を行ったルントシュテット作業班~事実上ルントシュテットは2人の部下、
マンシュタインブルーメントリットに任せきり~の様子から、その実際の作戦と
戦いの推移に至るまでを検証して、この戦役は古典的な包囲戦であり、
機甲部隊の分散配置やその少なさからも「電撃戦ではない」と結論しています。

Günther Alois Friedrich Blumentritt.jpg

武装SSについても書かれています。興味深いのは1940年5月の時点で
5名のアメリカ人義勇兵がいた・・というところですね。

そしていよいよ「電撃戦」の様子が北から進んで行きます。
オランダへの作戦では、降下猟兵による各橋の確保の重要性が解説されます。
こうやって考えてみると、後にモントゴメリーが編み出した
マーケット・ガーデン作戦」の序章とでも言うべき作戦だった気もしました。

ベルギーのエーベン・エメール要塞への空挺作戦も、その要塞なるものの真実・・
重歩兵装備も、高射砲も、輸送手段もなく、あるのは時代遅れの攻城砲だけで、
訓練も受けていない年配者のよる「要塞師団」で、
その名もコンクリートに閉じ込められている部隊の体の良い別称に過ぎなった・・。

ebenemael.jpg

フランスへの侵攻が始まるとグデーリアンの装甲軍団を中心に、
ロンメルの第七装甲師団も活躍します。
ここでも有名な88mm高射砲の話・・窮地に立ったロンメルがとっさのアイデアで、
対戦車砲として初めて水平射撃を行った逸話に触れ、徹甲弾が有ったということは、
はじめからそのような使用方法が想定されていた・・という
言われてみれば当たり前のことですね。

88-mm-flak-18-with-36-kills.jpg

急降下爆撃機(Ju 87)が英仏軍に与えた心理的効果は大変大きく、
特にその降下の際に発せられる独特の音は、それだけで戦意を喪失させたほどで、
グデーリアンの参謀長ネーリングは、空軍に対し、爆弾が無くなっても新手が到着するまで
敵の頭上で急降下を繰り返すよう進言したそうです。

A swarm of Junkers Ju 87 Stuka dive bombers.jpg

これは過去においての攻撃戦術、つまり、歩兵や騎兵の突撃を支援する「砲兵の役目」を
「電撃戦」では急降下爆撃機が担ったということであり、
また、英国の3.7インチ砲が10㌧以上も重量があるのに対して、ドイツの88mm砲は
その半分であったことから、牽引のスピードにも違いがあったでしょう。

本書はグデーリアンによって発展させられたこの戦術の定義、
「速やかで不意打ち的な軍事攻撃で、通常、空・陸両軍の協同作戦で行われる」を
このような様々な角度と要因から分析し、その戦力差よりも
第一次大戦以来となる、双方の心理的問題が大きかったという印象を持ちました。

guderian-en-ardennes-en-mai-1940.jpg

実際、ドイツ軍戦車による英仏軍の死傷者は、わずか5%ほどであったとしています。
これは軽戦車のⅠ号、Ⅱ号戦車であっても、それらの集中的な使用とスピードによって
慌てふためき後方へ逃げ出した兵士たちの報告が誇張に誇張を呼び、
ドイツ戦車と急降下爆撃機の数は千単位で増えていったからとしています。

最後はダンケルク。英国の「ダイナモ作戦」による撤退の様子が詳しく書かれており、
特にこの作戦にほとんど貢献の出来なかった英国空軍の話が印象的です。
救出された大陸派遣軍の陸軍兵士たちは、命がけで救出してくれた海軍には
大いに感謝したものの、姿を現さなかった空軍のブルーの制服の兵士が、
その後何ヶ月もダンケルクの生き残りたちから暴行を受けたりしたそうです。

dailysketch-dunkirk.jpg

デイトンの小説家としての展開力もあってか、500ページの本書で
いよいよアルデンヌの森を突破・・となる場面は320ページからです。
しかし、予想以上に深く、広い視野で見た一冊で、
この「フランス戦役のみであった電撃戦」という結論も納得のいくものでした。

昔から知っている作家なので、彼に敬意を評してノンフィクションのもう一冊、
バトル・オブ・ブリテンを描いた「戦闘機」と
小説ながら面白そうな「爆撃機」も買ってしまいました。


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