ヒトラー・ユーゲント -第三帝国の若き戦士たち- [ヒトラー・ユーゲント]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
B.R. ルイス著の「ヒトラー・ユーゲント」を読破しました。
ヒトラー・ユーゲント本といえば独破戦線でも2冊紹介していますが、
いずれも第12SS師団のヒトラー・ユーゲントでした。
今回はヒトラー・ユーゲントそのものの成り立ちから第三帝国崩壊までを
見事に整理した、内容も写真もとても充実した1冊の紹介です。
ヒトラー・ユーゲントの歴史はかなり古く、1922年のナチ党青少年団が前身で
ドイツには以前から青少年団は数多くあり、この時点では特別なものではありませんでした。
しかし、ナチ党が勢力を拡大するにつれ、SAの少年版というような位置づけで
他の青少年団との暴力沙汰などを繰り返していたようです。
1930年代にヒトラーが政権を握り、フォン・シーラッハがユーゲント指導者になると
他の青少年団は強制的な解散か、ヒトラー・ユーゲントに吸収されて行き、
1939年には700万人を超えるまでの組織となります。
一口にヒトラー・ユーゲントと言っても、低年齢層のヒトラー少年団や
女子の青年団も存在していて、その教育も様々だったようです。
当然、これだけの数の青少年たち全員が理想的にナチ化されるということはなく、
問題児も多かったようで、例えば禁止されていた同性愛や
女子青年団には沢山子供を産みましょう的な教育のために、
簡単に?妊娠してしまう子も多かったとか。
エーデルヴァイス海賊団や白バラのような若者の抵抗組織も存在し、
ヒトラー・ユーゲント内でも反抗的なものは強制収容所送りになったそうです。
また、1938年にはヒトラー・ユーゲントが来日したという有名な話もしっかりとあり、
戦前のその他の活動が特に充実しています。
友達や学校といった子供社会がヒトラー崇拝となってくると、
親がその思想を危険だと考えてもそれを子供に伝えるのは難しかったようです。
子供が苛められたり、自殺したりするよりはマシと考えるしかなかったのでしょう。
ヒトラーの悪口を言った父親を密告し、その父親は強制収容所送りとなって死亡。
そして息子はめでたく昇進を果たしたのでした。
という、悲惨な一例も紹介されています。。。
1940年になるとシーラッハに替り、アルトゥール・アクスマンが指導者となります。
もともとスポーツに力を入れていたヒトラー・ユーゲントは
航空ユーゲントや海洋ユーゲント、モーターバイクユーゲントといった準軍事的な
訓練も受けており、ヒトラー・ユーゲント卒業と同時に陸海空3軍で活躍できるよう
教育されていました。
またナポラなどのエリート養成所が存在していたことも有名で
そのものズバリ「エリート養成機関 ナポラ」という映画もありますね。なかなか面白い映画でした。
そして1943年になると第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントが創設されます。
この本でもヴィット、クルト・マイヤー、ヴュンシェ、モーンケ、フーゴ・クラース
作戦参謀フーベルト・マイヤーまで登場し、初陣のノルマンディから
バラトン湖まで戦い続けます。
これは第12SS師団の戦史としてもかなり充実したものとなっています。
また、明確にはなっていませんが、同じユーゲントでも
普通のユーゲントやリーダー・ユーゲントがいるようで、
リーダー・ユーゲントは即戦力なので国防軍も欲しがっていたようです。
第12SS師団の編成の際も、その1万人はほとんどがリーダー・ユーゲント
だったのかも知れません。
最後にはゲッベルスによって国民突撃隊や人狼部隊としても駆り出され
ヒトラー・ユーゲントはその終焉を迎えます。
とにかく反抗期もある子供たちですから、
従順でなかった子供もかなりの数に上ったと思います。
個人的には知力・体力の無い、落ちこぼれユーゲントの運命が気になりますね。
この本を気に入ったら、ぜひ「橋」という映画もご覧になってみてください。
B.R. ルイス著の「ヒトラー・ユーゲント」を読破しました。
ヒトラー・ユーゲント本といえば独破戦線でも2冊紹介していますが、
いずれも第12SS師団のヒトラー・ユーゲントでした。
今回はヒトラー・ユーゲントそのものの成り立ちから第三帝国崩壊までを
見事に整理した、内容も写真もとても充実した1冊の紹介です。
ヒトラー・ユーゲントの歴史はかなり古く、1922年のナチ党青少年団が前身で
ドイツには以前から青少年団は数多くあり、この時点では特別なものではありませんでした。
しかし、ナチ党が勢力を拡大するにつれ、SAの少年版というような位置づけで
他の青少年団との暴力沙汰などを繰り返していたようです。
1930年代にヒトラーが政権を握り、フォン・シーラッハがユーゲント指導者になると
他の青少年団は強制的な解散か、ヒトラー・ユーゲントに吸収されて行き、
1939年には700万人を超えるまでの組織となります。
一口にヒトラー・ユーゲントと言っても、低年齢層のヒトラー少年団や
女子の青年団も存在していて、その教育も様々だったようです。
当然、これだけの数の青少年たち全員が理想的にナチ化されるということはなく、
問題児も多かったようで、例えば禁止されていた同性愛や
女子青年団には沢山子供を産みましょう的な教育のために、
簡単に?妊娠してしまう子も多かったとか。
エーデルヴァイス海賊団や白バラのような若者の抵抗組織も存在し、
ヒトラー・ユーゲント内でも反抗的なものは強制収容所送りになったそうです。
また、1938年にはヒトラー・ユーゲントが来日したという有名な話もしっかりとあり、
戦前のその他の活動が特に充実しています。
友達や学校といった子供社会がヒトラー崇拝となってくると、
親がその思想を危険だと考えてもそれを子供に伝えるのは難しかったようです。
子供が苛められたり、自殺したりするよりはマシと考えるしかなかったのでしょう。
ヒトラーの悪口を言った父親を密告し、その父親は強制収容所送りとなって死亡。
そして息子はめでたく昇進を果たしたのでした。
という、悲惨な一例も紹介されています。。。
1940年になるとシーラッハに替り、アルトゥール・アクスマンが指導者となります。
もともとスポーツに力を入れていたヒトラー・ユーゲントは
航空ユーゲントや海洋ユーゲント、モーターバイクユーゲントといった準軍事的な
訓練も受けており、ヒトラー・ユーゲント卒業と同時に陸海空3軍で活躍できるよう
教育されていました。
またナポラなどのエリート養成所が存在していたことも有名で
そのものズバリ「エリート養成機関 ナポラ」という映画もありますね。なかなか面白い映画でした。
そして1943年になると第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントが創設されます。
この本でもヴィット、クルト・マイヤー、ヴュンシェ、モーンケ、フーゴ・クラース
作戦参謀フーベルト・マイヤーまで登場し、初陣のノルマンディから
バラトン湖まで戦い続けます。
これは第12SS師団の戦史としてもかなり充実したものとなっています。
また、明確にはなっていませんが、同じユーゲントでも
普通のユーゲントやリーダー・ユーゲントがいるようで、
リーダー・ユーゲントは即戦力なので国防軍も欲しがっていたようです。
第12SS師団の編成の際も、その1万人はほとんどがリーダー・ユーゲント
だったのかも知れません。
最後にはゲッベルスによって国民突撃隊や人狼部隊としても駆り出され
ヒトラー・ユーゲントはその終焉を迎えます。
とにかく反抗期もある子供たちですから、
従順でなかった子供もかなりの数に上ったと思います。
個人的には知力・体力の無い、落ちこぼれユーゲントの運命が気になりますね。
この本を気に入ったら、ぜひ「橋」という映画もご覧になってみてください。
ユーゲントにかぎらず、第三帝国時代のマイナスイメージは戦後戦勝国によって流布されたものなので、注意を要します、マイナス面をのぞけばわたしの十代のころ、こんなグループがあらばよかったなとおもいます
by あかごへい (2013-07-09 16:52)