SSブログ

母さん もう一度会えるまで -あるドイツ少年兵の記録- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴァルター・ティレマン著の「母さん もう一度会えるまで」を読破しました。

概要を簡単に説明するのが難しい一冊です。
数奇な運命により、1941年のモスクワ近郊の前線で
わずか9歳にしてドイツ国防軍の一等兵となった少年の物語です。

母さん もう一度会えるまで.JPG

ロシアのパルチザン少年、ヴァロージャは前線のドイツ軍の偵察任務に赴きますが、
恐怖と寒さ、そして飢えも手伝って、あっさりドイツ軍の手に落ちてしまいます。
しかし彼の両親は1933年のヒトラー政権樹立と共にモスクワへ亡命したドイツ人であり、
その両親ともNKVDによって逮捕され、行方不明になっていることが判明すると
この第106歩兵師団に属する中隊と共にすることとなり、
部隊が本国へ帰還する暁には、親類のもとへ送り届けようということになります。

こうして「ヴァルター」と呼ばれるようになった少年は、面倒を見る任務を与えられた
27歳のヴィリー・ハイネ軍曹からドイツ語を学び、伝令兼通訳として
特別あつらえの軍服とブーツ、「殺すなかれ」と刻まれた木製の拳銃に身を固め、
中隊のマスコットとして彼らと友情を育んで行きます。

Cat on boot.jpg

春になると部隊はフランスのパ・ド・カレー近郊へ移動となり、
ここでは隠れて聞いた西側のラジオ放送でグレン・ミラー少佐の
スウィング・ジャズに胸を躍らせます。
ヴァルターも「イン・ザ・ムード」なんかが好きだったんでしょうか?


歓楽街の娼婦たちからもチヤホヤされ、自転車を習ったりと楽しい日々が続きますが、
彼の親類がボンにいることが判明すると、
大親友となったヴィリー軍曹と帰郷することになります。

miller_at_open_air_concert.jpg

しかし見ず知らずの親類の元へ行く不安がヴァルターの心を襲い、
ヴィリーとの別れは実に切ないものです。
こういうのにはヴィトゲンシュタインは異常に弱く、すぐに涙目です・・。

無事、地元の学校に編入しますが、ここでは当時の学校教育が描かれています。
例えば、数学の授業では
「パリの中心部を破壊するには、何個の爆弾が必要でしょうか?」

ヒトラー・ユーゲントの生徒とのイザコザとイジメも絶えません。
そんな時ヴァルターに、ロシアの前線で兵士たちが「冷凍肉勲章」と呼んでいた
「冬季東部戦線従軍章」がみんなの前で授与され、まさにしてやったりのヴァルター・・。

Medaille Winterschlacht im Osten.jpg

やがて終戦を迎え、ヴァルターも戦後を無事生き延び、青年となっていきます。
そして1955年、NKVDにスパイ容疑で捕えられた母親が帰郷を果たすと
後半、この母親の十数年に渡るロシアでの拘留生活が語られます。
それはとても印象的なもので、このようなドイツ人女性の記録は
あまりないんじゃないでしょうか?

このような珍しい証言の他にも、ベルリン以外での戦時下のドイツでの生活の様子が
わかることなど、結構楽しみながらも勉強になった一冊です。

フィギアスケートで盛り上がったバンクーバー・オリンピックも無事終わりましたが、
結構、ボブスレーを楽しみました。コースが厳しくて、転倒も続出・・。
特に気になったのがチーム名です。1ヶ国から複数チームが出場できるため、
「アメリカ第1」とか、「ドイツ第2」などと言うわけですが、
「ラトヴィア第1」やら「クロアチア第1」とか聞くと「なんか聞いたチーム名だな~」と・・。
よくよく考えてみれば武装SSの義勇兵師団の名前でした。
全然関係ない話でスイマセン・・。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。