ドイツのロケット彗星 -Me163実験飛行隊、コクピットの真実- [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ヴォルフガング・シュペーテ著の「ドイツのロケット彗星」を読破しました。
メッサーシュミットの「コメート」といえば、世界初(唯一?)のロケット推進による
戦闘機として、それなりに知られていると思います。
本書はそのコメート開発とテスト・パイロットたちの数限りない実験飛行の様子、
そして著者であり実験飛行隊の指揮官でエース・パイロットでもある
シュペーテ自身の終戦までの戦いの記録でもあります。

1942年4月、東部戦線で70機以上の撃墜記録を持つシュペーテは、
ベルリンの戦闘機隊総監ガーランドのもとへ出頭するよう命令を受け、
その場で、新設のEK16(Me163実験飛行隊)の指揮官に任ぜられます。
この最後まで登場するガーランドの最初の印象は面白く、例えば、
「トレードマークの口ひげは上唇の傷を隠すためのようだ・・。」

続いて柏葉騎士十字章受章のため、総統本営を訪れたシュペーテは
高官たちとの食事の席で、ヒトラーに自らの任務を説明することになります。
ここでロケットについての質問に答えたのは、ゲーリングではなく、SS長官ヒムラーで
ダッハウでの囚人を利用した気圧減少の実験について語っています。
この開発の初期は機体となるグライダーの設計者リピッシュと
ロケットエンジンを開発するヴァルター双方の納期の遅れや
イマイチ乗り気でないメッサーシュミット教授と、開発チームたちの態度に
シュペーテのイライラも最高潮に達しています。

バルト海にある極秘の基地ペーネミュンデでは「V2」の発射実験も行われており、
そのV2ロケットが100mの高度から突然、こちらに向かってきたという話は結構、笑えました。
エンジン5基を積んだ怪物のようなHe-111Z、2機が忽然と姿を消してしまったそうです。

いよいよ試作機も完成し、同僚のパイロットたちと試験飛行を繰り返します。
ここで、ジェット戦闘機であるMe262もテストすることになったシュペーテは
すぐさまその素晴らしさをガーランドに伝え、総監自身も試してみるよう進言します。
これは「始まりと終り」にあった話ですねぇ。
そしてシュペーテは、このジェット戦闘機の実戦投入が遅れた理由が
ヒトラーにあるとされていることを浅薄であるとして異議を唱え、
Me262がヒトラーの要望どおりに高速爆撃機(ブリッツボンバー)として
早期に大量生産されていたら戦局は変わっていたかも知れない・・としています。

1943年3月のルフトヴァッフェ最大の航空展示会でシュペーテは、
ゲーリングに高速で飛行するMe163の性能について傍らで解説します。
しかし第一次大戦後の段階で理解力が停止しているゲーリングは、
目の前で起こっていることが理解出来ず、「もっと遅く飛べんのか?」と怒る始末・・。
他の高官の前で空軍最高司令官の無知を
暴露するわけにもいかないシュペーテも絶体絶命のピンチです。

その年の暮れになると実戦用のMe163B「ベルダ」が完成し、いざ初飛行となると、
一年前にコメートで事故を起こしたハンナ・ライチュが「私を乗せろ!」と登場してきます。
シュペーテ曰く「ハンナは色情狂と同じで新型機を見ると忽ち興奮し、
乗らないと気がすまない」という、まったく厄介な女性であり、
パイロットとしての能力についても疑問視しています。
ヒトラーとゲーリング、ヒムラーまでもバックにつけた、まさに傲慢なわがまま女・・。
いや~、ハンナ・ライチュがここまで悪く書かれているのをはじめて読みました。。
まぁ、いつの時代も女性は魔物ですね。。

1944年5月、EK16は「JG400」として戦闘部隊の体制を整え、
迎撃に向かいますが、シュペーテの乗機は目にも鮮やかなトマト色に・・。
これは「レッド・バロン」リヒトホーフェンを真似た、部下たちのサービスでしたが、
シュペーテには通じなかったようで、怒りをあらわにしています。

結局、コメートは多少の戦果は挙げたものの、燃料不足も手伝って
「JG400」は解散となり、パイロットたちはガーランドの第44戦闘団と同様、
ジェット戦闘機で最後まで戦った第7戦闘航空団に合流し、Me262で戦うことになります。

非常に貴重な写真も(事故による入院生活・・美人看護婦と戯れ、
機外脱出は正解だったいう写真まで)多く掲載された230ページの本書は
ゴードン・ゴロップ大佐が突然やってきて、練習飛行を拒否し、
無理やりコメートを飛ばしたりと登場人物とエピソードが豊富です。

以前から知っていた本書でしたが、内容が若干専門的なのかな?と勝手に想像し、
購入に二の足を踏んでいましたが、意外と気軽に楽しめるものでした。
朝日ソノラマ/航空戦史シリーズの「ロケット・ファイター」も読んでみますかねぇ。
ヴォルフガング・シュペーテ著の「ドイツのロケット彗星」を読破しました。
メッサーシュミットの「コメート」といえば、世界初(唯一?)のロケット推進による
戦闘機として、それなりに知られていると思います。
本書はそのコメート開発とテスト・パイロットたちの数限りない実験飛行の様子、
そして著者であり実験飛行隊の指揮官でエース・パイロットでもある
シュペーテ自身の終戦までの戦いの記録でもあります。
1942年4月、東部戦線で70機以上の撃墜記録を持つシュペーテは、
ベルリンの戦闘機隊総監ガーランドのもとへ出頭するよう命令を受け、
その場で、新設のEK16(Me163実験飛行隊)の指揮官に任ぜられます。
この最後まで登場するガーランドの最初の印象は面白く、例えば、
「トレードマークの口ひげは上唇の傷を隠すためのようだ・・。」

続いて柏葉騎士十字章受章のため、総統本営を訪れたシュペーテは
高官たちとの食事の席で、ヒトラーに自らの任務を説明することになります。
ここでロケットについての質問に答えたのは、ゲーリングではなく、SS長官ヒムラーで
ダッハウでの囚人を利用した気圧減少の実験について語っています。
この開発の初期は機体となるグライダーの設計者リピッシュと
ロケットエンジンを開発するヴァルター双方の納期の遅れや
イマイチ乗り気でないメッサーシュミット教授と、開発チームたちの態度に
シュペーテのイライラも最高潮に達しています。

バルト海にある極秘の基地ペーネミュンデでは「V2」の発射実験も行われており、
そのV2ロケットが100mの高度から突然、こちらに向かってきたという話は結構、笑えました。
エンジン5基を積んだ怪物のようなHe-111Z、2機が忽然と姿を消してしまったそうです。

いよいよ試作機も完成し、同僚のパイロットたちと試験飛行を繰り返します。
ここで、ジェット戦闘機であるMe262もテストすることになったシュペーテは
すぐさまその素晴らしさをガーランドに伝え、総監自身も試してみるよう進言します。
これは「始まりと終り」にあった話ですねぇ。
そしてシュペーテは、このジェット戦闘機の実戦投入が遅れた理由が
ヒトラーにあるとされていることを浅薄であるとして異議を唱え、
Me262がヒトラーの要望どおりに高速爆撃機(ブリッツボンバー)として
早期に大量生産されていたら戦局は変わっていたかも知れない・・としています。

1943年3月のルフトヴァッフェ最大の航空展示会でシュペーテは、
ゲーリングに高速で飛行するMe163の性能について傍らで解説します。
しかし第一次大戦後の段階で理解力が停止しているゲーリングは、
目の前で起こっていることが理解出来ず、「もっと遅く飛べんのか?」と怒る始末・・。
他の高官の前で空軍最高司令官の無知を
暴露するわけにもいかないシュペーテも絶体絶命のピンチです。

その年の暮れになると実戦用のMe163B「ベルダ」が完成し、いざ初飛行となると、
一年前にコメートで事故を起こしたハンナ・ライチュが「私を乗せろ!」と登場してきます。
シュペーテ曰く「ハンナは色情狂と同じで新型機を見ると忽ち興奮し、
乗らないと気がすまない」という、まったく厄介な女性であり、
パイロットとしての能力についても疑問視しています。
ヒトラーとゲーリング、ヒムラーまでもバックにつけた、まさに傲慢なわがまま女・・。
いや~、ハンナ・ライチュがここまで悪く書かれているのをはじめて読みました。。
まぁ、いつの時代も女性は魔物ですね。。

1944年5月、EK16は「JG400」として戦闘部隊の体制を整え、
迎撃に向かいますが、シュペーテの乗機は目にも鮮やかなトマト色に・・。
これは「レッド・バロン」リヒトホーフェンを真似た、部下たちのサービスでしたが、
シュペーテには通じなかったようで、怒りをあらわにしています。

結局、コメートは多少の戦果は挙げたものの、燃料不足も手伝って
「JG400」は解散となり、パイロットたちはガーランドの第44戦闘団と同様、
ジェット戦闘機で最後まで戦った第7戦闘航空団に合流し、Me262で戦うことになります。

非常に貴重な写真も(事故による入院生活・・美人看護婦と戯れ、
機外脱出は正解だったいう写真まで)多く掲載された230ページの本書は
ゴードン・ゴロップ大佐が突然やってきて、練習飛行を拒否し、
無理やりコメートを飛ばしたりと登場人物とエピソードが豊富です。

以前から知っていた本書でしたが、内容が若干専門的なのかな?と勝手に想像し、
購入に二の足を踏んでいましたが、意外と気軽に楽しめるものでした。
朝日ソノラマ/航空戦史シリーズの「ロケット・ファイター」も読んでみますかねぇ。
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