消えた百万人 -ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道- [収容所/捕虜]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ジェームズ・バクー著の「消えた百万人」を読破しました。
最近なんやらバダバタしてて、久しぶりになりました。さすが師走ですね。
1945年、東西の戦線で敗戦を覚悟したドイツ軍兵士たちは、
最終的に西側連合軍に投降することを目標とし、
西部では予想を上回るドイツ兵が捕虜となり、
東部ではソ連の手から逃れようと西への必死の敗走が続きます。
しかし、首尾よく西側連合軍の捕虜収容所に送られたものの
そこは、ナチスの絶滅収容所に匹敵するほどの悲惨なものであった・・
という一冊です。
アメリカの財務長官であったモーゲンソーによる
「終戦後はドイツを牧農国家にすべし」という計画が良く知られているように
同じ西側連合軍でも、アメリカのドイツに対する情け容赦のないやり方は
捕虜問題についても「ジュネーブ条約」を無視したものだったと著者は暴露しています。
これは「ジュネーブ条約」によるところの戦時捕虜-Prisoner of war「POW」に対しては
自国兵士と同等の食料を割り当てなければなりませんが、
1945年3月、アイゼンハワーは新たに武装解除された敵国軍人
-Disarmed Enemy Foces「DEF」という身分を適用し、
その扶養はドイツの責任として、公表も禁止します。
スイスや赤十字も完全に無視し、一般のPOWに対しても残酷なほどの待遇で
テントすらなく、雨が吹きさらしの泥土の上に数万から十数万人のドイツ人が
身を寄せ合って耐え忍び、アメリカ側の収容所では食料どころか
飲み水さえも満足になく、死亡率は年間30%という数字を挙げています。
その生存者が語る生活は凄まじいの一言につきます。
DEFに至ってはさらに酷い扱いで、このような状況でアメリカ軍によって都合よく操作された
数字上、捕虜はタイトルのように百万人が消えてしまった(死亡、または行方不明)そうです。
そのアメリカが撤退するにつれ、ドイツ人捕虜はフランスと英国の管理下へと
移管されていきますが、「DEF」の適用を認めなかった英国は、悲惨な状態の捕虜を
人道的に扱い、数多くの捕虜が救われたとのドイツ兵は証言しています。
またフランス管理下では最近まで占領されていた恨みからか、
英国よりも厳しい待遇だったようです。
有名なフランス外人部隊に強制的に徴集された捕虜も多かったとか・・。
しかし、フランスの一般市民たちはドイツ人捕虜に対して同情的であったようです。
同じアメリカ軍でもパットンはこのようなアイゼンハワーのやり方に大反対であったらしく、
「ゲシュタポと同じ」だとして、自軍の捕えた50万人の捕虜もさっさと解放してしまいます。
まるでスポーツフィッシングのキャッチ・アンド・リリースのように考えていたのかもしれませんね。
実際、パットンは自軍の兵士たちにも「激しく戦った後は、捕虜に対して
自分が捕らわれたときに受けたい待遇をするように」と指示していたそうです。
この本ではアイゼンハワーを徹底的に断罪しており、そのイメージはほとんど
「アメリカ版ヒムラー」、或いは「アメリカ版ハイドリヒ」と言えるほどで
これほどまでにアイゼンハワーが悪役な本は初めて読みました。
ジェームズ・バクー著の「消えた百万人」を読破しました。
最近なんやらバダバタしてて、久しぶりになりました。さすが師走ですね。
1945年、東西の戦線で敗戦を覚悟したドイツ軍兵士たちは、
最終的に西側連合軍に投降することを目標とし、
西部では予想を上回るドイツ兵が捕虜となり、
東部ではソ連の手から逃れようと西への必死の敗走が続きます。
しかし、首尾よく西側連合軍の捕虜収容所に送られたものの
そこは、ナチスの絶滅収容所に匹敵するほどの悲惨なものであった・・
という一冊です。
アメリカの財務長官であったモーゲンソーによる
「終戦後はドイツを牧農国家にすべし」という計画が良く知られているように
同じ西側連合軍でも、アメリカのドイツに対する情け容赦のないやり方は
捕虜問題についても「ジュネーブ条約」を無視したものだったと著者は暴露しています。
これは「ジュネーブ条約」によるところの戦時捕虜-Prisoner of war「POW」に対しては
自国兵士と同等の食料を割り当てなければなりませんが、
1945年3月、アイゼンハワーは新たに武装解除された敵国軍人
-Disarmed Enemy Foces「DEF」という身分を適用し、
その扶養はドイツの責任として、公表も禁止します。
スイスや赤十字も完全に無視し、一般のPOWに対しても残酷なほどの待遇で
テントすらなく、雨が吹きさらしの泥土の上に数万から十数万人のドイツ人が
身を寄せ合って耐え忍び、アメリカ側の収容所では食料どころか
飲み水さえも満足になく、死亡率は年間30%という数字を挙げています。
その生存者が語る生活は凄まじいの一言につきます。
DEFに至ってはさらに酷い扱いで、このような状況でアメリカ軍によって都合よく操作された
数字上、捕虜はタイトルのように百万人が消えてしまった(死亡、または行方不明)そうです。
そのアメリカが撤退するにつれ、ドイツ人捕虜はフランスと英国の管理下へと
移管されていきますが、「DEF」の適用を認めなかった英国は、悲惨な状態の捕虜を
人道的に扱い、数多くの捕虜が救われたとのドイツ兵は証言しています。
またフランス管理下では最近まで占領されていた恨みからか、
英国よりも厳しい待遇だったようです。
有名なフランス外人部隊に強制的に徴集された捕虜も多かったとか・・。
しかし、フランスの一般市民たちはドイツ人捕虜に対して同情的であったようです。
同じアメリカ軍でもパットンはこのようなアイゼンハワーのやり方に大反対であったらしく、
「ゲシュタポと同じ」だとして、自軍の捕えた50万人の捕虜もさっさと解放してしまいます。
まるでスポーツフィッシングのキャッチ・アンド・リリースのように考えていたのかもしれませんね。
実際、パットンは自軍の兵士たちにも「激しく戦った後は、捕虜に対して
自分が捕らわれたときに受けたい待遇をするように」と指示していたそうです。
この本ではアイゼンハワーを徹底的に断罪しており、そのイメージはほとんど
「アメリカ版ヒムラー」、或いは「アメリカ版ハイドリヒ」と言えるほどで
これほどまでにアイゼンハワーが悪役な本は初めて読みました。
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