焦土作戦 -独ソ戦史- (中) [戦記]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
パウル・カレル著の「焦土作戦 (中)」を再度読破しました。
この中巻では、まずは1942年~43年の冬にかけて、
スターリングラードで第6軍が包囲/壊滅への道を歩んでいるその時、
その他の戦線での状況を北方軍集団から描きます。
バルバロッサ作戦における北翼の焦点、レニングラードは
1941年9月なかばにヒトラーよって戦闘中止命令が出され、
兵糧攻めで餓死させるための包囲に留まっていました。
そして1943年1月、ソ連軍がレニングラートと陸路連絡をつけるための
ラドガ湖南岸への攻勢に出ます。
この攻勢に対し、反撃に出たのがSS警察師団とスペインの青師団という
なかなか戦記に登場しない、珍しい部隊です。
いや~、実に勉強になりました。
再度の包囲から逃れるデミヤンスクからの撤退作戦も
12個師団が10日間で整然と撤退する様子が戦況図とともに
わかりやすく語られていますし、
モーデル元帥の第9軍によるルジェフからの撤退「水牛作戦」も同様です。
こちらでは特にロンメルが北アフリカで考案した「悪魔の園」を
さらに進化させた地雷作戦が書かれています。
ソ連軍の急追を凌ぐため、工兵がありとあらゆるものに地雷を仕掛け、
その結果、ソ連軍には恐慌が生じ、その前進を見事に拒んだそうです。
この時期、ドイツ軍の包囲陣地にはスターリングラードで捕虜となり、
反ヒトラーの「NKFD」としてソ連の協力者となったザイトリッツ=クルツバッハ将軍の
降伏勧告ビラ攻勢も展開されています。
しかし、前線の兵士たちからしてみれば特別有名な将軍というほどでもなく、
大した効果はなかったそうな・・・。
このような戦局の後に1943年の泥濘期を向かえ、東部戦線は安定し
その夏、クルスクへの「ツィタデレ作戦」が発動されることになるわけですが、
その結果はすでに上巻に述べられていたとおりです。
そしてソ連軍のカウンターアタックのような大反攻が始まり、
マンシュタインによるヒトラーへのドニエプル河への撤退進言となって
それが「撤退の際には何も残すな」という、
いわゆる「焦土作戦」といった本書のタイトルへと繋がって行くことになります。
まぁ、でも「焦土作戦」というものが、別にヒトラーの発明品ではないことは
みなさんご存知だと思います。
撤退の際、大量のコニャックにポートワイン、イタリアのキャンティを
シッカリと確保して行ったドイツ軍は、誰もロシアの地酒「ウォッカ」には目もくれず、
その結果、追撃してきたソ連軍は、まんまと足止めを喰ことになります。
それらのウォッカを飲み干すのに、まる2日掛かったからということです。。
これは他の本でも酒を残して足止めさせるという、ある意味、戦術として
ベルリン陥落まで使われた手段だったと思います。
しかし「ベルリン終戦日誌」では、ソ連兵は酔っ払っていなければ女性を暴行しないとして
女性の立場からは、その戦術を非難していましたね。
この中巻はあまり知らない(憶えていない?)戦役が多くて新鮮に楽しめました。
そして下巻には何回も読み直した大好きな「アレ」が出てくるので、
段々テンションが上がってきます。。。
パウル・カレル著の「焦土作戦 (中)」を再度読破しました。
この中巻では、まずは1942年~43年の冬にかけて、
スターリングラードで第6軍が包囲/壊滅への道を歩んでいるその時、
その他の戦線での状況を北方軍集団から描きます。
バルバロッサ作戦における北翼の焦点、レニングラードは
1941年9月なかばにヒトラーよって戦闘中止命令が出され、
兵糧攻めで餓死させるための包囲に留まっていました。
そして1943年1月、ソ連軍がレニングラートと陸路連絡をつけるための
ラドガ湖南岸への攻勢に出ます。
この攻勢に対し、反撃に出たのがSS警察師団とスペインの青師団という
なかなか戦記に登場しない、珍しい部隊です。
いや~、実に勉強になりました。
再度の包囲から逃れるデミヤンスクからの撤退作戦も
12個師団が10日間で整然と撤退する様子が戦況図とともに
わかりやすく語られていますし、
モーデル元帥の第9軍によるルジェフからの撤退「水牛作戦」も同様です。
こちらでは特にロンメルが北アフリカで考案した「悪魔の園」を
さらに進化させた地雷作戦が書かれています。
ソ連軍の急追を凌ぐため、工兵がありとあらゆるものに地雷を仕掛け、
その結果、ソ連軍には恐慌が生じ、その前進を見事に拒んだそうです。
この時期、ドイツ軍の包囲陣地にはスターリングラードで捕虜となり、
反ヒトラーの「NKFD」としてソ連の協力者となったザイトリッツ=クルツバッハ将軍の
降伏勧告ビラ攻勢も展開されています。
しかし、前線の兵士たちからしてみれば特別有名な将軍というほどでもなく、
大した効果はなかったそうな・・・。
このような戦局の後に1943年の泥濘期を向かえ、東部戦線は安定し
その夏、クルスクへの「ツィタデレ作戦」が発動されることになるわけですが、
その結果はすでに上巻に述べられていたとおりです。
そしてソ連軍のカウンターアタックのような大反攻が始まり、
マンシュタインによるヒトラーへのドニエプル河への撤退進言となって
それが「撤退の際には何も残すな」という、
いわゆる「焦土作戦」といった本書のタイトルへと繋がって行くことになります。
まぁ、でも「焦土作戦」というものが、別にヒトラーの発明品ではないことは
みなさんご存知だと思います。
撤退の際、大量のコニャックにポートワイン、イタリアのキャンティを
シッカリと確保して行ったドイツ軍は、誰もロシアの地酒「ウォッカ」には目もくれず、
その結果、追撃してきたソ連軍は、まんまと足止めを喰ことになります。
それらのウォッカを飲み干すのに、まる2日掛かったからということです。。
これは他の本でも酒を残して足止めさせるという、ある意味、戦術として
ベルリン陥落まで使われた手段だったと思います。
しかし「ベルリン終戦日誌」では、ソ連兵は酔っ払っていなければ女性を暴行しないとして
女性の立場からは、その戦術を非難していましたね。
この中巻はあまり知らない(憶えていない?)戦役が多くて新鮮に楽しめました。
そして下巻には何回も読み直した大好きな「アレ」が出てくるので、
段々テンションが上がってきます。。。
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